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僕が双極性障害になったきっかけ

双極性障害は、病気というより障害に近いと言われている。近年では遺伝の影響も証明され始めた。

多大なるストレスがかかった時には、誰でも精神障害になる可能性があるが、僕たち精神障害者は、他の人達よりもたまたまそうなりやすい遺伝子をもっていた。ただそれだけなのかもしれない。

また、双極性障害は、色々なことが複雑に絡まって発症することが多く、「これ」という原因を明確にすることは難しいとも言われているらしい。

僕の場合もそうだ。
きっかけは何だったの?と聞かれると、本当に困ってしまう。

ただ、何年も考えて、何となく言語化できるところまで来たので、ここに書いてみようと思う。

以下の2つの視点から考えてみる。

1.ストレスをためやすい性格の偏り、思考の偏りは何か?

2.外部からかかった大きなストレスとは何か?

 

①「思考の偏り」について
子供の頃から、「練習をせずにいきなり完璧に近いアウトプットができる」ということに、強いこだわりをもっていた。
テストでは授業を聞いていれば100点が取れたし、音楽も体育も得意だった。
自分にはできないことはないと、本気でそう考えていた。

復習するとかカッコ悪いし、できない人がやることだ。そんな窮屈な考えを持っていた。
自分でも極端な完璧主義だと思う。

当然、歳を重ねるごとに思い通りにならないことも増えていく。その時に

「本気でやっていなかった

「環境のせい」

そう考えてしまった。
結果、このアイデンティティを崩すことなく大人になってしまった。

俗に言うアダルトチルドレンの出来上がりである。

仕事をするようになり、「真剣にやらない」という選択も、「環境のせい」にもできなくなった。

失敗しないことを無意識に目指してしまい、挑戦も避けてきた。自分の内なる可能性みたいなものを守ってきたのだと思う。

結果、仕事に対する不適応が生じ始める。

失敗を避けてきたことで、自分は何が得意で何が苦手なのか、分からなくなった。結局自分を見失ってしまった。

加えて、相手の顔色を伺うところもある。
会話するときに、自分というものがないのだ。自分がどう思っているかではなく、相手の求める答えを探して会話している。

自分が完璧ではない多くの現実とぶつかったことに加え、周りに自分を出せず、頼れる人も作れなかった。

②「大きなストレス」について
大学を卒業後、新卒で小学校の教員になった。

みんなそうだと思うが、1年目は分からないことだらけだった。僕は4年生の担任を任された。
僕の勤めていた学校は単学級と言われる、1学年1クラスしかない、田舎の小さな学校だ。

隣のクラスがないから、学年主任の先輩教師もいない。学年の違うクラスは、そもそもやっていることが全く違う。今振り返っても、サポート体制としてはかなり手薄かったと思う。他の先生たちとも、うまく関係性を築けていなかった。

他の教員を間に挟まず、教頭に直接の報・連・相を行うような状態だった。

学校では、僕のクラスに関わらず、トラブルが日常茶飯事。何かあれば保護者が学校に来て、その対応に追われる日々だ。

教頭はイライラを表に出すタイプの人で、トラブルの報告をすると怒るタイプの人間だった。

僕のストレスは、次第に高まっていった。

ある日、僕のクラスでトラブルが発生した。怒られるのを覚悟で、トラブルの内容を教頭に報告をした。

すると、教頭は見るからにイライラし始めて、「お前がちゃんとやらねえからそういうことになるんだろうがよ!」
と、全職員の前で怒鳴りつけてきた。

その時、頭の中にバチンと電流が走ったような感覚がして、頭が真っ白になった。
立っていられなくなり、座り込んでしまった。

僕は、日常から動悸や吐き気が止まらなくなった。朝は学校についても、校舎になかなか入れず、その場に固まってしまうようになった

学校は僕には合わないと思い、転職を決意する。担任したクラスは学級崩壊を起こしたわけでわないし、離任式では泣いてくれる子供もいた。保護者の中には、卒業後も連絡をくれる方もいた。

ただ、やはり自分にはあっていない感じがして、もっと活躍できる場所があるはずだと考えた。今思うと、環境のせいにしていたのかもしれない。

2社目は、営業として勤務したが、不運なことにパワハラにあった。

質問をしても怒鳴られる。報告をしても怒鳴られる。女性だろうと、毎日泣かされていた。同期で入社した女の子は、数ヶ月で鬱になり辞めていってしまった。

上司が「今日飲みに行くぞ」といったら、全員強制参加だった。その飲み会では、上司の学歴自慢を永遠と聞かされ、しまいには「この英単語知ってるか?」と、英単語クイズが始まるのだった。

仕事中には、社員全員の前で怒鳴られる。営業電話をかけている最中に椅子を蹴られる。会議室で密室になれば、ペットボトルを投げつけられる。そんな毎日だった。ある夜、我慢していたものが壊れ、涙が止まらなくなった。

そんな経験を続けたことから、僕は上司というものが完全に怖くなってしまった。僕の心に深く刻まれた恐怖心は、上司が変わっても消えることはなかった。

どんなに優しい上司が相手だったとしても、その人に怒られるかもしれない、仕事ができないやつだと思われるかもしれないと考えると、動悸が止まらなくて、苦しくて、居ても立ってもいられなかった。怖くて仕方がなかった。

僕はお客さんに怒られることよりも、その結果として上司に「こいつは仕事ができない」と思われることのほうが死ぬほど怖いと感じるようになっていく。

「僕は仕事ができない。」

その頃には、完全にそう考えるようになっていた。何事も完璧でなければならないと考えていた僕には、耐えられないストレスだった。

報告や相談も、「なるべく自分が怒られないようにするにはどうしたらいいか」という優先順位で行うようになっていった。

症状は悪化し、上司からだけではなく、他人から否定される事にも大きな恐怖心と強いストレスを抱えるようになってしまった。

何度か上司が変わり、とても相性の悪い上司にあたってしまう。ある時僕はトラブルを起こした。
今考えると、確かに自分にも落ち度はあったが、前任の担当や上司にも非はあったように思う。会議室に呼ばれてそこに入ると、上司、その上司、さらに上の上司と3人に囲まれた。そこで僕は3人から責められた。

その時にまたバチンと頭に電流が走り、真っ白になった。言葉を喋ろうとしても言葉が出てこず、状況の説明をすることもできなかった。

この経験が決定的だった。
それ以降、僕はお客様からの電話やメール、上司からのチャットを、徐々に返せなくなっていった。無断欠勤もするようになった。

正直、とても働ける状態ではなかった。ベッドから1日中動けなかった。シャワーも浴びれない。食欲もない。

何に対しても心が動かなくなった。なんで生きているんだろう、死んだら楽になるんだろうか?



これが、僕が双極性障害になったきっかけかなと思う。

そんな状態だった僕だけど、今ではベッドから起き上がることができる。

いろいろな人に助けてもらいながら、調べて、考えて、1つ1つ積み重ねてきた結果が今の自分だと思っている。

「やらないよりはやったほうがいいことを積み重ねる。」

まだできないことも多いし、寛解したとは言えない僕だけれど、そうやって試してきたことを、これからもnoteに書いていこうと思う。

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