イミテイ

noteを通じて日々触れる物事への感度を上げていきたいと思います。

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最近の記事

何のために筋トレをするのか

「趣味は?」と聞かれ「筋トレ」と答える。 「へ~何のために?」。。。 次の答えに窮してしまいます。 具体的に言語化できなくても、変化とか成長が心地好いからなんでしょう。 ある日をひたすら頑張っても、簡単に筋肉は肥大も強化もされない。 何より大切なのは「継続」。続けていれば重量やトレーニング方法に変化が生じる。 これで完成!がない袋小路。 止めれば劣化するのみ。 だから一生続けていくしかない。 それらが醍醐味なんではないでしょうか。。 昨夜から徹夜でヘロヘロでしたが、あえ

    • 許すということ

      やっぱり勧善懲悪の物語は痛快ですね。 池井戸潤の「下町ロケット ゴースト」「下町ロケット ヤタガラス」を続けて読みました。読後感が心地好い。 「世界は誰かの仕事でできている」を体現するかのように、宇宙科学開発から下町企業まで一本の線で繋がっているイメージです。 研究開発や資金繰りなど、企業は様々な問題を抱えながらも、微妙なバランスで冷や汗をかく思いで日々を営んでいます。バランスが崩れた時、これらは大事件となる。 不可抗力なものもあるでしょう。反対に、悪意によるものもあ

      • 居場所が複数あると思えることは幸せかもしれない

        長編だけど一気に読んでしまいました。 辻村深月さんの「かがみの孤城」。 ファンタジーになるんでしょうが、フワフワしたところがありません。ズンと重たい。 苦しいシーンが続きます。 でも、やめられない、止まらない。 約7時間、ノンストップでした。 通常は勉強していても私の集中力は20分が限界です。これだけの長時間を飽きることなく没頭するのは、自力では絶対にムリ。 すべて辻村さんの文章の力によるものです。 やさしい言葉で心の複雑な動きを表現され尽くされている文章。なおかつ、しっかり

        • 経験だけからしか学ばないのは心許ないかもしれない

          直に経験しないと皮膚感覚で理解はできないものだと、最近、感じ始めています。 少し前までは、経験則でしか語らない人に対して軽い抵抗感を覚えていました。一面的にしか捉えていないのに決めつけてしまうのは、あまりに視野狭窄なのではないか、と感じていたのでしょう。そんな思いからか特段の悪意はないけれども私は聞き流していて、気がついた時には経験を伝えてくれていた人達から何も言われなくなっていました。 しかしながら物事は、理屈や正論だけで動いていく訳ではありません。頭の中で描いている通り

          サイエンスって知力よりも体力を使っていたことを思い出す

          今はぜんぜん関連のないことをしていますが。。 大学では分子生物学を専攻していました。 細胞膜のタンパク質がカルシウムやカリウムなどのイオンに反応してどんな働きをするのか?等々の研究です。 教科書には載っていない解答を探っていく、という非常に気のとおくなるようなテーマでした。 大学院に進学せず学部で卒業してしまったので、研究の入口に立ったところでジ・エンド。研究のなんたるかを語るには経験が足りないことは百も承知なのですが。。 じつは、当時、「研究って、けっこう運動量多くない?」

          サイエンスって知力よりも体力を使っていたことを思い出す

          今日はしんみりしたいです

          別れってツラいですね。 人事交流の一環として関連会社で2年間 勤務していたのですが、今日がラストでした。 「なんで自分が行かなきゃならないんだよぅ‥」などとブツクサ言いながら初日を迎えてから2年。 組織文化の違いによるズレ、説明をわかりやすくできない自分へのいらだち。ちょっとした衝突もありました。 だからこそ、これまでの自分が持っていなかった着眼点や発想に出会えて、新鮮でした。 でも、それ以上に、多くの人たちと出会えたことがスゴく大きいですね。 全部の人たちに、きちんと挨拶を

          今日はしんみりしたいです

          相手の年齢や立場で態度を決めてしまっているかもしれない

          頻繁ではないのですが、業務の一環として、幼稚園や保育園の児童と接する機会があります。そこには、おとな同士のような遠慮や忖度はありません。私の話がつまらなければ、容赦なく「集中力はプッツリ切れていま~す!」オーラを突きつけられてしまいます。 声とゼスチャーを大きめにするなど、なんとか興味をひこうとはするのですが。。なんと言いますか、かなり自分に甘く採点をしてみても、そこにはチープさしかない。 私が子どものころは、おとなの軽い下ネタレベルで大爆笑でした。ほかにも、町内の集まりで騒

          相手の年齢や立場で態度を決めてしまっているかもしれない

          有川浩さんの「フリーター、家を買う。」で背筋が伸びました👨

          タイトルから思い浮かぶストーリーとぜんぜん違う物語でした。 もうちょっとフワフワした浮わついた展開なのかなぁ、と勝手に思っていたのですが。。 読んで良かったです。さらに広くオススメしたいくらい感動的な小説でした。 家族とか仕事とか自分の気質とか。。普段メンドーなのでフタをしてしまっているテーマに向き合わざるを得ない状況に追い込まれてしまいました。 自分のテキトーさや雑さを何度も何度も反省させられました。 噛みしめながら、数日かけて思い返していきたいと思います。

          有川浩さんの「フリーター、家を買う。」で背筋が伸びました👨

          「AIDA」を埋めるという感覚

          お茶の水女子大学の名誉教授であられた外山滋比古さんに対するイメージは「発想が柔軟で表現がユニーク」「やわらかい物言いで核心をズバッと突く」といったところです。著書を数冊拝読しての何となくのものなんですけど。。 「記憶力よりも忘却力を鍛えろ!」 「美味しいカクテルを作ろうとするのではなく不味くても自分で酒を醸造することが大事!」 「わからないことは放っておけ!」 一瞬、奇をてらっているのかな?とわせられるのですが、言葉を噛みしめてみるとストンと腑におちてくるんですよね。 「

          「AIDA」を埋めるという感覚

          情報濃度が高い本

          オニごっこ、おままごと、じゃんけん、しりとり、かくれんぼ。。 誰に教わるともなく、子どもが数人集まれば、自然な流れで、これらの「遊び」が始まります。 数人といわず一人でできるジャンルもある。 時代や国の別に関係なく存在し続けています。 自由に、勝手気ままに。ではなく、「遊び」には、ちゃんと厳格なルールがあって、基本的には守られている。 例えば、しりとりは、言葉尻をつかまえて単語情報を連鎖していくゲームですが、言葉尻が「ん」になってしまったり、つまったりしたら負けです。負けの

          情報濃度が高い本

          言葉ではないサインはけっこう大事かもしれない

          noteで何かを伝えるためには、当たり前のことなんですが言葉にしなければなりません。誤解のないようにするために、言葉の意味のとらえ方の範囲を絞る必要もでてきます。かといって、あまりに個人的で具体的すぎる話だと、経験と知識がほとんど共有されていない人に対して、ほとんど伝わらなくなってしまう。抽象化を図ることで大事なポイントのみ示すとしても、よほど言葉の選択が洗練されていないと、イメージの湧いてこないものになってしまいます。この具体的すぎず抽象的すぎずのバランスは非常に難しいです

          言葉ではないサインはけっこう大事かもしれない

          筋トレと言語化

          公園の遊具をつかっての自重トレが軌道にのってきた感じです。重量的にコントロールしやすいからこそ、どこの筋肉に「入って」いるのかを意識しやすい。筋トレしながら、筋肉と「対話」しているイメージです。 限界以上の高重量に挑んでいるときは、全く余裕がないので、無心に近い状態になります。勿論、こういうトレーニングが必要なのは、間違いありません。マックスを更新することは大きなモチベーションになるので。 どこの筋肉にどれだけ力が入っているのか?懸垂ひとつとってみても、メインに働いている筋肉

          筋トレと言語化

          誤解を解くのは意外とむずかしい

          書き言葉でも話し言葉でも「読解力」はすごく大事だと思いしらされました。 ふわふわとでも会話をしていれば意志疎通が成立しているかというと、さほどでもない。流れに重きがおかれている雑談では、かなりズレが生じています。その瞬間が楽しければOKならば特に問題はないかもしれません。 ただ、流れに押されながらでも「定点観測」は怠らないようにしなければならないと思いました。 会話のテンポは守りながら、言いたいことの全部をもりこむのは不可能です。大部分を省かなければなりません。瞬間的にピタッ

          誤解を解くのは意外とむずかしい

          予想外のシチュエーションに戸惑い「言語化」まで頭が回らず凹んでます

          ちょっとイレギュラーがありまして。。 それでも相手の方はマックスの気づかいをしてくださった、のに。。 私は、軽く「えっ!」というリアクションをしてしまう失態。まぁ、でも、失態ではなく今の私の器なんだと思います。 許容できる器を大きくしたいなぁ、とつくづく感じているところです。 固執や自尊心がホント厄介だなぁ、と。 いざというときにチープな言葉しかでてこないことが悔しいですね。 もっともっと思いを言葉にできるようにしたいです。

          予想外のシチュエーションに戸惑い「言語化」まで頭が回らず凹んでます

          マンガや映画では「怒り」が良い結果に結びついている印象があるけれども現実では逆のような気がします

          タイトルで言い切ってしまった感じですが。。 特にヒーローものですね。 極悪なヴィランに対しての激しい怒りが主人公を強くする。ヴィラン以上のモンスターになって圧勝してハッピーエンド。そんなイメージです。 その残像はなかなか消えていないような気がしています。 ~誰かともめてしまった。非は相手にある。しかし、場の空気や上下関係などから、自分が頭を下げることで丸くおさまる状況。「そこを折れるのが大人の対応だぞ!」とささやく先輩の声。仕方がないので「謝罪」する。その後、ひとりになった

          マンガや映画では「怒り」が良い結果に結びついている印象があるけれども現実では逆のような気がします

          声にだしても淀みなく読むことができる文章に出会いました

          文字を目でおっていても「スラスラスラ~」と流れるように進んでいくんです。口でボソボソと音読してみても、つっかえるところがない。 驚きの読書体験でした。 原田マハさんの「星がひとつほしいとの祈り」 短編集なんですが、そのなかね表題作が、そんな驚きの作品でした。情景もクリアに浮かんでくるし、物語としても上品てありながら しっかりと心を打ってくる。 読後は「ほぉー」と感嘆するしかありませんでした。 こんな文章を書いてしまうなんて、どれだけ感覚を研ぎ澄ましているんだろう? 

          声にだしても淀みなく読むことができる文章に出会いました