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言葉ではないサインはけっこう大事かもしれない

noteで何かを伝えるためには、当たり前のことなんですが言葉にしなければなりません。誤解のないようにするために、言葉の意味のとらえ方の範囲を絞る必要もでてきます。かといって、あまりに個人的で具体的すぎる話だと、経験と知識がほとんど共有されていない人に対して、ほとんど伝わらなくなってしまう。抽象化を図ることで大事なポイントのみ示すとしても、よほど言葉の選択が洗練されていないと、イメージの湧いてこないものになってしまいます。この具体的すぎず抽象的すぎずのバランスは非常に難しいですね。

一方、仲のよい人と直接会って話をするときには、言葉の完成度に意識をシフトすることは少ない。共有できる記憶があったりすることが大きいのだと思います。加えて、声のトーン、表情や仕草、相づちのリズムなど、ノンバーバルコミュニケーションといわれる動物としての意志疎通手段。こうした言葉に頼りきらない環境が作られているからでしょう。

伊集院静さんの「機関車先生」は、瀬戸内海の離島にある生徒数7人の小学校を舞台とした物語です。主人公の機関車先生は幼少期の罹患によって喋ることができません。校長が臨時教師として招いた機関車先生は話し言葉を使わずに、生徒だけでなく島の人たちとも心をつなげていきます。手話と筆記で言葉として伝えることもできるのですが、ほんとうに大事な気持ちについては、例えば、暖かい眼差しで優しく肩をたたく、そんな仕草に込められているように感じました。言葉を口から発しないけれども、しっかりと会話ができているのです。

実際、会話では言葉を瞬間的に選択しなければなりません。なので言語化の完成度は低くなってしまいます。だけど、気持ちを伝えるのは、言葉だけではなく、表情や体の動きもあります。あえて言葉にするのを避けることだってある。会話をするとき、言外の意味も見逃さないようにしたいです。





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