見出し画像

鍋ざんまい

ー年の瀬のご挨拶(下)

2021年を迎え、前年のうちに奥さんの実家への年の瀬の挨拶を済ませらたことに、正直なところ、ホッとしている。両親には食事会という名目で早めに済ませたが、奥さんの実家には、その後のコロナ禍の動向やスケジュールの関係で、なかなか日程が固まらなかった。どうにか日程に組み込み、奥さんの実家を訪れると、最後に会ってから随分と久しぶりだったこともあり、"鍋ざんまい"の大歓待を受けた。実にありがたい。

関連リンク(連載「年の瀬のご挨拶」シリーズ):「赤いガーベラー年の瀬のご挨拶(下)

良心の呵責

仕事納めの当日。会社の納会を待たずに先に退社する。菓子折りを買っていく予定が、年の瀬で、すでに店を占めているところばかりだ。例年、稼ぎどきのはずが、20年は新型コロナウイルス感染症拡大を防ぐため、早めに店じまいする店も多いのだろうか。

過ぎていく時間。本来ならば、奥さんのご両親は床に就く時間かもしれない。とんだ無礼者だと恥じ入りながらも、早く着くことを優先する。奥さんの実家に着き、失礼をお詫びするも義母は満面の笑み。ありがたい反面、良心の呵責に苛まれる。実に申し訳ない。

地獄の責め苦

「今日はお越しになると聞いたので、お鍋にしようと思うの。娘(奥さん)と一緒にたくさん買い込んだのよ」ー。義母さんはいう。見ると、堆く積まれたカニの身に野菜類の山。その隣に高級和牛の肉。大歓待だが、とても高齢者と夫婦二人で食べきれる量ではない。血の気が引く。

まずカニ鍋。その後、いったん鍋を洗ってあらためてすき焼きが始まる。幸いなことに、カニが大好きな奥さんがほとんどカニを食べ尽くし、胃袋をすき焼きに集中できる状態。義母の「私、量を食べない人は大嫌いなの」と、残り飯を処理させようとする恒例の地獄の責め苦を味わずに済んだ。

それでも、締めのおじやは3杯が限界で、わずかに1杯分残った。完食には、どこぞの相撲部屋の若手力士を一人呼んでもらいたい。とはいえ、いっぱい食べろと言ってくれる親がいてくれるのはありがたいことだ。数年前の手術以降、義母は通院が続くが、どうか長生きしてもらいたい。

食後、あまりの満腹感に良心の呵責など、とうに忘れていた。(終わり)

(トップ写真:高齢者と夫婦二人で食べ切れるとは思えない食材の量に驚く=りす撮影の画像などを基にりす作成)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?