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マンガや映画では「怒り」が良い結果に結びついている印象があるけれども現実では逆のような気がします

タイトルで言い切ってしまった感じですが。。
特にヒーローものですね。
極悪なヴィランに対しての激しい怒りが主人公を強くする。ヴィラン以上のモンスターになって圧勝してハッピーエンド。そんなイメージです。

その残像はなかなか消えていないような気がしています。
~誰かともめてしまった。非は相手にある。しかし、場の空気や上下関係などから、自分が頭を下げることで丸くおさまる状況。「そこを折れるのが大人の対応だぞ!」とささやく先輩の声。仕方がないので「謝罪」する。その後、ひとりになったとき、怒りがフツフツとわいてくる。「あー!なんで一喝してやらなかったんだ!自分が悪くないのに謝るなんて!悔しー!」などとあまり泣きそうになる。~
この悔しさは、もめた相手というよりも、勇ましく「闘う」ことを選択しなかった自分に向けてのものに思えてしまうのです。

では、本当に一喝してしまったとき。
待ち受ける現実は…..
~場の雰囲気が気まずくなる。空気を和らげるために誰かが必死に取り繕う。相手との遺恨が残る。同情的だった周囲の人たちから「面倒臭いヤツ」認定されてしまう。口汚い言葉を吐き出すことは自分にもダメージを与えてしまう~
などネガティブばかりです。

拍手喝采を浴びる。そういうシチュエーションもあるかもしれません。
ただ、それは、しっかりとコントロールできた一喝、その後、場の空気をちゃんと自力で回収することが必要。しかし、これは怒りではなく、「怒り」の型を利用した高度なパフォーマンスにあたように思います。
「怒り」がサマになるような人ですよね。

「怒り」の弊害を一般論として書こうと思ったのですが、だんだんと自説が崩れてきました。。
結局、人によるのかもしれません。
単に、私に「怒り」が似合わないだけという結論でしたね。
尻すぼみでスミマセン。



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