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サイエンスって知力よりも体力を使っていたことを思い出す

今はぜんぜん関連のないことをしていますが。。
大学では分子生物学を専攻していました。
細胞膜のタンパク質がカルシウムやカリウムなどのイオンに反応してどんな働きをするのか?等々の研究です。
教科書には載っていない解答を探っていく、という非常に気のとおくなるようなテーマでした。
大学院に進学せず学部で卒業してしまったので、研究の入口に立ったところでジ・エンド。研究のなんたるかを語るには経験が足りないことは百も承知なのですが。。
じつは、当時、「研究って、けっこう運動量多くない?」と感じていました。
"静"のイメージを描いていたのに、フタを開けてみると意外に"動"だった。
ちょっと口にするのは恥ずかしかったので、誰にも言えずにいました。

18リットルの培養液の作成と滅菌、単細胞生物を増殖させるための培養液の撹拌、実験器具に付いたタンパク質を取り除くための高濃度塩酸による洗浄など。また、それぞれ作業する建物が別だったりして、徒歩での移動距離はなかなかのものでした。

筋トレラブが強い今とは違い、当時は大がつく運動嫌いだったので、運動習慣はゼロ。それでも、それなりに締まった身体をしていました。

そんな毎日のなか。「身体は動かしているけど、あんまり頭は使っていないよな~」とモヤモヤとした劣等感も抱えていました。
手足よりも頭を使わなければ!などと具体案も思いつかないのに、気ばかり焦る感じで。

もっとも、卒業してからは、会社の業務や人間関係に忙殺される日々を送るなかで、学生時代に抱いていた青臭いコンプレックスも忘れ去っていたのですが。

気まぐれで、先日、ジャーナリストであられた故・立花隆さんとノーベル生理学医学賞を受賞された利根川進博士の対談本「精神と物質」を読んだのですが、その中で、利根川博士が「サイエンスは頭脳労働ではなく肉体労働!」と仰っていました。"あえて"の極論であることは間違いのないことなのですが、私も"あえて"自己肯定の方へと解釈させてもらいました。

少し救われた思いがしています(^.^)


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