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苦悩する家族~兄弟姉妹は他人の始まり(前半)

「子供のことを思わない親はいないよ」

何の話からそんな話に発展したのかは覚えてないのだが、
バブルの頃、たまたま乗ったタクシーの運転手さんが言ったセリフ。

彼の両親は子供を大切にする愛情深い人たちだったに違いない。

この現代において、ほとんどの人が
それが絵空事の夢物語で、幻想でしかないことを知っている。

上記のようなことを本気で思っている人がいるとするならば、
世相に疎く、自分の周囲しか知らない世間知らずで、
よっぽと幸せで恵まれた家庭環境に育った人なのだろう。
蝶よ花よと育てられ、乳母日傘な生活をしていたらば、
そんなおめでたいことを口に出来るようになるのだろうか。

子供のことを思わない親ばかりであったなら、
世の中に虐待も子捨ても堕胎もあるわけがないし、
不幸な子供たちがこれほど多く存在するはずもない。

血は水よりも濃いと言う。

物質的にはそうだ。

だけれども、血の繋がりほど当てにならないものはないし、
「血」が繋がっている、繋がっていないという、カテゴリに縛られ、苦しめられ、人生に制限を与えられている人が大勢存在するのも事実だ。

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ある日、母がため息交じりにこぼした。

「二人きりの姉妹なんだから、仲良くしなさいよ」

正直 私と姉の仲はよろしくない。
いちおう和解はしているが、とくに話すこともないし、
共通点がないので連絡を取っていなかったりする。

そして母は自分の兄弟姉妹たち、
そしてイトコたちの間であちこち起きている不和のことを、
「まったくどうして揃いも揃って、身内同士なのに・・・」と愚痴る。

「じゃあ、母さんは叔母さん(義妹)にされたこと、赦せるの?」

私がそう言うと、
母は「絶対死んでも赦せるもんか!」と言葉を荒げる。

「それと同じだよ。
 みんな兄弟だから、姉妹だから、肉親だから赦せって言う。
 これが垢の他人がしたことなら、許せなくて当然と言う。

 兄弟姉妹だからって、必ずしも気が合うわけじゃない。
 血が繋がってるからって、されたことを赦せるわけじゃない。
 私が姉さんにされたことはイジメと同じなんだよ。
 子供の頃にさんざんイジメの被害にあった人に、
 加害者を赦せって言ってるのと同じだよ。
 叔母さんたちも○○(イトコ)のとこも、周囲が知らないだけで、
 きっとそれぞれ何か貯めてたことがあるんだよ。
 当事者にしかわかんないもやもやがあったんだよ」

そういうと押し黙ってもう二度と口にはしなくなったけれども。

ちなみに私の2つ上の姉は女ジャイアンというか、ジャイ子。
天井天下唯我独尊で、いつも自分が正しいという考え。
妹というだけで格下認定されてた私は、奴隷扱い。
彼女の命令は絶対だったのですよ。

父と同じで外面が良いけど、家では殿様扱いを望む人。
自分が風邪を引くと、あれをしろこれをしろ、あれを持ってこい、これじゃだめだ・・・と、人をこき使う。身体の弱かった私が風邪を引くと、うつったらどうするんだと文句たらたら。

中高とバレー部のキャプテンだったもんで、(就職先も実業団で有名な某電機メーカー) 試合の前は家でも練習しなくちゃとかで、寝込んでいる運動音痴の私を布団から引きずり出し、トスの練習するからボールを上げろとかの、ありえない無謀な指示を出してきた人。

それでも、このくらいは
毒でエネmeな母がすることよりは全然マシだったのだけど(笑) 姉と母はとても仲が良く、そして母は姉には甘く、私とはずいぶん差をつけて育ててくれましたの。して、二人で結託して色々やらかしてくれたもんです。

つまりは上記の私の言葉は、母に対する遠回しな嫌味でもあったんだけど、
本人未だ気づいてないだろうなあ、と思います。自分に都合の悪い記憶は改ざんしてくれてますから。それも仕方のないことなんですけどね。

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そうね。

親子関係や兄弟姉妹の関係性が良好だった人は、
虐待がどういうものかってことを理解していない。

たぶん想像できないのだろう。

「うちだって、躾は厳しかったよ」

躾の厳しさとネグレクトやDVとは違うのに…ちょっときつく当たられたこと、叱られ殴られたことと、人間サンドバックにされることって、まったくもって全然違うのに。

学校で起きているイジメの被害者が、受けた傷や加害者に対する根深い恐怖心はみんな理解することができるのに。それが犯罪で、加害者と被害者の関係だってこと、そのように捉えることができるというのに・・・

それが身内間だと、家族や兄弟姉妹との関係性で起きたことだと、
血の繋がりが免罪符でもあるかのように、

「お母さんだって、今は当時の事きっと反省しているよ」
「お父さんも今は変わったんだし」
「お姉さんももう大人で親になったんだから」

・・・って、そんな無責任なセリフでセカンドレイプしてくれちゃって、幼少期の悪夢、トラウマやPTSDが、まるで大人になれない子供の甘えであるかのように、懐柔しようとしてくる人のなんと多いことか。

呪いの刻印のような刷り込み、
繰り返し植え付けられたマイナスの暗示・・・
呪文のように自分を縛り付ける忘れがたい記憶。

フラッシュバックに悩まされ、骨の芯まで蝕まれたかのように苦しんでいるのに…そこから脱出したいと切望し、足掻いている気持ちさえ、軽んじられ、理解されることは少ない。

何故親子だからと言って、兄弟姉妹だからと言って、
相手を赦せないことを責められねばならないのか・・・?

血が繋がっていたならば、
何をされても当然で、されたことを赦せないほうが悪いのか?

垢の他人なら、犯罪で、血縁者ならば犯罪ではないというのか・・・?

親なら子に何をしてもいいのか?

親が子にしたことはすべて許されてしかるべきことなのか?

親は子供をどのように扱ってもよく、
何をしても許される存在なのか。それが親の特権なのか?

子供は親にされるがままに、すべてを受け入れなくてはいけないのか?

産んでもらった、育ててもらったという恩だけで、
されるがままに何もかも赦さなくてはならないのか?

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兄弟や姉妹同士、血縁者の間で起きたことは、他人ならイジメと断罪されるが、兄弟姉妹というだけで、単なるふざけっこ、じゃれ合いとして済まされてしまうものなのか?

身体や心に傷を負っても、そこに非も責任もなく、
お互い様として赦さない者は、狭量だと責められなくてはならないのか?

夫婦のことならDVだのモラハラだの、
法律で接近禁止令も出す事が出来るのに。

「血が繋がってるから赦せることもある。
 だけど、血が繋がってるからこそ、赦せないこともあるんだよ」

"シた方"は、簡単に忘れるが、"サレた方"はいつまでも忘れない。

身体の傷は消えても、心の傷は今も血を流したまま。

イジメをした方は、「そんな昔のこと」と言い放ち、
自分が相手に対して何か悪いことをしたなんて、露ほども思っちゃいない。
自分がしたことがどれほどのことかなんて、
どれほど深く相手を傷つけて痛めつけたかなんて、
想像したことさえもなく、罪悪感のかけらもない。
相手が今も苦しめられていることなんて、知ろうともしない。
自分がしたことで、
相手のその後の人生にどれほどの縛りと影を与えているのかも。

そして「子供の頃のことなんかで」「昔のことなのに」
と傷口に塩を擦り付ける。

子は親を選べないとは人の云う。

血縁関係の「縁(えにし)」は、
現行法ではいかようにも切ることが出来ない。

世の中には毒親はたくさんいる。
愛情込めて育てた子であっても、義に背き、親を悩ませ、
犯罪に走り、不孝をする者もたくさん存在する。

善人と褒め讃えられ、賢人と尊敬される人の元に、
外道、畜生が生まれることもある。

とんびが鷹を産むというように、
腐敗した泥の中に、蓮華が咲くごとく聖人が生まれることもある。

カエルの子はカエルを文字通り実践する親子も。

親だから子だからと言って、似るわけでもない。
影響は受けても、資質がまったく異なっているので、
違う道を生きる兄弟姉妹も数多い。

親兄弟姉妹の生き方を反面教師とし、
まったくベクトルの違う方向性に行く人もいる。

親の呪縛、育った環境の影響から抜け切れず、
コピーのようになぞって生きるような人もいる。

結局のところ、どう生きるかはその人次第なのだが。

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さて、
私自身が幸福な普通の家庭というものを、知らないで育ったこともあるが、

小中学校の同級生たち、
親しかった友人たちの家庭環境がわりと複雑な人が多く、
幼馴染も母子家庭(3人兄弟)で、
おばさんが水商売をしていた関係から異性関係も派手で、
そこから大人の世界や事情も透けて見えていたかな。

同級生の親同士が浮気をしているとか・・・愛人をしているとか
そんなこともあったりした。
(子供は大人が考えるより、よく大人を観察しているものです)

やはり親に暴力を振るわれている子や、親が離婚してそれぞれに引き取られたものの、母親が死んだことで父親のほうにまた引き取られ、
本当の姉妹であるのに関わらず、離れて暮らしていたこと、母親のほうに引き取られていた事実を僻まれ、姉たちから虐待を受けていた友もいたし、
両親が亡くなって親戚たちの家をたらい回しにされ、
祖父母に育てられることになった同級生とか・・・

よくある継母に虐待されるって人もいたし、そこまでいかなくても新しい家族に無視され、独りだけ孤立させられてるって子もいた。

そして、実の父親に性的な虐待を受けている子も。
ネグレクトに近い状態で、親が生活費をくれないので、
売春をして食べるものを調達している子もいたりしたが(中学)。

父親が酒乱だったりアル中だったりで、妻子に暴力をふるうロクデナシで
働きもしないヒモみたいなヤツっていうのも、決して珍しくはない光景で。

小学校っていうのは、近所の子供達の集まりだから、
そんな各家庭の事情なんて丸わかりで、大人の噂話だって、
井戸端会議の場所と遊び場は重なっているから、
あそこの家はああなんだとかこうなんだとか、
イヤでも耳に入ってくる。それが昭和クオリティでもあり。

もちろん、普通の家庭があるのも知ってる。
とくに問題のないありきたりの仲の良い家族とか、仲が良くないまでも問題は少ない家とか・・・普通に父親、母親が揃っている平凡な家族もいることも。親が子供を殴ったり蹴とばしたり、煙草の火を押し付けたり、子供に家中のおさんどんをさせて、こきつかうようなことをしないで、可愛がる親がいることも。

最初は、そんな家庭があることに・・・
子供を怒鳴ったり殴ったり、家の事をさせたりしない、
優しいお父さんとお母さんというものがいるっていうのを
知ったときには、目を丸くして驚いたものだけども。

それは本当に眩しいものだった。うらやましかったし、憧れでもあった。

教科書を燃やされたり、窓から放り投げられたり、冷たい水をバケツで頭から何度もかけられたり、熱湯を浴びせさせられて火傷させられたり、壁や床に頭を何度もたたきつけられて、髪を掴んで引き摺り回されたり、裸にひんむかれて家の外に放り出したり、ご飯を食べさせてもらえなかったりとか、
掃除がきちんと出来ていないと殴られたり、学校から帰ってくるのが遅いから、買い物頼めなかったとか、ご飯の支度が遅いとか、味付けが悪いとか、
お米の焚き方が下手だとか、洗濯物のたたみ方が下手だとか、そんなことで蹴とばしたり殴ったり、ごく潰しとか金食い虫とか貧乏神とか
産まなきゃよかったとか死んでしまえとか
ありとあらゆる罵詈雑言を投げつけてつねったり殴ったり・・・

そんなことをしない親がこの世にいるんだって知った日には。
衝撃的だった。

暴力と暴言の中で育つっていうのは、それを受けながら育つということは、そういうものなのです。

まあ、テレビドラマの中に「しあわせ」というものは、あったけれども。

私の場合は、そうした経験や友人たちの環境のこともあって、お陰でそのようなことには免疫がついたというか、「ありきたりのこと」として受け止められるようになった。不幸な境遇、悲惨な家庭環境の話を聞いても、

「ふーん」みたいに動じることもなく。

ただ、「おしあわせ」な環境で育った友達には、どうしたって分からないことだから、自分のことも含めて、複雑な家の子の事情を話したりは出来ないもので。そこは「わかりあえない」者同士だと本能的に感じて、線引きをして、ホンネを話すことなど決してない。

しかし、幸か不幸か、こうした経験は、今の仕事をする上で、他人の不幸話を一切動じずに聞けることの土台にもなっているし、人の醜悪な欲望の化身たるエレメンタルや、過去生での悲惨な体験を客観的に覗き見ることに対する免疫になっているというか、いずれにしても役に立っている。

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スピリチュアル的には、「血の絆」などというものは存在しない。
物質的なこの世界での養い親であり、宿り場としての器・・・肉体の親でしかなく、血が繋がっていようが繋がっていまいが、
育ての親という括りで、「養父母」というような位置づけだ。

「絆」はコミュニケーションによって培われ、
互いに対する信頼や親愛の情によって育まれる。

親子兄弟姉妹に生まれたからといって、霊的レベルが同じということはないし、必ずしも波動が合っているということもない。

ただ、その家庭、家族の中に、双方の学びが存在しているというだけだ。

人は人の中でしか成長できないし、自分と同じレベルの人とばかり関わっていても、成長する機会を得ることは出来ない。

自分より下の人、上の人、様々なレベルに居る人、嫌いな人、合わない人と交わってこそ、人間としてのスキルを鍛えることができる。

家族というのはそういう意味で、一生付き合わなければならない(逃れられない)、クリアしなければいけないノルマの宝庫であり、人間関係の鬼門だったりする。

生まれ堕ちて、最初に自らに与える環境。時にそれは、人によっては試練そのもの、ある人にとっては心地よい揺りかご。

如何せん、魂年齢の若い人は、自らを守り、柔らかく優しく育んでくれる環境を選ぶという。ある程度成熟した魂は、修行のごとく、ハードな環境を選ぶのだとも。

まあ、でも十人十色。

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このブログのどこか他の記事にでも書いたと思うけど、

カルマは引き合うので、ときに自分が過去生にしたことの償いをするため
(別の人生で、先祖である自分が、子孫になる人々に課してしまった負の遺産ともいうべき罪、それと似たような罪のある家に生まれ、別の人の子孫として背負うようなことをする) その家、環境を選んで生まれる場合もあるし、

肉体の両親になる人、兄弟姉妹になる人と
縁があってその家に生まれる場合もある。

クライアントさんの中には、両親とは縁がないが、お祖母さんの孫として生まれるために、その両親のもとに生まれたという人がいたりした。

また、あるクライアントさんのケースでは、家族一人ひとりが、「家庭」や「家族」の絆を見直し、家族であることの帰属意識を学び、家族によって癒される必要性があり、結束の強い家族に生まれるというケースもあった。

他の人では、「家族」を救えなかったという思いから、両親を初めとして家族を助けられる人間になるために、色々と助けを必要とする兄弟姉妹を持って生まれた人も。

敵同士であった二人が、双子として生まれたケースもある。案の定、生まれたときから仲が悪かったが。和解するため、互いを理解しあうために、強制的に「双子」というシンクロの働きやすい、血縁関係の下に生まれるようなレッスンもあったりする。

殺人の被害者と加害者が親と子として生まれる場合もある。自分が殺した相手を経済的に養い、一人前に育てることで、罪を償い、相手に対する謝罪としているケースも。

自分をレイプした人の娘として生まれたケースは、ちょっと悲劇というか、しんどい事実でもあったと思う。父親を生理的に嫌う理由はそれなのかと納得もするが、知りたくもない情報で当事者が知るには早い情報でもある。

過去に姑と嫁という関係性で上手く行かなかったことから、
今生では実の母と娘として生まれた人もいる。

そうやって関係修復や相手への償いを無意識にするために、
家族になることを選んでいる場合もあったりする。

その逆に嫁ぎ先の姑が過去生での母親だったという人もいた。
結婚する前から大賛成してくれ、実の親と縁が薄かった彼女は、かつての母親であった姑に、実の子のようにして可愛がられていたりする。

似たようなケースでは、嫁ぎ先の両親が、過去生でみなしごだった自分を育ててくれた養父母だったというようなケースもあった。

仲の良い友達同士が、双子や兄弟姉妹に生まれる場合もあるし、
父母と子として生まれたりすることもままあるし、

過去生で縁があった親子、兄弟姉妹などもいるけれど、まったくの赤の他人、どの人生でも会ったことのないという者同士が、親子に生まれる場合も当然ながらある。

血縁関係に縛られないで人生を生きるために、
わざと淡白な親や、縁切り妥当な毒親の下に生まれる人もいる。

人生の早い段階で才能を発揮したり、専門的な技術や知識を学んだり、特定の分野での活躍を望んでいる人は、親の七光りのような、恵まれたバックアップを受けられる環境に生まれるのもよくあること。

これはたまたまではなくて、狙って生まれているので、あながちズルいとは言えなかったりする。実力や才能ある両親のもと、その近くでその世界をよく見れる場所に生まれることで、勉強をしたいと当人が望んだ未来であることも少なくない。
(但し、必ずしもその人生で、その方面の才能を発揮できるとは限らない。
あくまで丁稚奉公的な修行で終わってしまう人も多い)

このあたりはピンキリだ。

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言えていることは、どんな人生を生きようとしているか、
その人生で何を得ようとしているのか(精神的かつ霊的な成長)
それによって、スタート地点を選んでいるだけなので。
あとは引き寄せの法則によって決まっているだけだったりする。


てなわけで、人生のスタート地点たる、
家族との関係性を見直すことで見えてくることはたくさんある。

言えているのは、自分の資質は親のせいではないということ。

まったくの別人格だし、血縁は血縁でしかなく、魂のレベルではまったく個別の存在で、次の人生では他人になる人なのだから。

あくまで今の人生で与えられた「家族」
今のあなたの演じる「配役」の家族であり、家庭でしかない。

どんな親をもとうと、あなたはあなた。

ならばどう演じ切る?
この家族から、何を学び、何を吸収し、反面教師とするか。

自分を育てるのは親ではなく、自分自身なのだから。

ありきたりであろうがなかろうが、
平和な家族の団欒を知っている人は幸いだ。

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