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【曇天をゆく1】Hackney Centralとジェントリフィケーション ~ロンドンまちあるき~

こんにちは。都市計画を学ぶ者にとって、ロンドンは特別な街です。それはロンドンが史上初めて「都市問題」に直面した街であり、「都市計画」が生まれた場所だから。現在でも森記念財団の世界都市ランキングで1位に君臨するこの都市は、世界的な政治・経済・文化の中心地であり、新しい都市政策や都市運動を生み出し続けています。
この連載では「曇天をゆく」と題し、ロンドンの中でも特に興味深いエリアを紹介していきます。世界都市ロンドンはどのように形成されてきたのか、どんな問題に直面しているのか。ただ「大きい」「歴史的」「カッコいい」というイメージだけではなく、ロンドンという都市の持つ多様な文脈を感じてもらえると嬉しいです。

1. ジェントリフィケーションとは?

今回のテーマはジェントリフィケーション。英語表記のGentrificationで分かるように、地域が紳士になることを意味します(??)。正確に言うと、もともと低所得者層が住んでいたエリアに中流階級が流入し、スラムクリアランス、再開発、家賃の高騰、物価の上昇などにより既存の低所得者層が地域から離れてしまうプロセスのことを指します。

ジェントリフィケーションは1960年代のロンドンで初めて確認され定義されました。第二次世界大戦後、鉄道網の発達やモータリゼーションの進行により裕福な人々は郊外に移動し、過密で不衛生な都心部には低所得者層が残されていました。しかし1960-70年代に作家やジャーナリストなどリベラルな知識人が都心に流入し始め、小規模かつ散発的ながら18-19世紀の立派な建物を修復して住むようになります。この時期のジェントリフィケーションは「第一の波」と呼ばれ、Barnsburyなどが代表的な例です(今度行ってみたい!)。
「第二の波」は1970年代後半から1987年にかけて訪れました。今回は街全体が変化する大規模なもので、Local Councilの関与も影響するようになります。Camdenなどが代表例です(まだ行ってない!)。一方で、Southbank(テムズ川の南岸)ではジェントリフィケーションに抵抗する運動も発生しました。
「第二の波」が不動産市場の崩壊により終了した後、1990年代中盤から始まった「第三の波」より大規模かつあらゆる場所で発生しました。Local Councilのみならずデベロッパーや中央政府といったアクターが登場し、経済発展の原動力としても期待されました。そしてジェントリフィケーションはロンドンや欧米の大都市だけのものではなく、地域やサイズに関わらず世界中のあらゆる都市で見られる普遍的な現象となりました。

このように、最初は小規模かつローカルに発生したジェントリフィケーションは、時が経つにつれより大規模かつ普遍的な現象へと変化してきました。地域が小奇麗になり、高価なお店が立ち並び、犯罪が減少する一方で、多くの人が住む場所を失い、既存のコミュニティが消えていきました

今回はこのジェントリフィケーションに注目しながら、イーストロンドンの街Hackney Central(ハックニーセントラル)を紹介します。

2. Hackney Centralの概要

Hackney Centralはイーストロンドンに位置し、Lodnon Borough of Hackney(ハックニー市)の政治的中心地です。イーストロンドンはロンドンの中でも工業が盛んだったエリアで、移民の割合が高い地域です。一般的には交通の便が悪く、低所得者が多く、治安が悪いというイメージを持ちます。また近年はオリンピックなどを契機に再開発が進んでいるエリアでもあります。

写真1 Hackney Central駅の入り口
Hackney Councilのホームページより

Hackney Centralはそんなイーストロンドンの典型と呼べるエリアです。かつてはロンドンの中でも治安が非常に悪く最貧地域とされていましたが、1990年代以降ジェントリフィケーションが進みました。下の図のように犯罪率は現在でも高いままですが、そこまで危険を感じることはありません。

図1 現在でも犯罪率の高いHackney Central
https://www.plumplot.co.uk/London-violent-crime-statistics.html

街の中心には商店街があり、小売店が立ち並ぶだけでなく劇場や市議会もあります。その周囲は基本的に住宅街であり、街の中心に近いほどGentrifyされた住宅が多く、(特に東側に)遠ざかるほど貧しかった時代の空気が残っている印象を受けました。加えて、大学のあるBloomsbury周辺と比較すると明らかに移民が多く、また中学校や高校が数多くあり多くの学生が街を活気づけていました。

写真2 商店街の様子

3. Hackney Centralを象徴する写真

それではHackney Centralのまちあるきを始めましょう!駅を出てすぐ東に向かうと、Overground(鉄道)の高架に沿って倉庫跡があります。現在は倉庫跡にいくつかのレストランやパブが入り、Bohemia Placeという横丁的な場所になっています。月に1回程度の頻度で市場も開かれるようです。その一角で見つけたのがこの写真。

写真3 Bohemia Placeで見つけたGrafitti

ニューヨークのブロンクスで生まれたヒップホップ文化を象徴するストリートアートであるGrafittiは、イーストロンドンのアイコンでもあります。前述のように移民が多く所得水準も低いイーストロンドンでは、至るところでGraffitiを見ることができます。この写真は単純に「きれいだなぁ」と思って撮影したものですが、あとで見返すと興味深いことに気づきました。

手前の2つの作品は店舗のシャッターに描かれたもの。つまり店の所有者がアーティストに依頼した可能性が高い、いわば"Authentic Street Art"です。一方、その奥には見えにくいですがトンネルがあり、多くの落書きのようなGraffitiが見えます。人通りが少なく、向こう側が放棄地だったこともあり、トンネルをくぐるのは少し緊張しました。こちらは言わば"Unofficial Graffiti"です。

ジェントリフィケーションには地域の特徴をアピールし投資を呼び込むことが不可欠です。倉庫跡を改修した横丁であるBohemia Placeに依頼されたアーティストが描いたGraffitiは、外部から訪れる人々に「イーストロンドンらしさ」をアピールする商業的な「作品」でした。そして、その奥に無造作に書かれた無数のGraffitiは、ジェントリフィケーションによって変わりゆく街から取り残された人々を示しているように感じました

4. 「普通の」Hackney Central

とはいえ、街はこんなに特徴がある場所ばかりではありません。言い方が正しいかはわかりませんが、特に目を引くものがない、特徴がない場所を知ることこそ、真にその地域を理解することだと思います。ということで、一旦まちあるきを中断して、解説する内容がない「普通の」Hackney Centralの景色を一挙に紹介します。

写真4 高校の近くにあった小さなお店たち。ジャマイカの国旗がデザインされた看板のお店はカリブ海料理店で、地域の文化の多様性を感じさせる。
写真5 洗車所。新しい建物(左奥)と古い荒れた建物(右)が混在している。手前の見切れている犬小屋で犬に吠えられて怖かった。
写真6 街の東側にある団地
写真7 モダンなデザインの高校。カッコいい。学校が多かった。


写真8 ヒョウ柄にデコられた車と家
写真9 ハロウィンを祝う家。かわいい。
写真10 Overgroundの高架近くの放棄地と落書き

5. ジェントリフィケーション住宅編

まちあるきに戻ります。今回のテーマ、ジェントリフィケーションの主役は住宅です。街の東側を歩いているとこんな建物を見つけました。

写真11 The Textile Building

この建物の名前はThe Textile Building。その名の通り、かつて有名な繊維工場だった建物をそのまま住宅にリノベーションしています。大きく空いた窓がかつての工場の姿を思わせますね。不動産サイトで調べてみると内装はなかなか豪華。なんと1億円以上します。ビックリ。このように、工業用地だった歴史を伝えるこの高級住宅は、Hackney Centralにおけるジェントリフィケーションの典型と言えるでしょう

お次はこんな住宅(写真12)。特別古くもなく新しくもない建物ですが、この辺りにしては珍しくガレージが付いており(通常は向かいの道路に車を停めている)、左側のクルマはベンツです。おそらく古くから残る建物で、1990年代以前は階ごとに労働者が住んでいたであろうところに内装をより豪華に改装し、3階建ての富裕層向け住宅になったものと思われます。内装をリノベーションしている場合は外側から見るだけではわかりにくく、停まっている車種などで判断するしかないのが難しいところです。

写真12 中心部の住宅

駅のすぐ近くにある住宅街はこんな感じです。

写真13 Graham Roadの様子。Google ストリートビューより引用

ただし、富裕層や中流階級の人々が住んでいるという事実は必ずしもジェントリフィケーションを意味するものではありません。「かつて住んでいた人々が直接的・間接的に追い出された」というプロセスが最も重要な要素であり、街を継続的に観察しない限りそれを見分けるのは本当に難しいと感じました。ロンドンにも今昔マップがほしいですね、、、。

6. ジェントリフィケーション文化編(ファッションブランド)

地域に住む人が変化すると、周辺にあるお店も変化します。例えばチェーン店が増え、高所得者向けのブランドショップや高級レストランができるようになります。そして地域の物価が上がると自然に既存住民である低所得者層は住みにくくなり、地域を離れざるを得なくなります。

今回注目したのはファッションブランドです。まず駅の東側を歩いていると、老舗高級ファッションブランド、BURBERRYの店舗がありました。

写真14 イーストロンドンに似つかわしくないBURBERRYのお店

またもう少し歩くと、どこかのファッションブランドのアウトレット店がありました。倉庫を改修したみたいですね。

写真15 真ん中の建物がアウトレット

これだけでジェントリフィケーションというのは少し雑だとは思いつつ、やはりこのようなブランド店はかつてのイーストロンドンのイメージとはかけ離れたものです。写真10のような歩くだけで少し怖い場所の近くにあるとは考えにくいでしょう。

最後に紹介するのはThe Textile Buildingに入っていたRAEBURNというファッションデザインスタジオです。この新しいブランドは捨てられた布を使って服を作っているそうです。このような若く挑戦的な会社が拠点を置くのは、ちょうど渋谷にスタートアップが集まっているように、Hackney Centralが活気ある魅力的な街として認識されていることを示しています

写真16 RAEBURN Lab

7. ジェントリフィケーションの光と闇

さて、ここまでジェントリフィケーションという視点からHackney Centralを紹介してきましたが、最後にその光と闇を感じた場所を紹介します。

駅の東側に10分ほど歩いた場所にあるBridge House and Marian Courtは、古くなった公営住宅を解体して新しく作られたマンション群です。金色の柵で囲まれた広いバルコニーが印象的です。

写真17 Bridge House and Marian Court

道を挟んで反対側にも同じMarian Courtという名前の公営住宅群があります。しかし、それらのうちいくつかは既に解体され、Graffitiや壊れた窓で彩られた建物が1棟、荒廃した土地の中に建っていました。

写真18 荒廃したMarian Courtの公営住宅。いくつかの建物は解体され、Graffitiが一面に書かれた建物がたたずんでいる。
写真19 逆側からの様子。窓が壊れている。

いずれこの建物は解体され、だだっ広い荒廃地が整備され、写真17のようなモダンな住宅が建つのでしょう。しかし、どんなにその建物がモダンでカッコよくてキレイでも、僕はその場所にかつて窓が壊れ落書きで満ちたレンガ造りの冴えない建物があったことを、忘れることはできません。

「学ぶ」ということは自らの想像力を広げることです。ジェントリフィケーションという概念は、新しい住宅が立ち並ぶイーストロンドンの街区を見たとき、その背後に荒廃した公営住宅の姿を、そして苦しいながらもその地域で生まれ育ち働いてきた人々の姿を想像させてくれます。

ジェントリフィケーションは都市を作る者にとって呪いのようなものです。それは、魅力的な空間を作ってしまえば、今そこに住む人を追い出し、コミュニティを破壊してしまう危険があることを示しているから。どうすればコミュニティの維持と魅力的な空間創出を両立できるのか。それは制度にできるのか、また制度にするべきなのか。そして、私は誰のために都市を作るのか。世界中でデベロッパーや行政が積極的に再開発を行う、ジェントリフィケーション「第三の波」の只中にいる今だからこそ、その行為の意味を考えなくてはいけないと感じたまちあるきでした。

訪問日:2022年10月31日(月)
執筆日:2022年11月2日(水)

※追記
Marian Courtについて調べたところ、こちらの記事を発見しました。すべての入居者が退去しないままに解体作業を進めてしまい、問題になっていたようです。興味のある方はぜひ読んでみてください。
https://www.hackneycitizen.co.uk/2021/02/24/activists-appalled-town-hall-demolishing-marian-court-family-living/

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