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「好きな人がいない」と嘆く前に…

「写真に写った自分の顔」好きですか?

この質問を20-50代の未既婚男女に行いました。写真の中の自分を嫌いだと思うかどうかは、自己肯定感と密接に相関があります(ただ、写真の自分は嫌いでも、そんな小さいことは超越して自己肯定感の高い人もいます)。一般に、自己肯定感は女性>男性です。なので、てっきり写真嫌いは男の方かと思っていたんですよ。

そしたら、意外や意外、最も嫌いと答えたのは未婚女性でした。しかもすべての年代でトップです。次に既婚女性。男の方が自分の写真、好きなんですね。

そんな調査結果をベースに、では「自分の写真が嫌い」と思ってしまう未婚女性の原因と対策について記事を書きました。

マイナビウーマン連載「知らないと困る“結婚と恋愛の数字”」更新です。まずは、こちらをお読みください。

記事の中で「主人公」という言葉の真の意味についても書いています。ドラマなどての主役という意味で使われていますが、起源を辿れば禅語であり、さらに大元の起源は荘子に至ります。そのあたりもぜひ合わせてお楽しみ下さい。



その上で先日ツイッターで次のようなことを書きました。


「世の中の男性はほんと無条件にありのままで愛されたい」とかう言説を見たが、「ありのままでいい」と思える男は大抵モテるし、自己肯定感あるし、恥かくのを怖れないし、仕事好きだし、友達多い。いわゆる3割しかいない恋愛強者です。残りの7割の男は「ありのままなんてとんでもない」と思ってる。「ありのままの自分」に自信がない男は、周りの目を気にして、無意識にその場に応じてキャラを演じようとする。そして、学歴・年収・会社・屁理屈などの鎧を人一倍身に着けようとする。しかし、鎧集めに固執するあまり、いつしか自分が単なる鎧だけの存在になっていることに気付くのである。ツイッター内に生息する金のないモテないおっさんとは、屁理屈だけの存在になっているということでもある。「ありのままの自分」に自信がないのは、自己の容姿や能力の問題ではなく、自分を主観でしか見れてないだけ。自分が一番自分を知らないし、知ろうともしてない。自分を見慣れていないということ。

女性が、「男はみんなありのままの自分を愛してくれ、って言うんだよね」と思うのは、実は、そう思う男は恋愛強者で、だからこそ二股、三股当たり前、要するに、女性と付き合える男性というのは、そういう「ありのままの俺」が好きな男だからということなんですよ。これを「恋愛強者総取りの法則」と呼びます。世の中の男が全員そうではない。むしろ「ありのまま男」なんてマイノリティです。

マイナビウーマンの記事では女性向けっぽく書きましたが、自己肯定できない点では、未婚男性も同じです。上に書いたように、自己肯定できないから、いい学校に入ろうとする、いい会社に入ろうとする、高い年収を稼ごうとするわけです(この傾向は東京で働く女性にも顕著ですが)。

それが実現できた人は、なんとなくその達成感で「自己肯定感高まった」と勘違いしがちですが、それこそが状態依存の最たるもので、その状態にある自分しか肯定できていないので、たとえば会社が倒産したり、解雇されたりしただけで、自己が崩壊してしまいます。

同様に、「家族のいる自分」「父親・母親で家族の役に立っている自分」というだけで自己肯定感を得ている人も、離婚や死別という家族の状態を喪失しただけで自殺してしまったりするんです(男性の自殺率と離婚率とは強い正の相関があります)。

もちろん、喪失経験は悲しいものです。大切な人が死んでしまったとしたら、絶望的な気持ちになるのも当然です。

しかし、一方で何も喪失しない人生などというものはありません。人は必ず死ぬし、形あるものはいつかは朽ちる。「獲得したら勝ち」みたいな西洋的マッチョ思想に縛られていればいるほど、その喪失感を怖れ、臆病になりがちです。

怖れたってしょうがないものは、自分の関心から捨て去るほうがいい。

喪失感に苛まれた人がよく「自分の心に穴があいたようだ」と言いますが、それは「喪失してしまったものを、いつまでもそこにあるものだと思っているから」そう思ってしまうだけです。

ないものはしゃーない。そう考えれば喪失感は消えます。心の穴なんかなかったことに気づきます。穴がふさがったのではなく、最初からなかったのです。

そう。実は、逆説的ですが、喪失するからこそ得られるものがあるのです。獲得したから勝ちではないし、失ったから負けでもない。そう思えると、自分自身というものが、とても満ち足りたものに思えてくるのではないでしょうか。

長年の会社勤めを辞めて、文筆家として独立しました。これからは、皆さまの支援が直接生活費になります。なにとぞサポートいただけると大変助かります。よろしくお願いします。