#8. 結婚 【虹の彼方に】
指輪を買ったボクは、彼女と初めて出逢った1月29日の記念日に、改めてプロポーズをしようと心に決めていた。
彼女の仕事が終わるのが遅い時間帯なのと、高級で雰囲気のあるレストランとか全然知らなかったボクは、今まで一緒に行った中で彼女のテンションが一番高かった『ワニ料理』が食べれるお店を予約して、「2人が出逢って2年目の記念日」のお祝いをしようと、あらかじめ彼女を誘っておいた。
花束とケーキを買い、お店に先に持ち込んで、お店の人に「今日ここでプロポーズしようと思っているんです!サプライズお願いしていいですか?」と頼んだ。
お店のスタッフも、ついでに数人いたお客さんも、最初は驚いていたが、よろこんで協力してくださった。
待ち合わせの時間になり、しばらくして仕事終わりの彼女が現れた。
彼女が席に着くと、店内は暗くなり、音楽が流れ、なんだか誕生日のような雰囲気になりつつ、ケーキを持ってきてもらったタイミングでボクは彼女に指輪を差し出した。
「ずいぶん待たせてゴメンな、ボクと結婚してください!」
しかしどうやら彼女は、ボクがその日にプロポーズするのを察していたようで・・・
「ええでー!」
と、めちゃくちゃ元気に軽いノリで、ボクのプロポーズを快く受け入れてくれた。
お店のスタッフもお客さんも、みんながよろこんでくれた。
ボクはシャンパンを開けて、スタッフの方やお客さんにも振る舞った。
あの「底辺のクズ人間」だった自分が・・・
あれだけ結婚願望もなかった自分が・・・
まさかこの年齢になって、こんな素敵な女性にプロポーズする日がくるなんて!
そう思うと自然と涙が溢れてきたのを、「この時の」ボクは必死で堪えていた。
隣で彼女はとても楽しそうに、出てきた料理のワニの手に指輪をはめたりして、嬉しそうに写真を撮っていた。
彼女はこっそりボクの耳元で、
「ジョニーさん、ありがとう。大好きよ。今度はもっと雰囲気のあるお店に行こうね。」
そう言ってくれた。
やっぱりお店のチョイスは、もっと雰囲気のある店をリサーチしておくべきだったかなと反省した。
彼女にプロポーズしてからほどなくして、彼女のご両親にもご挨拶をすることになった。
とても緊張した。
ボクは、一般的に男性がお相手のお義父さんに言う・・・そう、例のあのセリフを伝えた。
そして快く結婚を認めていただけた。
ほのぼのとした雰囲気の中でお義母さんがしばらくして、
「ところでジョニーさんはなぜジョニーさんって言うの?めっちゃ日本人の顔してるやん?」と聞いてきた。
彼女はボクのことをご両親にそのまま『ジョニーさん』と紹介していたのだ。
夜の飲み屋さんでのエピソードとか、なんだか話せなくて、
「単純にあだ名なんです・・・」
で、どうにか笑って受け流した。
彼女はニヤニヤとこちらを見ていた。
またしばらくして、今度は彼女がボクの両親に会いにきてくれて挨拶をしてくれた。
ボクの父も母も「何でこんな美人な子が、こんなだらしないオッサンと結婚してくれようと思ったん?」と何度も聞いていた。
まぁ、全くその通りだと思った。
彼女はうちの両親にも「ジョニーさんがね・・・」って話すので、ここでも
「なぜお前はジョニーなのか?」という疑問が持ち上がった。
どんどん行事は進んでゆき、今度はお互いの両親の顔合わせだ。
結婚って自分達はもちろんだけど、やっぱり家同士のことだから結構大変だなって思いながらも、和やかに滞りなく顔合わせも終わった。
顔合わせが終わったタイミングくらいで、ボク達は一緒に住みはじめた。
彼女が元々住んでいるマンションに、ボクが転がり込むような形になった。
まず最初は彼女が心待ちにしていた、ボクの飼っていたウサギのちくわの引越しをした。
ワンキチと仲良くできるか心配したが、ワンキチのちくわに対する嫉妬がなかなか激しかった。
ボクの荷物は休日を利用して、少しずつ運び込んだ。
男の一人暮らしだったのでそんなに大きな荷物もなかったため、最終的には友達に少し手伝ってもらう程度で済んだ。
一緒に暮らし始めてから、彼女はほとんど毎日ボクにお弁当を作ってくれた。
栄養のバランスを考えてくれて、彩りや見た目にも気を遣ってくれていた。
彼女はボクなんかよりはるかにハードワークなのに申し訳なくて「無理しないでね、お弁当無くても大丈夫だからね。」と、ボクはいつも声をかけた。
すると彼女は「ジョニーさんには私の作ったものだけを食べていて欲しいねん。添加物に塗れたものとか絶対に食べさせたくないの。」
「人間て結局食べ物で形成されてるやん?ジョニーさんの身体を健康に保ってあげるのも私の役割だと思っているの。」
彼女と出逢うまで好きな時に好きなものを食べていたボクに「食」の大切さを教えてくれたのも彼女だった。
こうやって毎日お弁当を作ってもらえることも、結婚願望が皆無だったボクにとっては、結婚生活の幸せの一つだととても実感していた。
加えて言うなら、ボクは両親が共働きだったこともあり、弁当を作ってもらったことはあまりなかった。
ボクの住んでいた地域は当時給食の制度が無かったので、周囲は弁当の子が多かったが、ボクの場合は昼食は購買でパンを買って食べるのがほとんどだった。
なので学生時代から弁当の習慣はほとんどなかった。
だからなのか、毎日誰かに作ってもらうお弁当はとても新鮮に感じた。
毎朝机の上に置いてあるお弁当の横に、お弁当の献立と一言だけのラブレターが添えられていた。
ボクはせめてもの気持ちで、ラブレターへの返事と、ワンキチとちくわのイラストを描いては毎日机の上に置いておいた。
彼女はそれを「宝物」といって、彼女の大切なものを入れておくところに、一緒に仕舞ってくれていた。
何気ないことが幸せって、こういうことなのかなぁって実感していた。
二人で一緒に住み始めて変化があったことがもう一つ・・・
時間帯は多少ズレていたものの、一緒の布団に入って眠ることだった。
元々彼女は一人で眠ることが苦手な人だったので、少々不眠の気があった。
「ジョニーさんは一人で寝るの上手だけど、私は一人で寝るのが大嫌いなの。不安に押し潰されそうになって眠れないの。」
だから眠る前に入眠剤などの薬に頼る日がほとんどだったようだが、一緒に住み始めてから薬を飲まなくても眠れるようになったと言っていた。
それはあれだけ普段から太陽のように明るく振舞っている彼女の、数少ない影の部分だったのかも知れない。
ボクの方が起きるのは早いので、いつもボクが先に布団に入って寝ていた。
彼女が深夜仕事を終えて帰ってくると、真っ先にお弁当の準備をしてくれた。
鼻歌まじりに料理をする物音でボクが目を覚ますと、
「おかえり。お疲れさま。いつもありがとうね。」
と、必ず声をかけた。
「あ、起こしちゃった?朝早いんだからゆっくり寝ててね。」
と、必ず返してくれた。
お弁当を作り終えて、お風呂から出てきたら髪を乾かしながらテレビを少しだけ観て、布団に入ってくるのが彼女のルーティンだった。
ボクは彼女が布団に入ってきたら、いつも必ず腕枕をしてあげた。
彼女は耳元で、
「ありがとう、安心する。」
しばらくすると寝息を立てて眠ってくれた。
朝起きるときも、できるだけ起こさないように気を配りながら出ていった。
そんな風にボク達は、お互いに誰かと生活する「安心感」や「ありがたみ」を実感しながら、日々穏やかな生活を送った。
一緒に住みだして間も無くして、ボクは転職をしたことで収入が減った分を、どうにか補填しようとUber Eatsを始めた。
定時で早く帰ってきた日は自転車で走り回り、当時は今ほど配達員も溢れていなかったので、そこそこ生活費の足しになるくらいは稼げていた。
運動にもなるし一石二鳥だと、彼女もとてもよろこんでくれた。
よく配達中のエピソードなんかを笑いながら聞いてくれていた。
ボクが休みの日も午前中は彼女が寝ているので、午前中だけUber Eatsに出たりして、振り返るとあの頃は本当にとても充実していた。
そうやってボク達は互いに「愛する人と一緒に暮らすこと」を満喫していた。
「入籍はいつにしよっか?」
ボクが尋ねると、
「んー、そうね、7月28日のナニワの日でいいんじゃない?なんか大阪っぽくておもろいやん。」
そんな軽い感じだった。
そんなわけで・・・
令和元年7月28日
ボク達は区役所に、人生初の婚姻届を提出した。
こうして彼女はボクの最愛の妻となり、ボク達は正式に「家族」になることができた。
お互いにいろいろあって、この年齢でどちらも初婚での晩婚という形になったが、こうして縁があって、彼女と人生が交わることができ、念願の家族になれて本当にうれしかった。
自分達の結婚式は、もうお互い年齢も四十代だし、身内だけでひっそりと挙げようとボクは思っていたのだが、いつの間にかそこそこの規模の結婚披露パーティーの話になっていた。
結婚パーティーは少し遅れて、その年の10月26日に挙げようと妻が決めた。
「だって私、一年のイベントでハロウィンが一番好きやん?だから来てくれる人達に仮装とかしてもらったらさ、めっちゃ楽しそうやと思えへん?」
毎年ハロウィンになると必ず仮装しては楽しんでいた彼女だったが、ハロウィンパーティーのついでに結婚披露もしましょうといったノリだ。
彼女は仕事柄とにかく顔の広い人だった。
「本当はね、お互いにもういい年齢やし、私らの結婚の事なんてどうでもええねん。ただ今までお世話になった人達に、とにかく楽しんでもらって最大限の恩返しをしたいの。」
彼女の強い思いがここにあった。
「もし私達のパーティーに来てくれた人達がね、その日をきっかけに交流ができて、そこからお仕事の輪が広がってくれたらさ、もうこれが最高の恩返しになると思うし、そうなってくれるのが私の理想なの。」
なるほど、これが彼女の本音なのだと思った。
自分が苦労した時にたくさん助けていただいた人達に恩返しをしたい、せっかく来てもらったからには全ての人に絶対楽しんで帰って欲しいというコンセプトで、パーティーの計画がスタートした。
そして会場を含め、引出物や各種催しなど必要なほとんどのものを、今まで彼女と関わりのあった人達に携わってもらうことにした。
ボクはハロウィンパーティーらしく、フライヤーや結婚式の案内状作り、そして当日流す映像の編集、音響関係を任された。
結婚式を迎えるにあたって、彼女は様々な案を出してくれた。
「結婚指輪をさ、ワンキチに運んでもらおっか?リングボーイならぬリングドッグとかめちゃくちゃ可愛いやん!」
「ケーキカットってさ、あれ見た目だけで、あんなもん誰も喜べへんと思えへん?どうせやったらマグロの解体ショーみたいにして、フィッシュカットにしようよ!そしたら見応えもあるし、みんなも新鮮なお魚を食べてもらえるし、なんかおもろいやん!魚の卸をやってる人もシェフもいるからきっと大丈夫!頼んでみよう!」
「私さ、フラ踊りたいなー、ジョニーさんなんか歌ってよ!」
「もうな、これは私らの結婚式ちゃうねん!今までお世話になった人達のお仕事の輪を広げる会やねん!だから興行やと思って挑んでな!」
結婚式を興行とまで言い切った妻が、逆になんかカッコよかった。
結婚式で流す動画映像も、ボクがすべて作ったのだが、ほとんどは来賓の方々のお仕事を紹介するVTRがメインになった。
「私な、夏休みの宿題は初日で終わらせる子やってん。早く安心したいねん。だからVTRは早く作って早く安心させてね。」
・・・ちなみにボクは夏休みの宿題は最終日か、もしくは持っていかないタイプだった。
それから刻々と時間は過ぎてゆき、その間に衣装合わせしたり、ウエディングフォトを撮ったりした。
これまでのように旅行に行ったり、休日を楽しんだりする時間は少しだけ減ったが、バタバタしつつも、結婚式の準備を進めていく上で、夫婦としてとても充実した時間を過ごせたと思う。
妻に尻を叩かれ急かされながら、フライヤーや動画も完成し、当日はハロウィンなので仮装で来ていただいてもいいような案内を作った。
そしていよいよ結婚式の当日がやってきた。
前日に荷物は運んでおいた。
少し早めに会場に入って、彼女はウエディングドレスに、ボクはタキシードに着替えた。
ワンキチにもタキシードと、結婚指輪を入れる小さなリュックを着せてあげた。
ボクは控え室でお義父さんとお義母さんに挨拶をした。
ウエディングドレス姿の妻は、タキシードを着たワンキチを抱っこした。
その姿がとても美しくて、ボクは改めて惚れ直した。
ワンキチも祝福してくれているのか、微笑んでいた。
ボクはすぐに写真を撮った。
今でも一番お気に入りの写真だ。
やがて式の時間がやってきた。
ボクはチャペルの入口に立った。
最初はボクが一人で入場する・・・
その後の段取りを確認していたハズなのに・・・
直前になって急にいろいろな感情が込み上げてきてしまった。
少し前まで「クズ人間」だったこと・・・
彼女に出逢うまでは人生を諦めかけていたこと・・・
行ったこともなかった旅行の楽しさを教えてくれたこと・・・
視野が狭かったボクに広い世界を見せてくれたこと・・・
いつもボクに自信とやる気を持たせてくれたこと・・・
笑顔の大切さを教えてくれたこと・・・
様々なものを犠牲にしてきたつらかった過去のこと・・・
重い苦悩と激しい葛藤の末に転職を決意したこと・・・
あんなに「底辺」な生活をしていた自分を導き、今日この場所に立てるまで掬い上げてくれたこと・・・
こんな美人で素敵な人が、こんなボクと一緒になってくれたこと・・・
人並みの幸せを手にさせてもらえる日が来たんだ・・・
ああ、心から愛してる・・・
ああ、大好きだよ・・・
いろんな感情が津波のように押し寄せてきて、ボクはもう涙が溢れ出てきて止めることが出来なかった。
扉が開いた瞬間、いきなり新郎が号泣しているものだから、参列してくださった皆さんからは失笑が起きていた。
あの時のボクは、じつは心の中ではこう思っていた。
(わー!どうしよー!新郎なのに涙が止まらないよー!)
そんなボクを見てみんなが爆笑している。
(そりゃ笑うよねー!扉が開いたらまさかの「新郎が号泣」とかいう出オチだもん!でもゴメーン!もう無理だー!涙が止まらないよー!)
(でもまぁもういいや!笑われたって!)
(だってオレ、今スゴく幸せやもん!)
感情が溢れ出し号泣しながらも、どこか客観的に観察している冷静な自分もいた。
続いて彼女がお義父さんと一緒に入場してきた。
扉が開いた途端、彼女は楽しそうに満面の笑みでみんなに手を振りまくっていた。
(フツーは逆やよな・・・)
でもボクは、彼女とお義父さんがゆっくり歩いて来るのを待ちながらも泣き続けた。
指輪の交換は、ワンキチがリングドッグとして立派に可愛く務めてくれた。
ボクは誓いの言葉もほとんど嗚咽で言えないほど泣いていた。
対照的に彼女は常に満面の笑みだった。
そしてボクは本当に、笑ってしまうくらい号泣のまま挙式を終えた。
次は披露宴だ。
披露宴は彼女と入場しながら各テーブルを回るのだが、その間もずっと彼女は笑顔でボクは泣いていた。
席を回るたびに「新郎泣きすぎちゃうん?」と笑われ続けたが、結果的におもしろくて印象に残ってよかったのかも知れないと思っている。
仮装で来てくださっている人もいて、とても明るく楽しい披露宴になった。
たくさんの人に支えられ協力してもらいながら、みなさんいろんな催しをやってくださった。
ボクはここまで泣く新郎もなかなかいないだろうと我ながら思い、感情溢れるがままに涙を流し続けた。
ワンキチですら「ワン!」とも鳴いていないというのにね。
結局披露宴の中盤くらいまで、ボクだけがワンワンと泣き続けていた。
後日、お義父さんにも「こんなに泣く人で大丈夫か心配になったわ!」と笑われた。
みなさん本当に喜んでくださって「こんな楽しい結婚式は初めてだ。」というありがたいお言葉もたくさんいただいた。
そんな結婚式も無事(?)に終わり、二次会も少しお祝いしてもらって、ようやく落ち着いて家に帰った。
改めて素敵な奥さんと一緒になれてよかったと思うと同時に、結婚式で泣いたぶん、ちゃんとしっかり最愛の妻を支えて守ろうと、ボクは強く心に決意した。