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進化、やめてみませんか


進化、やめてみませんか


お礼法の先生が講座で言った一言に私は「それだ」と思った。
「人間には欲があり、際限がなさすぎる」
「技術も次のためになのか、利益のためなのか地球にある資源をまるで自分たちのものと勘違いして好き勝手しすぎている」
「そこに何がないか、感じないからこそ結局は環境破壊を自ら起こしている」
そのようなことを先生はおっしゃっていた。
確かに、技術が進化したことで便利にはなった。

便利になったことと引き換えに失ったもの


携帯、今やスマホは15歳以上はほぼ持っているものだ。貧しい家庭でも食べるものがない、教育にお金を注げないという人でもスマホを持っている。
しかも、行政や企業がスマホありきで物事を進めようとしているのは私は危険だと思う。
確かに便利だし、私も持っている。
電話、メール、カメラ、ネット、決済。あらゆるものがこの一つに収まっている。
暇があればネットで検索しちゃうし、電子書籍で誰にも見られたくないマンガも読める。
わからないことはすぐこれで調べることができる。
しかし、スマホによって、私は自分で考えることが減った気がする。第六感が鈍っている気がする。スマホがないと不安になるという依存を起こしている気がする。

電気は今やなくてはならないものだ。
すべてのものの元となっていると思う。
照明、空調、料理、お風呂、洗濯、ゲーム、パソコンなどなどなど
挙げたらキリがないくらい。
でも、それらがなくなったとき自分たちが生きていけるのか。
電気がなくても生きていける基礎をもう、誰もほとんど知らないのかもしれない。
(無人島脱出だって照明がなきゃ真っ暗で魚も獲れないだろう。なぜいつも夜に獲るのか)
太陽光は太陽という自然のエネルギーを借りてるということでは聞こえがいいが、太陽光パネルを使うということで様々な問題が起きている。
森の伐採など確実に自然や田畑という食の原点を脅かしている気がする。

進化は必要?


ある程度の進化は必要だと思う。
人間は不便から考え、作りあげてきた。
私は祖父母が農家をしているから今更自然だからと言って手で植える田植えを戻したいわけではない。
田植え機は便利だし、コンバインだって必要だと思う。

しかし何事にも限度というものがあるのではないか。

もう一度、ここでストップしてみて自分たちが自然に感謝して、それを作り上げてきた祖先に感謝し、「お金」ではない、不便に困ったことに何とかして良くしようとした先人の思いを大事にしなければと思う。

今の求めるもの


今の企業や情勢は「お金」ありきで動きすぎている。
お金がないと何にもできないようにされているがゆえに「働かないと」「売上無いといけない」という思考に陥っているような気がする。

もう一度、自然と人と生きていることに感謝をすれば、本当の自分にとって何が必要か、過剰すぎたかを気づけるのではないか。

「進化、やめてみませんか」とおっしゃった、お金にとらわれない子育てをしたい方はぜひ先生に会ってみてください。


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