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深く考えてしまうことの弊害

NHKのハートネットのサイト記事に深く頷いてしまった。

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これすごくわかる!!!!!


信号待ちで先頭の車のナンバー。
人の誕生日の数字。
なんか無駄に覚えてしまう。
別に暗記しろといわれたわけじゃないのに、やたら数字配列が頭に残ってしまう。


「さっきの車のナンバー◯◯ちゃんの誕生日と同じだったね」
「え?そんなの見てなかった」
まわりの人も見てるものだろうと思っていたけど、どうもそうではないらしい。


人が気付かないことに気付いてしまう。
で、逆にまわりの人は当たり前として気付いていることをありえないぐらい見落とす。
仕事だと割と致命的で「なんであの人こんなことが分からない(出来ない)の」みたいに不和が生まれてしまったりする。
ほんとすみません。
自覚はあるんです、あるんだけど。
ものすごく意識しているんだけど、なんでかいつも同じようなことの繰り返しになってしまう。
多分、細かい変化とか気付かないでいいことに気を取られすぎてていて注意力散漫になってしまってるのでは…と自己分析。


映画で主人公と恋人が別れるシーンを見ていたとする。
喫茶店で別れの捨て台詞を放ち彼が去る。
ふと、やり取りをする二人の目の前の机にコップがあった。
なんだ?あのコップ?なんか不思議な柄だな。いつからあったっけ?
上映後、いっしょに観た友人と感想を言い合うと
「あの捨て台詞すごかったね」
「あのコップなんだろうね」
「えっ?コップ???」
「えっ」
「えっ」


…噛み合わない!!!

いつもなぜか浮いてしまうのはこういうことじゃないだろうか。
完全に感覚的な違いなんだろうけど、自分が見ているものをまわりの人は見てないし気付きもしない。
良くいえば、洞察力が鋭い。
悪くいえば、いらん情報集めすぎ、考えすぎ。

なんでかよくわからないけど、人が当たり前としてやってることが全然当たり前に出来ない!ってなっちゃうのもこういう感覚の相違の積み重ねなんだろうなと。
そして幸か不幸か、そういうことでまわりがざわついているとそれに気付いてしまう感受性の強さも災いするという。
つらい…。
もっと鈍感に生きられたらいいのに…。

気付かないことに気付けること。
深く考えること。
考えすぎてこじれる&気付きすぎて疲弊…ではなくて、良い方向に使いたい。本当に!


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