Who is 千代?

音楽家(ベース、歌、ラップ)
これまで別名義で活動をしていたが、昨年、ソロプロジェクトとして「千代」名義での活動を開始。自己肯定感の低さからか、活動のペースが超スローなのが悩み。(これについては改めて詳しく投稿します)

過保護気味・過干渉気味の両親の元で育つ
これは、あまり人には言いたくないことではある。自立してないって、かっこ良くは無いもんね。でも、三十歳を目前にして、遂に、一人で悩んで生きることに限界を感じカミングアウトを決意!
私の両親は愛情深く、そしてかなり心配性だ。私は長女と言うこともあり、そんな両親からのありったけの愛情と期待と心配を無防備に全部受け止めていた。正直、最近まで、困った時は親がなんとかしてくれると心のどこかで思っていたし、未だに自分は本当に何も達成せずに死ぬと絶望することもある。そんな私の葛藤を、大まかに共有するネ。

過保護・過干渉の何が悪いのか?
親が手を差し伸べたり心配を口にする度に「自分は心配される存在なんだ」「自分は信用されていないんだ」と、子どもの心には小さな擦り傷が残る。そして、大人になる頃には心は傷だらけ、自分の選択に自信が持てず、何をやっても前に進めなくなるらしい。
(一つ明確にしたいのは、私は親を責めたり悪者にするつもりはないということ。正直、「毒親」という言葉は好きじゃないので使わない。私にとっては、これからどうしていくのか、それだけが重要だから。詳しくはこの後!)

赤裸裸告白!精神的自立までの道のり
【小学生時代】
低学年の頃、帰り道に家まであと数百メートルのところでよく仕事帰りの父が車で拾ってくれた。長い坂道を上る小さな娘の姿に耐えられなかったのだろうが、子どもながらに過保護な親だなと思っていた。
高学年になり電車で友達と出かけるときには、「誰と行くのか」「何時の電車に乗るのか」は絶対に報告しなければならなかったが、友達は「親からそんなこと聞かれない、千代ちゃんち…凄いね...」と言われ、うちの親は過保護だと確信。
【中学生時代】
中学二年で女子バスケ部を辞め帰宅部に。ベースの練習を始める。
親からは「嫌なら無理してやらない方がいい」と背中を押された。退部をきっかけに友人関係が気まずくなり、保健室登校気味に。
【高校時代】
二つの塾に通わせてもらい高校受験は難なく通過。むしろ成績優秀(お金かかってっからね)。軽音楽部に入部しコピーバンドを2つ掛け持ち。自宅学習の習慣がつかないまま進学校へ入学したため進学校のペースについていけなくなり、高2で不登校に。この頃、抑うつの薬を服用したり、リストカットを経験。進学校に居ながら、美術大学への進学を決意。美術部顧問の推薦で某美大にAO入試(面接)ですんなり合格。
【大学時代】
大学進学を機に山から上京。美術の基礎的な知識やデッサンの練習を十分にせずに入学したため、虚勢を張る癖がつく。大学でも軽音楽サークルに入り、ギターを練習し始める。
【フリーター時代】
会社員は肌に合わないと就活をせずフリーターの道へ進む。自分は音楽の道に進むんじゃ!と公言するも、曲が全く作れない。結局、誘ってもらったバンドに入り、バイトをしながらのバンド活動の日々。自主性が無く、何においても「やって」と頼まれた事を、何でも断らずにひたすら一生懸命やっていた。むしろ、そうすることで精神を保っていたのかもしれない。
【実家に帰る】
ここからが本題!長文スマン!人の人生、一言では足らぬよ!!
バンド解散を機に実家に帰ることに。当時の私の内情としては、自分の選択に(言う事すら!)自信が持てない、人の目が気になって誰にも会いたくないという思いがほとんど。逃げるように東京を去った。
実家に帰ると、親が仕事を用意していた。私はしばらくゆっくり過ごしたかったが、親は地元の目が気になったのか、娘が「無職」なのが耐えられなかったのか、結局、当たり前のように家業の手伝いをすることに。業種は最も苦手な事務と接客。話の合わない主婦達に囲まれながら、不慣れなのと緊張とで失敗を繰り返した。不甲斐なさと情けなさで、本当に辛かった。加えて相変わらず音楽活動は進まず自分に絶望する日々。何かしなければともがく様に創作に取り組むも「何をしているの」と親が部屋に突撃してくる。何かにつけて何をしているのか聞いてくる。東京で会った男性との結婚を機に両親とは別居するも、職場で毎日顔を合わせる日々。我慢が限界に達し、両親との関係改善に取り組み始める。
やったのは、主にこの4つ。細かい事は今後追って共有します。

①過保護・過干渉について調べる
②金銭的自立を目指す
③自分で選択する
④現状を両親に認識してもらう

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①過保護・過干渉について調べる
諸々調べるうちに見つけたのがこのブログ。かなり救われました。

②金銭的自立を目指す
バイト時代に培った経験をつかって資格を取得。地元の人を相手に規模は小さいながらビジネスを始める。自分は人の役に立つという実感がかなり自分の精神に良く働いた。自分の力でお金が作れるという事実を作る事が大切。

③自分で選択する
過保護・過干渉に育った人の特徴として、何かにつけて「了承を得ようとする」そう。(例えば、これやっていい?今日でかけていい?等)。自分にその傾向が見られたため、「今日はこれをやる」と言葉尻を変えたり、或はいちいち報告をせず、自分で勝手に行動をするようにした。大抵の人によっては当たり前の事でも、自分の選択に自信が無い人にとっては意外と見落としがちなことかもしれない。

④現状を両親に認識してしもらう《ここがクライマックス》
これが一番大変だけど、一番大切。両親が冷静に話を聞いてくれるように、彼らの傾向を良く観察し、確実に言葉が胸に届くように下準備すること。こればかりはその親によって違うことだと思うけれど、一応、私の場合を共有する。まず必要なのは、自分の歴史を正確に認識して整理すること。メタ認知という言葉も最近聞きますが、ジャッジせず、俯瞰して、何が起きていたのかを理解することは、自分を知ることにもなる為とてもお薦め。
次に、親の様子を見ながら小出しにジャブを打つこと。いきなり「私の歴史はこうです!」と話すと、「あなた方の子育ては上手くいってません!」という現実を両親に突きつけるようなものなので、受け止めてもらうのは難しい。私の両親は、有り難い事に元々話が通じる方だったが、「親離れ・子離れ」についてちゃんと考えようと一生懸命父と話し合いをした翌日に「子離れなんかしなくていい!」と言われてしまう始末…。私はその時、「何十年もその調子で生きてきた大人を変えるのは不可能なんだ」と察し、相手を変えることは諦めた。
そして、29歳目前のある日、親子3人で顔を合わせて話し合いの日を設けた。彼らの心に届ける為に使った私の言葉はこちら。
「これから私が話をすることは、二人にとっては耳が痛いことだと思う。でも、私はお父さんとお母さんに変わって欲しいわけでもなく、謝って欲しいわけでもない。お父さんとお母さんにとって私は初めての子どもだし、娘が29歳になるのは二人にとっては初めての経験。全てが初めてのことだったから仕方が無い。でも、今日から私は、自分の選択、自分の責任で自分の人生を歩みたい。これからも近くで暮らしていく以上、その為には、これまで私に何が起きていたのかを知ってもらう必要がある。今日は、話し合いというより、私が前に進む為に、私の我がままとして、私の話を聞いてもらいたい。」そして、上記の、小学生からその日までの自分の内情を、感情的にならず、淡々と伝えた。言葉には細心の注意を払った。誰のせいでもないということを何度も強調した。親も自分も責めない。仕方が無かった事だという意識で話した。良かれと思ってやってくれたことだと思うが実際はこう思っていた、挽回するチャンスはあったはずだが現実から逃げたのは自分、でも正直自分にはその力が無かった、それには子どものころからの過保護・過干渉が影響してるというのは、上記ブログから見ても、あり得ることだと思う…と。そして最後に「今日から私は勝手に生きます。」と話を締めくくった。
父は、「自分の事をこんなに淡々と語れるなんて関心した」とトンチンカンな事を言っていたが、そういう、現実を受け止められない人だと知っていたので、ちょっと引っかかったが、流した。母は、ずっと俯いていた。数日、私と顔を合わせるのが辛そうだった。申し訳なさもあったのかも知れない。

これは私の持論だが、子どもは親を育てる為に生まれるのだと思う。生むのも育てるのも苦労しか無いのに、本能的についつい作ってしまう子ども。まるで自ら課題に突き進んでいるかのようだ。
私には妹が二人居て、この話し合いをしていた当時、末の妹への過保護・過干渉は見ていられない程だった。妹の為にも、親には自分たちがしていることの意味を知って欲しかった。そして、両親がこの事を知らずに死ぬのは同じ大人として気の毒だと感じていたところもあった。上から目線に感じるひとも居るかもしれないが、私は素直にそう思っていた。

この話をすることは、私だけでなく家族の為に必要なんだという責任感があった。それが勇気につながったのかもしれない。

さて、これでやっと私の私による人生は始まったのだ。

29歳にして、私の心はまるで生まれたての子鹿である。
癖になった虚勢。でも、これからは正直に生きるしかないと心に決めた。

で、私はふと思った。

これからどうすればいいのかが分からなーい!
何をするにも必要な「心の筋肉」を鍛えられないまま、体だけ大人になってしまったから。

自分の状況が把握できつつある今、さあどうする、という実践的な方法を
探したけれど、実体験や共感できる人が見つからない。YouTuberにも、そう言う人は見当たらなかった。それはたぶん、私のような状況の“子ども”は未分類(グレーゾーン)で、まだ名前が無いからかもしれない。(あったとしても、認知度が低いよね?わたしが知らないだけかな?)

同じような環境や経験がある仲間で、情報の共有ができる場所があればいいのに。遅めの自立、それからどうする?そういう話ができる場所が欲しい。
「過保護に育てられた」と言うのは中々勇気が居ることだし、そもそも、それが理由で自分に自信が持てないでいることにすら気づかずにもがいている人も多いのかもしれない、と思うと、声にならない心の叫びを抱えている仲間は、意外と多く集まるんじゃないかな、と思ってカミングアウトを決意したんよ!

私は未だに、高校の時に患った鬱と付き合いながら生きている。
めっちゃ元気なときもあるから、人にはなかなか理解されない。でも、最近また医師から神経症の気があると指摘された。死にたいと思う事もよくある。夫や家族の悲しむ顔を想像することで抑止できているようなもので、自分の現状を思うと、やはり、心が根っこからくじける。

両親との関係も、明確に「良くない」と人に伝えられる程ではないし、自分の体調も明確に「悪い」と診断される程ではない。

人に言う程でもない状態=グレーゾーンでも、辛いもんは辛い。

寧ろ、人に言えないからこそ、苦しんでいる。

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