見出し画像

止まった時間を抱きしめて

11年前の今日。

今でも、はっきりと目に浮かぶ、

未だに、信じられない光景。




11年前の2011年は、

私にとっても、しんどい1年だった。


1月11日。

大好きだった母方の祖母が逝去した。

祖母は、亡くなる約2年前、突然、大動脈乖離で倒れた。

20時間にも渡る大手術で、一命は取り留めたが、脳死状態だった。


意識もなく、ただ、管に繋がれて、寝ている祖母の姿は、

私の心を複雑にした。


人を生かすための医療機器が憎くなった。


その祖母が逝去し、母の涙声を聞く日が増えた。

強かった母が流す涙は、私の心を内側から弱くした。


そんな私も、母と同じで、

祖母がこの世にいない事実を受け止めきれずにいた。


祖母が逝去して、1ヶ月後。

私の精神こころが崩壊した。


てんかん発作で卒倒した。


この時、病院に運ばれたが、てんかんだと診断されず、

ただの疲労だと言われ、帰ってきた。


この半年後に現れた、2度目の発作で、

初めて、てんかんと診断された。



3月11日 14時46分。

私は、春休みで、父方の祖母宅にいた。

両親が人間ドックで不在で、

代わりに、私と姉が、祖母宅で、

父方の祖母のヘルパーを待っていた時だった。


その場にいた全員が揺れを感じ、

お互いに声を掛け合い、安全を確認した。


その後の報道で見た光景に、言葉を失った。


被害の大きさもさることながら、

一瞬にして、大切な人を失った方を思うと、

私がこれまで経験した痛みや悲しみが、

フラッシュバックした。


11年前も、11年後も。




11年前から、数年間、

いや、もっと長かっただろうか、

私の時間は止まっていた。


東日本大震災で被災された方の時間も、

11年前から、止まっているのではないだろうか。


それは、勿論、

1995年1月17日 阪神淡路大震災

2016年4月14日 熊本地震

2018年6月・7月 西日本豪雨

挙げるとキリがないけれど、

これらでも同じこと。


もっとも、皆様の中にも、

時間が止まってしまった出来事は、

数えきれないほど、あると思う。



その出来事の記憶・感情・思考が、

私たちの生きている時間が経過することで、

風化、あるいは、緩和することもある。


だけど、たぶん、一生忘れられないのだ。


NO PAIN NO GAIN.

悲痛にもこの言葉は、正しいと私は思う。

与えられた痛みは、様々なことを与えてくれる。


痛みと闘う精神。

痛みに寄り添ってくれる人。

痛みを伝えようとする想い。


時に、その痛みは、

自身の身体を傷つけ、心を切り裂く。

打ちのめされ、這い上がる力をも奪うだろう。


そんな時、今一度、痛みもろとも、

これまで過ごした時間じぶんを抱きしめ、

止まった時間じぶんも抱きしめてほしい。


止まった時間を無理に動かさなくていい。


そして、そんな人が、

近くにいても、いなくても、

その人のために、思いを馳せ、愛してほしい。


そう願わずにはいられない。



あなたがたを襲った試練で、
人間として耐えられないようなものはなかったはずです。
神は真実な方です。
あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、
試練と共に、それに耐えられるよう、
逃れる道をも備えていてくださいます。

コリントの信徒への手紙

この記事が参加している募集

サポート以上に、フォローして頂けると、大変、嬉しいです!