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楽しいはこれからも続く

これは私と友人であるぬか漬けくんとの交換日記である。そして私はそれを二週間ほどさぼっている。

ゲームって怖い

 大変遅くなった。このところ、信長の野望という歴史シミュレーションゲームにドはまりしてしまって、寝る時間を惜しんでポチポチしていた。このゲームは私が歴史に興味を持つきっかけとなったゲームでもあって、小学生の頃からパソコンでボウオ―という合戦の合図であるほら貝の音を響かせていた。このゲームと講談社が出す歴史偉人漫画、それから実際の家族旅行でのお城めぐりとががっちりかみ合って私の歴史好きが生み出された。その結果はぼちぼちの成績をセンター入試で納め、日本各地の地域に興味を持つ今にまでつながっている。安定の面白さなのだが、いささか時間をとられすぎるので怖いものだ。ちょっとこのままだとよろしくないので、洗濯を干したついでに気分転換にいつもの床屋に行ってきたところである。
さて、前回の君の話は”ベタ”についてだったね。この前旅の行き先を話し合ったときもベタなものばかりだったことを思い出して、”らしい”なと感じた。でもそんなぬか漬けも相撲愛やラジオ好きというベタではない側面も持ち合わせていることを鑑みれば、ベタ”も”好きということなんだろうな。旅行においてのスタンプラリーによる達成感とか、やっぱり自分の身をそこに置くことに意味を感じる点など私も理解できる。どの場面に、何を求めるか。そしてどの側面が割と強いのかの違いでしかないのかもしれないなとも感じた。それなんだったら、相撲を通して感じたことを私なりに書いても意味がありそうだと思い、以下を記す。

同じ相撲をみて(後藤目線)

先日、ぬか漬けに誘われ三度目の相撲観戦へ行った。毎度の相撲前ちゃんこを今回は両国駅すぐの寺尾に行った。これまでの巴潟や安美に行ったが、今回の寺尾はどうやらこれまでで一番カジュアル路線だったように思う。昨場所優勝した阿炎と関係があるとか。いくつかの味が選べ、最後に締めの麺までついて1500円くらいだったのは割とよかったように思う。
その後国技館へと場所を移し、力士の給料についてや得意手による勝敗予想というのもモーション付きで聞いていて面白いなと思った。ただなぜか野球を好きになった時のような、気が付いたら好きになるという感覚には陥ることができずにいる。何が違うのだろう。

夢中になる方法を忘れた。

子供の頃は、何かに夢中になるって簡単だったように思う。砂場に山を作り、そのてっぺん付近から水を流して川を作るあそび(その後の堆積運搬の実験)や幼稚園や学校の裏山で駆け回った時はこんなことになるとは考えなかった。彼女に対しても実は常に客観的なところがあって、夢中にとはなかなかなれないのである。要はものに限らず、人に対しても夢中になるって言うことをどこかに忘れてしまったように思うのだ。その意味では信長の野望は時間を忘れることができるほど、夢中になれる。後は散歩に、野球をしている間とか、旅行のことを考えているときなんかもそうかもしれない。それから爺さんの山にいって畑仕事しているときや気合を入れて漕ぎだした自転車のペダルをこいでいるときなんかは夢中かも。
よって訂正する。夢中になれないわけではない(笑)でも、新しく興味を持ったものに対して夢中になることがあまりできないように感じる。基本的には子供の頃、具体的には小学四年生くらいまでに黙々と自分からやっていたこと、やりたいと思っていたことに対してはそういう風になれる。
ここまで書いてなんかそういうの研究している人いるんじゃねって思って、ネットで見てみた。検索ワードは「大人になってから 夢中になれない」をグーグルで調べた。その結果、堀江貴文の東洋経済の記事を見つけた。
まさに、記事に書いてある、楽しそう!と楽しいとの勘違い。私も多くの場合これをする。いろんな人の話を聞いて楽しそうと思い始めるが、しかし人の楽しいは続かない。楽しくないものは続かないのだ。そして心から素直に楽しいと感じることができるものがある一定のころまでに夢中になっていたものだとすれば、確かに一部の親が教育熱心になることも肯ける。だとすればある程度昔やったことを振り返って、その延長線で何かをするのがやっぱりベストだなと感じる。
これが私がしたかった話と同じ話かは分からないのだが、もう一つ話したい。実はこの記事を書いている(書き直している)2023年1月16日に、トヨタの社長が会長の世代交代を背景に、豊田章夫さんから後任へと代替わりをすることが発表された。(トヨタイムズのリンク。記事に動画リンク有)
この発表の中で、うわ、いいなって思った瞬間がある。
「次に、佐藤を新社長に任命した理由を述べたいと思います。ひとつは、トヨタの「思想」「技」「所作」を身につけようと、クルマづくりの現場で必死に努力してきた人だからです。トヨタのトップにつく人は、その体現者であってほしいと思っております。そして、もうひとつは、クルマが大好きだからです。」(トヨタイムズより)
やっぱり、最後に大事なのは好きなものへの熱量、思いの強さなんだなと感じさせられる。もちろん章夫氏の発言の発言の前半は人としての謙虚さに当たる部分と思うが、この謙虚さと思いの強さこそが人として多分本当に大切なことなんだと気づかせてくれる動画である。

時系列が前後してすまないがもう少しだけ話させて欲しい。
きのう、おととい(1/22と23)と実は真鶴と市ヶ谷に私はいた。理由は自分が面白いと思うローカル人の集まりがあったからだ。そしてうまくやれば全国の面白い人とつながれるかもしれないと思った。真鶴では地域を盛り上げているデザイナーの話を聞いた。結局のところ彼らは彼らの好きなこと/楽しいことをやっていた。そしてだから続いていた。さらに面白いのは登壇者だけではない。ざっと町民含め50人近くが集まっていたこのイベントには、東京芸大の教授今年グッドデザイン賞大賞をもらった男(駄菓子がキーワード)、熱海で地域おこしをしているお兄さん地域の居酒屋の店主、元町長のお孫さん、わざわざ福島からきた女性などのゲスト陣が話す側聞く側の垣根を越えて意見を交わし合っていた。そもそも神奈川の真鶴町は昔から、まちの景観の美しさを言語化してバブル期の開発から町を守ってきた稀有な街no
住民もそんなゲストのうちの半数近くを占めている。また良いのが泣く子の声はBGMと思って~とか、ちゃんとどうしようもない時用に隣に子供の遊び部屋があったりする。それだけじゃなくて、地域のじじさまも参加して真鶴町に住む全年齢層が集い、自分の街で起きていることと、よその町で起きていること(必見)を知り、まちの長老たちは街の明るい未来を思い描き、若者たちは自分たちの次なる目標を見つけたような回だった。なにより地域のじい様たちが街の行く末に本気で熱く期待している様には感動した。人は必ず死ぬ。特に真鶴はそうだが、自分たちが愛着を持って守り継いできた町が衰退しかけていたところ、再び未来が垣間見えたことはあの人たちにとって最高に幸せな瞬間に違いない。ではこれからどうするか。そこで何度も出たキーワードは楽しむということである。君は何を楽しむことができるか。何に夢中になって遊ぶことができるだろうか。これまでの社会はストレスのため口と吐き口を違うフィールドに持っていた。そしてその結果様々な社会課題を生み出してきた。でもこれからは違う。
だからローカルなのだ。だから日常なのだ。
そもそものネガティブをこれまでよりも抑え、自分の楽しくて頑張れることを日常にするべきだと思う。そうすれば、無駄に耐えるなんてことしなくてもいい。耐えたきゃ耐えればいいけど。最後になるが、私の母がフルタイムで仕事を続けるかとずっと飼いたがっていた保護犬を飼うか悩んでいた。その時私は言った。自分が幸せと思う方を選んで欲しい。と。どうにも出過ぎた発言だろう。でも私をここまで育ててくれたからこそ、その感謝の意を込めて言った言葉でもある。それから何日かして、気が付いたらお散歩体験にいっていたのをみてなんだかうれしくなった。また小さな会社だからできたことかもしれないが、これまで出社必須だったところを、在宅可能にしてくれたとか。いやはや、すごい。
もう一つ、私の彼女は毎日仕事の愚痴を言う。それならその状況を変えるか、自分が変えなくてもそういうことがない場所に移ろうよと私は言う。好いものは残り、楽しいものもまた残る。でも、つまらないものやしんどいものは残らない。子供の遊びを見れば明らかなことだろう。事実彼女の会社は名声こそあるが、実態は新卒がガンガン数年以内で辞めている状態だ。私もそこでアルバイトをしたけど、やっぱりなんかやりがいないもん。それじゃ生きるかいもないじゃないか。仕事は人生の暇つぶしらしい。だったらやっぱり自分が楽しいことをやらなくちゃ。
そうそう。市ヶ谷でのイベントでは、日本総研という課題発見会社が自省的に我々のような企業は課題を見つけることが仕事になっちゃって、解決まであまりになってこなかった。これからはその課題を、デザイナーたちのように自分が楽しいと感じるように解決していきたい的なことを言っていたのも印象的だった。世の中は、いま、楽しくなろうとしている。


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