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【中国大都市見聞録3】香港 - この街に魅せられて

香港に来るのは高校3年の夏以来4年半ぶり。あの時と同じホステルに泊まり、同じ街を歩き、自分の都市への視線が少しずつでも確実に成熟していることを感じられた。この記事では自分の視線でとらえた香港を記していく。


行程

【1日目】
①深水埗(Sham Shui Po)~佐敦(Jordan)まで、MRTの観塘線(Kwun Tong Line)沿いに九龍半島中心部を歩く
【2日目】
②石硤尾(Shek Kip Mei)~九龍塘駅まで、九龍半島北部の公共住宅団地エリアを歩く
③九龍塘→沙田へ、沙田ニュータウンをめぐる
④沙田→大埔へ、歴史的街並みと大埔ニュータウンをめぐる
⑤太和→金鐘へ、香港島北部の中心街を歩く
⑥銅鑼灣→太古へ、Monster Buildingなどを見る
⑦Quarry Bay→觀塘へ、觀塘で夜ご飯を食べる

論考

この街は世界一高密度な大都市で、都市に集まって暮らすという人類4000年の営みの1つの到達点であり、都市の素晴らしさと矛盾がこれ以上ないほど顕著に表れている。

ストリートは活気に満ち溢れ、MTR(地下鉄)でどこへでも行ける。どこに行こうとグラウンドレベルには商業機能があるし、屋台街を歩くのは本当に楽しい。国際的なビジネス拠点でありつつ、飾らない庶民の街が広がっている。グリッドを基本としつつも、丘陵地と高層ビルで閉じられた景観が賑わいを加速させる。日本と同じような価格の小奇麗な飲食店もあれば、とてつもなく安い屋台もある。

空港からホテル最寄りの深水埗駅に着き、地上に出た途端にこの人の多さ。度肝を抜かれる。深水埗は電化製品街として有名で、異常な安さのお店が並ぶ。
九龍半島の屋台街。食事ではなく雑貨や電化製品のお店が基本。営業が終わると右下のように畳まれている。

一方で、路地裏で寝ていたり荷物を荷車で引いて暮らしたりしている人はいるし、ケージハウスで生活する人もいる。この街の矛盾は不動産価格の高騰として表れ、市場の動きで市民の生活が振り回される。価格が高騰すれば更に劣悪な住環境を受け入れざるを得ないし、低下しすぎればローン支払い額が資産価値を超える矛盾が起きる。香港市民は1つの単位としてのスケルトンを様々な形で共有し、家族や友人同士で頼りながら、この世界一高密な都市で寄り添って暮らしている。

この街のもう1つの特徴は、グローバル資本と中華の雑然とした活気が調和していることだ。唐楼の古びたファサードからは、資本は海外でも、都市の中身は中国人が作ってきたことがわかる。この街の異常な熱気と活動量は、中国大陸の雄大なエネルギーを小さな島の小さな平地に押し込めたことに由来する。街のサイズは小さくとも、高層建築の連続、巨大団地、まとまったブロック、片道2車線以上の街路など、街を構成する1つ1つの単位は巨大で圧倒される。それでいて、金融街で働くために世界各地から来たビジネスパーソンたちも、この街に見事に溶け込んでいる。

そして、香港の郊外ほど効率的な都市生活を実現している場所は他にない。山がちな新界に点在するわずかな平地を埋め立てて生まれたニュータウンでは、駅がショッピングモールと直結し、基層階の商業施設とその上にそびえたつ『輝ける都市』のような高層住宅群のユニットで都市が構成される。グラウンドレベルは自動車に最適化され、歩行者は駅直結ショッピングモールから3階部のペデストリアンデッキと立体交差の地下通路を通って移動する。このような徹底した歩車分離は、旧宗主国イギリスの戦後公共住宅や大都市郊外ニュータウン開発(Milton Keynes等)との類似性を感じさせる。旧宗主国イギリスの影響を受けた歩車分離形態と、過剰な人口密度による『輝ける都市』的な高層建築群、そしてトップダウン型の都市・交通計画で実現されるTOD(Transit Oriented Development)、これら3つの要素が合わさり、香港のニュータウンが成り立っている。

沙田ニュータウン中心部の様子。3階部は駅から直結する商業施設で、ペデストリアンデッキでつながれている。その上に高層住宅が乗っており、マンションの出入り口はグラウンドレベルにある。

ニュータウンは単一ユニットの水平方向・垂直方向への拡張でできており、いまだ計画都市の匂いが色濃く残っている。アレグザンダーに言わせれば、ツリーのままで、セミラティスではない。この高層建築群が、いつの日かこの土地の人々に住みこなされ、九龍半島のそれのように土地に紐づいた景観となるのだろうか。

左の2枚は大埔、右は沙田ニュータウンの沙田第一城エリア。にょきにょきという音がする。基層階の商業施設とその上の高層住宅というパターンは中国本土でも見られる。

香港では土地が国有されており、開発用地の放出は政府がコントロールしている。土地供給が限定されることで価格が異常なまでに高騰し、もはや超高層住宅以外で採算を取ることはできない。同じような高層建築群でも、九龍半島にはまだ香港らしさが残っているように感じるが、香港島は資本の流入に伴って建物が更新されていき、街が個別の資本の集合体へ解体され始め、マンハッタンのようになりつつある。国家安全維持法の施行により人口流入には歯止めがかかったが、未だ多くの人が劣悪な環境で居住していることを鑑みれば、住宅開発の波はこれからも続いていく。大埔や深水歩に見られたその土地らしさもいずれ解体され、利便性と住宅供給量を最大化した均一な街になっていくのかもしれない。

香港らしさが解体されていく香港島。ファサードの連続性が失われている。香港らしさを九龍に見出しているからこう感じてしまうのだろうか。裏通りは九龍と似た景観をしている。

香港の好きな景色

香港島と九龍半島のMRT駅は駅ごとに異なる色のタイルで装飾されている。色も文字もかっこいい。全駅ホームドアを完備している。
竹で足場を組み立てるのが香港スタイル。コストが圧倒的に安い(鉄骨の1/5!)、軽量でしなりやすいので組み立てが簡単、湿気に強い(鉄はさびやすくなる)などの理由がある。ちなみに竹の組み立てには国家資格が必要で、通常の建築作業員より給与が高い。竹柵職人になるための専門学校まであるらしい。マンハッタン化している香港島も、超高層しかない埋立地でも、竹の足場があるだけでここが珠江デルタのいち都市であることを思い出させてくれる。
この街ほど嗅覚に訴えかけてくる都市を私は知らない。匂いの元は大抵乾物か鮮魚店だ。特に乾物屋は町中にあって強烈なにおいを発している。公共住宅の基層階等にあるマーケット(街市)には地元の鮮魚店、肉屋、八百屋が集い、買い物客でにぎわう。こちらも初めて来ると面食らう強烈な匂いを発している。広州までは匂いがある都市だったが、長沙以降はあまり匂いを感じなかったのは、海産物がなくなるせいだろうか。
高層の公共住宅団地内部にある街市(公設市場)。1858年の街市法のもと、公衆衛生の確保や公正な売買の管理を目的に公設の市場が作られ、コミュニティの中心として周辺に高密度な都市が作られてきた。ショッピングモールが普及した現代でも生鮮食品購入の主流だが、2000年代以降は若干減少している。この街市のような住宅との複合型、公共施設との複合型、3階建ての市場が単独で建っているパターン等がある。1980年代には単独型が多く作られたが、現代では市場機能より公共機能が重視され、新設の街市は路上屋台を収容したフードコートタイプが多く、民間開発で併設される傾向にある。香港島北岸等グローバル資本が浸透した地域では役割を終えて保全の対象になりつつある※1。
昔ながらの香港の建物(=唐楼)は2-3階部でセットバックしている。右は大埔の歴史的なエリアで、2階建てのショップハウス(1F店舗+2F住宅)が建物更新の際に中層化し、歩廊だった部分にまで増築されている。左上は九龍半島中心部で、どの建物も15階くらいで連続している。左上のような中高層の唐楼も同じような経緯でできているのだろうか、よくわかっていない。ちなみに大量の室外機があるのはビルが建てられた1950年代よりも後にエアコンが普及したため。

※1 宋・木下(2021)香港の公設市場を中心とした高密度街区におけるビルディングタイプおよび居住者の混在に関する研究. 日本建築学会計画系論文集86 巻 781 号 p. 937-947

香港に関する著作からの引用

高層高密都市に潜む──ホンコン・スタイル | 木下光

コンパクトでかつ高密な都市空間である香港は、人々にとって都市そのものが住居である。住居は生活の中心というよりは一部で、屋外での生活と住居でのそれは限りなく等価である。

香港は非常識的な職住近接を都市レヴェルで行なっている、ダメ建築の集合体、すなわちダメ都市とでも言ったほうがふさわしい。(中略)香港の職住近接は衛生や健康という観点から異なった機能を分離して配置した近代都市計画の空間にわれわれが慣らされているがゆえに非常識と捉えてしまうだけで、膨大かつ急激な難民社会やショップハウスに代表されるよう職住一致を重んじる中国人の価値観、さらには東京以上である地価といった香港のさまざまな文脈からすれば、至極自然な結果なのでもある。

香港の都市空間をしばし観察していると、都市とは、私性の集合体ではないかとノリの地図やCIAMの概念と正反対のことを思ってしまう。(中略)都市と住居における公私の関係が明確に逆転しているということは言い切れないが、住居から溢れ出す私性を受けとめるための空間、これこそが香港という都市の立脚点であり、都市空間を浮遊する私性を流したり、受けとめたりする仕掛けが建築やそれに類するものとなっている。

日本は世帯の形、あるいは家族の形にヴァリエーションがなく、香港は核家族以外における世帯の形が非親族世帯の高い数値に代表されるように複雑であり、その結果香港のインフィルはスケルトンと対照的に多様である。それは、スケルトンというシステム・レヴェルに住居デザインをとどめ、いかなる世帯構成でも対応できるようにしているとも言える。

ワンルームから人数分のベッドスペースによって島のように残された空間は、共有空間ではなく、残余空間なのである。その使われ方は食事をとったり、テレビを見たりということになるのであるが、これだけをとらえてリヴィング・ダイニングだというのは部分的には合っているのだが、本質的な空間の派生レヴェルにおいて、まったく異なるものと言うべきであろう。

日本ではいつしか、住宅はシンボルにしかすぎないリヴィングという名前の空間を核としてつくられ始め、ワンルーム=マンションがその嘘を暴く矛盾に満ちた構造になっている。ワンルームとはわれわれ社会がそのようなものに五万円も六万円も払えるのだという豊かさの象徴であるとともに、血縁による家族以外の共同生活のあり方を実験させることなく、根こそぎ単身者を収容してしまう箱でもある。この箱がないという仮定を設定したとき、この八人の住まい方はスケルトンのあり方をも提示してくれるのである。

住宅を人と共有する、共同利用するという行為は、香港において特別なことではない。狭い土地に高密度に暮らすという条件に、持つものと持たざるものの格差が大きい植民都市の社会構造が加われば、必然的なことかもしれない。しかし、かつては貧困がそのべースにあった。いまはケージホームがそれを唯一示している。その代わりにシェアと言えるくらい、悲壮感は消えた。この空間の共有はスケルトンを選ばず、さまざまなかたちで今日も続いている。

社会が豊かになれば、人は縁を頼らなくてもよくなるのかもしれない。しかし、利益を伴わないものとしてのコミュニティもあっていいだろう。それは本来の家族の姿かもしれない。毎日、明けても暮れても続く麻雀は、麻雀に意味があるのではなく、時を共有するということに意味があるように思えてならない。空間を共有するということは実は本来の目的ではなく、時を共有するためのひとつの結果として、空間の共有があるのだ。

香港の住宅事例を通して言えることは、都市とは多様な人間が住む場所であるということである。単身者や拡大家族、あるいは非親族世帯など、多様な人の組み合わせを受けとめるものこそ都市であり、(中略)香港の事例から、われわれは共有する前提としての家族や行為が幻想にすぎないこと、そして空間の共有とは前提ではなく、結果にすぎないことに気づくだろう。住宅を集合させた集合住宅の型、すなわちスケルトンは単一にもかかわらず、その住まい、すなわちインフィルは多様である。

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