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マクロ思考で「問い」を磨き上げる。

こんにちは。かすとりです。

前回の投稿で、なぜ「働き方改革」などの「良いこと」は、号令だけで実行されないのか、ということを言語化しました。

前回の投稿を読み直していただかなくても良いよう結論を再掲しますと、

「良いこと」は、実際に実行された際に起こる「ネガティブなこと」が事前に想像されないまま、安易な形で声掛けだけされてしまう。

こういった性質があるので、なかなか定着しない、という結論でした。

上司が「働き方改革!」と号令をかけるときに、いざそれが実行されると、「自分が経営層に説明に行く際の手持ち資料が作成されないことになる」ということを事前に想像しないまま、声掛けだけしてしまいがち、ということですね。

そしてこれを防ぐには、

「良いこと」を行った際に実際に起きることについて、ネガティブな事象も含めて可視化し、それも考慮に入れた上で覚悟を持って意思決定することが必要である。

という結論でした。

上述の例で言うと、上司が、
「働き方改革が定着すると、俺が経営層に説明に行く際の手持ち資料が作られないことになってしまう。不安だ。しかし、働き方改革は会社にとって必要なことだ。ここは覚悟を決めて、部下に働き方改革の号令をかけよう!」

ここまでの「覚悟」をもって意思決定すること、これが重要だということです。

さて、本日は、この「良いことを定着させるには、その負の側面までを考慮に入れた上で、覚悟をもった意思決定をすべきだ」ということを、もう少し普遍化・一般化して言語化したいと思います。

これがつまり、「マクロ思考のススメ」です。


1 「マクロ思考」とは


以前の投稿でも言語化しましたが、物事には「原因」があってその「結果」があり、この法則を「因果律」と呼びます。

そして、あらゆる事象の間にはこの「因果律の鎖」が張り巡らされており、原因が結果に繋がり、その結果が次の事象の原因となって更に次の結果に繋がり・・・、と因果律が無限に連鎖反応しながら世界は動いているわけです。

私が言う「マクロ思考」とは、物事の原因と結果を小さな単位で捉えるのではなく、その連鎖反応を長い長い論理の鎖として捉える考え方です。

分かりづらいと思いますので、一つ具体例を。

よく、官僚等が不祥事を起こした際に、「官僚の給料を下げろ!」という論調を目にしますよね。

これ、「ものすごく頭が悪いな」と、私は思うわけです。

「官僚が悪いことをした!」⇒「頭に来るので給料下げろ!」

非常にミクロな思考です。

ここでは、実際に官僚の給料を下げた場合、因果律の鎖の先で何が起こるか、ということを考えることが必要です。


上の図は、「因果律の鎖」を意識して、官僚の給料を下げた先にあるものについて思考を巡らせたものです。

そしてこのように、因果律の先の先にまで思いを馳せること、それ自体が「マクロ思考」に他なりません。

官僚の給料を下げると、優秀な人材が官僚から離れ、国民サービスの質が低下します。また、官僚が立案する国策のレベルも下がるでしょうから、日本の国力が低下し、更には私たちの生活水準も下がってくることでしょう。

なお、私は官僚に特に思い入れがあるわけでも、知り合いに官僚が多いわけでもありません。官僚養護をしたいわけでは全くありません。
「ロジカルに因果を推測するとこうなるよね」というフラットな視座を提示したまでです。


2 「マクロ思考」のメリット


では、このように「マクロ思考」を取り入れることで、どのようなメリットがあるのでしょうか。

それは、「解決すべき課題がよりクリアになる」「解くべき方程式がより精緻になる」もっと言い換えると「問いがブラッシュアップされる」ということに尽きます。

上述の例でいうと、
「官僚の不祥事を防ぐにはどうすれば良いか」という問いに対し、「給料を下げる」という回答は悪手です。

そうすると、この問いは、
給料を下げる以外の方法で、官僚の不祥事を防ぐにはどうすれば良いか」という、より精緻な問いにブラッシュアップされます。

一次方程式が、より高次な方程式に磨き上げられるイメージです。

3 「マクロ思考」の効果の最大化


このように、「問いのブラッシュアップ」に繋がるマクロ思考ですが、個人の思考には限界があります。

特に、社会システム等が高度に複雑化・精緻化した現代社会においては、事象間の因果律自体が非常に複雑になってきており、個人の力でその因果律を推定することは非常に困難となっています。

ここで重要となってくるのが、「ダイバーシティ(多様性)」そして「コミュニケーション」です。

この2つは、現代の複雑化した社会においてはあらゆる文脈で重要となってくる概念ですが、「マクロ思考による問いのブラッシュアップ」の文脈においては特に大切です。

多様な主体による密なコミュニケーションを通じて多様な視点を取り入れることで、個人では把握が困難であったような因果を把握したり言語化したりすることができます。

これは非常に大切な話ですのでまた日を改めて言語化したいと思いますが、企業等では「女性活躍」「障がい者雇用」といった守りの文脈で使用されがちな「ダイバーシティ」という概念は、本来はこういった「攻め」に用いる「戦略的」な考え方なのです。

そして。

「ダイバーシティ」のセンサーによってピックアップされた因果が「コミュニケーション」によって共有され、問いがどんどんブラッシュアップされていきます。

さて、上述の通り、「問いのブラッシュアップ」とは「方程式の高次化」でもあります。つまり、このプロセスを通じて問いは、解答を出すのがとても困難な、ハイレベルなものとなっていくのです。

官僚の例で言うと、
「〇〇以外の方法で、△△の基準もクリアしつつ、▢▢の意見も十分に取り入れながら、✕✕の・・・・・、官僚の不祥事を防ぐにはどうすれば良いか」
この方程式を解く必要があります。

ご覧のとおり、これは、元々の問いに比べて非常に解を示すのが困難な問いです。

しかし。

その分だけ、この問いへの解は、提示された課題に対するクリティカルな解決方法となるはずです。

つまり、「非常に困難だが、解きがいのある問い」となっているわけです。

そしてそれこそが即ち、「問いがブラッシュアップされた」ということを意味するのです。


本日の言語化は以上です。

口で言うのは簡単ですが、実践はまた別の問題です。

私も出来るだけ「マクロ」で物事を捉えるとともに、いろんなバックグラウンドの方とフランクにコミュニケーションをとり、「問いのブラッシュアップ」にチャレンジしていきたいと思います。


なお、今回の内容も、noteを活用したダイナミック・インテリジェンス・システム「知性の曼荼羅」の一環です。




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