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dip'n dive

人間で構成された、とある世界や組織に、
一度、身体を少し浸すと、
最初は、浮いたままでいられる。

もっと深く知りたい、と思って、さらに、身体を水に浸す。

すると、吸い込まれるように、沈み、
徐々に、重さを増す身体に抗えなくなる。


音も光も届かない場所にいる人を、引き上げるには、
自らも、同じ場所に、沈む必要がある。

それは、同情という言葉に示されるように、
その人の気持ちがすべてわからなくても、
"理解しよう"とする姿勢と思いやり、
そして、その人も一人の人間であることをしっかりと認識することで、
初めて成し遂げられるのではないだろうか。

この約半年間で、強く感じたことだ。


いつも、どんな人にでも、
強い言葉を発している(と思われている)私でも、
年齢や立場が上の人には、言えないことは多くある。

それは、私以外の人ならば、尚更、言えないことも多いだろう。


自分(学生)と教員の意見が異なった時、
大体の場合、学生は引き下がらざるを得ない。

勘違いしてほしくないので、敢えて言うが、
これは、ハラスメントではない。

教員の方が知見も多く、
また、研究では、教員が研究費を獲得するからである。

ただ、そこに、
"教え、教えられ" の関係が、
相互に存在しなくなると、
人としての形を失わせることになる。


約1年前、ある人が、私(たち)に、こう言った。

何も言わないから、何事もない(問題ない)のかと思っていた。

こんなことを平気で言う人だった。

その時に、先程まで綴った考えが、私の中に刻まれた。

この発言については、怒りが沸騰していたからか、書いていなかったが、
そのほかの出来事は、激情のまま、記事として書いた覚えがある。

後輩たちは、数えきれない程、苦悶したはずだ。
言いたくても言えずに、ずっと我慢せざるを得なかっただろう。

私も、彼らから言われて、初めて気付かされるなんて、
なんて最低な奴なんだろうと、酷く沈み、
もっと彼らに思いを馳せた。

そして、共に、立ち上がろうと、
互いに支え合って、立ち向かうことにした。


ちょうど先ごろと同じ時期、博士後期課程の親友がこう言った。

もう大学を辞めようかなと思っている

彼女も、言いたくても言えなくて、ずっと我慢していた。

責任感が強く、また、何でもそつなくこなす彼女は、
色んな事を負わされていた。

その重さは、私には計り知れない。
だけど、その重さで、彼女が彼女でなくなってることは、分かった。

だから、私は、彼女を、
彼女がいる場所から、出られるようにした。

具体的なことは描写できないが、
結論、彼女は、現在、私のすぐそばにいる。

そこで、彼女は、かつての彼女を取り戻しつつある。

本心を言うと、距離を縮めたくなかった。
親友として、適度な距離感を保っていたかったのだけど、
個人的な心情など、言っていられなかった。


親友でいたいから、親友であることをやめないといけなかった。


ちょっと、私には、しんどいことだった。

今は、距離感を保ちつつ、傍にいようと努めている。


つい最近も、同じようなことがあった。

彼らの叫びを聞いて、改めて、根本的課題が見えてきた。

はっきりとは見えないのだけど、
私の中で、ぼんやりと形作られている。

その大きくて分厚い壁が立ちはだかる前で、
為す術を失う気持ちもよくわかった。

そして、1人の人間として見られていないように感じる気持ちも。

彼らは、解決策を求めていたわけではなく、
話を聞いてほしかっただけ、というのもあるだろうけど、
私には、他人事に思えなくて、
どうにかしないといけない、と痛感した。


とはいえ、何ができるか。
たぶん、ずっと傍にいることしかできない、けど、
そうしてくれるだけで、どれだけ救われるか、
私自身も知っているから、
引き上げることはできないかもしれないのだけど、
まずは、そこからだと思っている。


誰かの役に立ったなんて、

今でも、微塵にも感じていなかったのだけど、

最近になって、

色んな人から、直接的にも、間接的にも、

「ありがとう」
「助かりました」
「心が軽くなりました」

と言ってもらえることが増えた。


その言葉を聞くと、
ほんの少しの苦みが現れてから、
それを溶かすように、甘くて柔らかい気持ちで満たされる。

みんなを抱きしめたくなる。


そして、また、人として、深く沈んでいける。

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