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人生は常にニュートラル(中立的)である。

みなさん、いつもお疲れ様です!
今日も記事をご覧いただき、ありがとうございます!

例えばですが・・・
二人の小学生が居たとします。

一人は体育が好きで、一人は体育が嫌い。
今日は二人とも学校で体育の授業があり、グラウンドで行うことが決定していた。
しかし、今朝窓から外を眺めると雨が降っていた。

この場合、体育が好きな小学生からすれば体育の授業がグラウンドでできないため、本来出来た事が出来なくなる可能性があり、雨が降ったことが「嫌な事」となる。

しかし、体育が嫌いな小学生からすればグラウンドの時よりも、体育の授業の内容が制限されラクになると考え、雨が降ったことが「良い事」となる。

と、考えてみると客観的に見て「雨が降った」という事象は、ニュートラル(中立的)な立ち位置にあることが分かります。

つまり、何を「嫌な事」とし「良い事」とするか、もっと言うと何に幸せを得るかそうでないかは自分の中の基準によって決まると。
あくまで人生で起こる事象それぞれに、価値が割り振られている・・・という訳ではなさそうです。

であれば、必要以上に「嫌だな」と思う事(体育が好きな子で言う、雨)に対してマイナスの価値を与えなくても良いのかもしれません。

具体的に言えば、その事象をもとに感じたマイナス感情。
それはそこまで大切に抱き続けなくても良いでしょう。

「嫌な事」に感じる事であっても所詮は中立的事象。
次の瞬間には「良い事」に変わるかもしれませんので、最低限の対策を取った後は「嫌な事」に感じる事は放置でいいかもしれませんね。

今回の記事は以上になります。
最後までご覧いただき、ありがとうございました😊


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