なぜ「良いこと」は号令だけで定着しないのか、そのメカニズム。
こんにちは。かすとりです。
世の中、色々な「良いこと」が声高に叫ばれていますよね。
「人を思いやろう」であったり、「差別はだめだよね」であったり。
しかしそういった「良いこと」は、悲しいかな、号令だけでなかなか定着しないものです。
さて本日は、そういった「良いこと」がなぜ定着しないのか、そこのところに関するメカニズムと、ではそれを実行に向けて動かしていくためには何が必要なのか、ここのところを言語化していきたいと思います。
1 「良いこと」が定着しない理由
まず冒頭で、この問題に関する私の考えを明記しておきます。
「良いこと」が号令だけで定着しないのは、その「良いこと」を実行した際に「具体的に何が起きるのか」ということに対する「想像力の欠如」、ひいては「覚悟の不在」が問題である。
そしてこれを防ぐには、「具体的に起きること」を可視化し、それも考慮に入れた議論を行い、「覚悟を持った意思決定」が必要である。
はい。抽象的過ぎて、非常に分かりづらいと思います。
ですので以下、2つの事例を通じて、上記命題を具体化していきます。
(今回は、以前私が投稿した、「抽象と具体の往復によって物事の理解が深まる」という考え方を実践する形式で叙述しようとしています。お時間がある方は以下投稿も参照ください)
2-1 事例①:働き方改革
私の所属する組織でも、この社会情勢の中ご多分に漏れず、「働き方改革」が声高に謳われています。
上長からの「改革圧力」も強く、「無駄な仕事はやめよう!」「効率的に仕事を進め、早く帰ろう!!」と言った声掛けが頻繁になされている状況です。
これ、組織人としてはありがたい状況ですよね。
効率的に仕事をするのは楽しいですし、それによって生じた余暇時間で自分の人生を豊かにすることは、長い目で見ると仕事にもフィードバックされていくでしょう。
が、しかし。
この「働き方改革」の号令を放ったその口で、上長からはこんな指示があります。
「明日の役員説明に向けて、説明用の「手持ち資料」を「念のため」作っておいてくれない?」
そう。そんな資料は、おそらく出番はありません。万が一役員から問われても、口頭で答弁すればこと足ります。あくまでも「念のため」なんです。
私はこういった指示を受けた際、「なぜ彼は、業務効率化を求めつつ、同時に、無駄な資料の作成をお願いするという、矛盾をはらんだことが出来るんだろう。二重人格?」と、不満というより、フラットに疑問に思っていました。
が、あるとき気づいたのです。
彼らは「業務効率化」を謳うときに、「その効率化の指示は、巡り巡って、自分が役員に説明する際の手持ち資料がなくなることに繋がる」ということに、気が付いていなかったのです。
つまり、「働き方を改革しよう!」という美辞麗句が実際に駆動し、現実の世界を変革した際に、自分の身にどのような影響が起こるのか、という想像力が欠如していた、ということです。
ダメ押しでもっと言い換えましょう。
彼らは本来、「働き方改革とは、自分が役員に説明する際の手持ち資料がなくなることに繋がる。だがそれでも、会社のために、それをやろう」という本来事前に決めておくべき覚悟を持たないまま、想像力の欠如した状態で「働き方改革」の号令を発していた、ということです。
2-2 事例②:ダイバーシティ(多様性)
次は少し切り口を変えた事例でご説明したいと思います。
私は映画が好きなんですが、先般、「ボーダー 〜2つの世界〜 」という映画を見る機会がありました。
(あまり有名な映画ではありませんが、以下、ネタバレを含みますので、今後見るかもしれない方は、この項目をとばして読んで頂ければと思います。)
この映画では、主人公として「醜い女性」が登場します。
この女性は、昔から異常に嗅覚が優れており、空港の税関職員としてその能力を発揮しています。
あるとき、空港での職務中に、彼女は自分とよく似た容姿の男性と出会います。そしていつしか二人は距離を縮め・・・
というようにストーリーが展開していく作品なのですが、
物語中盤、主人公とその男性は、実は「トロール」という人外の種族だった、という衝撃の展開を見せます。
さて、ここで。
「この二人は本質的に人間とは違うよ」というところを強調するため、とにかくこの二人の交流シーンが、あらゆる面から「嫌悪感」たっぷりに描写されます。
例えば、地面を指でかき分け、出て来た虫を美味しそうに食べるシーンであったり。
誰が見ても「おぞましい」と感じてしまうような、グロテスクな性行為描写であったり。
それはもう明確に嫌悪感を抱くように演出されているため、我々は自ずと「うわあ、気持ち悪い。。」と思ってしまいます。
が、私は、実はこれ、そういう風に思わせるのがこの映画の真の狙いだと考えています。
考えてみると、我々が言う「多様性を受け入れる」って、結局こういうことなんですよ。
どれだけ「多様性・ダイバーシティが大切だ」などとカッコ良いことを言ったところで、この映画で描かれるものに対して「嫌悪感」を抱いた時点で、あなたは結局本当のところ、全く多様性を受け入れられてないんだ、という。本作の「嫌悪感演出」は、そういったマインドへの試金石になっているというわけです。
「多様性を受け入れよう」という美辞麗句に、反対する人は誰もいないでしょう。しかし、多様性を受け入れるとは、気持ちの良いことばかりではありません。
具体的に・リアルに考えると、実際に多様性を受け入れるためには、普段の我々が文化的に許容しづらいようなことも、我々の生活の中に包摂していくことが求められるわけです。
私たちが食事をしている隣の席で、別の文化圏に属する方が、お更に山と盛られた虫を食べている、というようなこともあるかもしれません。
その例は極端すぎるとしても、少なくとも、我々の文化的な許容度を超えた事象を受け入れていかなければならない、ということには違いありません。
もう少し卑近な例で言うのであれば、日本的な忖度や気遣いが当たり前なあなたの所属するコミュニティに、一般的に主張の強いとされるアメリカの方が入ってきて、力強くご自身意見を主張されることを想像してください。
不快かもしれませんよね。でもそもそも、多様性を受け入れるとは、そういうことなんです。
つまり我々は、本当に「多様性を受け入れ」た場合に我々の生活にどのような影響があるのか、そこに関する想像力が欠如したまま、言い換えると「覚悟なきまま」、ただの美しいフレーズとして「多様性を受け入れよう」と主張しているだけなのです。
当然、うまくいくわけがありませんよね。。
3 打開策は何か。
さて次に考えるべきは、我々はどうすべきか、です。
とは言え、これをクリアするのに、スマートな特効薬はありません。
大切なのは、とにかく「想像力」を働かせて、美辞麗句の先にある「リアル」を言語化することです。
リアルを言語化し、そのデメリットまで含めた上で議論し、覚悟を持って実行していくこと。これにつきます。
働き方改革の事例で言うならば。
「効率的に仕事をしよう!」「無駄な仕事はやめよう!」という上司に対しては、「あなたの指示は、あなたが経営層に説明に行く際の手持資料が作成されないことを意味しますが、その覚悟はおありですか?」と伝えましょう。(当然、これをそのまま伝えるとカドが立つので、言い方には工夫が必要ですが)
私もサラリーマンとして、そのハードルはなかなか高いことは理解します。しかし。それを言語化して上に伝えるのが、上長よりも「具体の世界」に近い、部下の責任だと思うのです。
そしてその上で、上長が「俺の資料も作成不要。とにかく、効率的に仕事をしよう!」と腹を括った意思決定をしてくれたのであれば、全力で協力しましょう。
(言わずもがなですが、あなたが上長であれば、想像力と覚悟を持った指示出しをお願いします)
また、多様性の事例で言うならば。
「多様性を受け入れる」ことが、具体的にはどういうことなのか、リアルに、リアルに、深く深く思いを馳せてみましょう。
その上で、「なぜ多様性が大切なのか」改めて考えてしっかりと腹落ちさせ、その「リアル」をも飲み込んで、覚悟を持って多様性を受入れていきましょう。
以上、2つの事例を通じて解説してきました。
大切なことは、「良いこと」がもたらす良い面も悪い面もしっかりと把握した上で、覚悟をもって「良いこと」を実行する、ということですね。
さて。本日の言語化は以上です。
なお、本日は「良いこと」を号令だけにしないためにどうすればよいか、という観点で言語化しましたが、このテーマ、もう少し抽象度を高め、より普遍的、一般的な定式化が出来そうな気がしてきました。
それは、「良いことを号令だけにしておかない」というだけではなく、「社会をよりよくしていくためには、因果律を意識した、マクロ思考が重要だ」というテーマです。
こちらのテーマについても、近々言語化してみたいと思います。
本日はありがとうございました。
これはまた、次の機会に。
なお、今回の内容も、noteを活用したダイナミック・インテリジェンス・システム「知性の曼荼羅」の一環です。
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