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相手の年齢や立場で態度を決めてしまっているかもしれない

頻繁ではないのですが、業務の一環として、幼稚園や保育園の児童と接する機会があります。そこには、おとな同士のような遠慮や忖度はありません。私の話がつまらなければ、容赦なく「集中力はプッツリ切れていま~す!」オーラを突きつけられてしまいます。
声とゼスチャーを大きめにするなど、なんとか興味をひこうとはするのですが。。なんと言いますか、かなり自分に甘く採点をしてみても、そこにはチープさしかない。
私が子どものころは、おとなの軽い下ネタレベルで大爆笑でした。ほかにも、町内の集まりで騒ごうものなら、おじさんから「こらこら、黙って喋れ!」などとギャグを投げられ、あとはドッカンドッカン。おそらく、そういった場面の記憶が強いのでしょう。「子どもは笑いのハードルが低い!」と。
安易すぎました。たしかに、私とて、そろばん塾の先生のダジャレには、いっさい笑うことなく、冷ややかなリアクションしてましたから。。決して、なんでもOKじゃあなかった。ツボにはまるか?はまらないか?の判定は意外にシビアでした。「子どもをナメたらアカンぜよ!」 と啖呵を切るくらいに。
それなのに。。接する人の年齢が低くなるにつれて、配慮の温度も低くなっているのではないか?と思うにいたったわけであります。
ある小説を読みながら。
有川浩さんの「キャロリング」。一瞬、伊坂幸太郎の作品?と勘違いしてしまうくらいのハードボイルドな展開。抗えない運命の力によって、望んだわけでもないのに、修羅場で闘うことになっている。仕方がないとあきらめながらも、まんざらでもない空気感。。そこはおいておきまして。。主人公の30歳代男性が、ちょっと生意気な小学生男子と接するとき、子ども扱いすることなく、対等に向き合っています。それがカッコイイ。
小説に影響されてではありますが、人と向き合うときは、年齢や立場に関係なく、つねに真摯でありたい。そう思ったしだいです。
その発想じたいがチープかもしれませんが。

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