厚意に甘えることで生まれるモノ。
2022.4.20
昼食を終えた昼下がり。
フリマで出品していた商品が一気に2点売れたので、
それぞれ梱包し、近所の郵便局へ持ち込もうと出かける準備をしていた。
ダンボール2箱を、重ねて持つ。
両手はふさがり、かろうじて目の前だけ見える状態。
朝から降ったり止んだりしていた雨は、ちょうど止んでいた。
だが、雲行きは怪しいまま。
玄関のドアを開ける直前、
(傘、どうしようかな…)
と、一瞬悩んだ。
家から郵便局までは、10分かからないくらいの距離。
荷物を持ちながらだと、手で持ちづらい。
かといって、腕にかけたらかけたで足を引っ掛けそうで怖い。
最終的に"まぁ大丈夫だろう"という結論に至り、置いていくことにした。
…のだが。
数分後、この判断を後悔することとなる——
"え、このタイミングで!?"と焦った。
歩き始めるやいなや、雨がポツポツ降り出してしまったのだ。
大切な荷物が濡れたら困るので、なるべく濡れないようガードしつつ、足早に郵便局へ向かった。
それが功を奏し、無事ギリギリ濡れずに到着。
発送手続きを済ませ、一応パートナーへ帰る旨と雨降りの連絡を入れた。
そして、さぁ帰るか!と外へ出た矢先、徐々に雨足が強くなってきた。
(これはちょっとマズいかも…)
帰り道の途中にあるコンビニで雨宿りしようと、急いで目指すことに。
そこでパートナーから連絡が入っていることに気づく。
「行きますから待ってて」
…なんてこった。
マズいことに、行き違いも発生しかけていた。
まだ家にいるのか、もう出てしまったのか。
パートナーの状況が把握できない中で、さてどう返そうか…とまた悩み始めた。
こういう場合、以前の私であれば「無理しなくていいから」と断ることが多かった。
相手の貴重な時間やエネルギーを自分に使わせてしまうのが、ひどく申し訳なく感じていたから。
加えて、パートナーは現在、GW前の繁忙期真っ只中。
ただでさえ忙しいのに、余計なタスクを増やしてしまう。
この日も最初は正直、チラリと罪悪感が出てきていた。
でも、この"厚意"を『受け取らない』選択をするということは、そこでエネルギーの循環がストップしてしまうことでもあると思う。何も巡らない。
その前に、パートナーは今まで特に何も言ってはこなかったが、実は私が断るたびに悲しんでいたかもしれない。パートナーの親切心…"好意"をも無下にしていたかもしれない。これは、他の人とのやりとりにおいても言えること。
ワガママだと思うことは言わない。
迷惑をかけない。
相手は極力頼らない。
自分的に良かれと思ってやっていた気遣いが、時として逆に相手を傷つける可能性もある。"マイナスの富"を生み出すこともある。
最近読んだ本にそのようなことが書いてあったのを思い出した。
私が『受け取る』ことによって、私は雨に濡れなくなる。
体調を崩すリスクが減り、健康でいられる。
服を乾かす手間が減り、他のことに回せる時間が増える。
短い時間ながらも、パートナーと一緒に過ごせる。
そのことに幸せを感じる。
パートナーはパートナーで、仕事の合間のちょっとした気分転換になる。
歩くことで健康の維持にもつながる。
私の笑顔を見ること、私と同じ時を過ごすことで、幸せを感じる。
(…と勝手に思ってる🤣)
さらに、私が幸せであることがパートナーにとっての幸せであり、富であると考えると。
私がパートナーの厚意を素直に喜んで受け取るだけで、お互いさまざまな富が増えることとなる。それがまた次の富の循環を生み、よき巡りとなるのではないか。
いや、そもそも。
私自身は一体どうしたいのか。
シンプルに、それが一番大事なんじゃなかろうか。
——私は。
私は、迎えに来てほしい。
数十秒、思考を巡らせた末。
変に本当の気持ちを抑え込まず、遠慮することなく、
パートナーからの厚意を『受け取った』私がいた。
取り急ぎ、コンビニへ向かっている旨を返信。
小走りで駆け込み、ひとまず事なきを得たのだった。
店内で待つこと、約5分。
パートナーが傘を持って現れた。
最初こそ"失敗したなぁ…"と思ったけれど、
別の視点から見れば失敗ではなかったのかもしれない。
言葉を交わしながら相合傘で帰る、つかの間の温かいひととき。
忙しい中、迎えに来てくれたパートナー。
そして、きっかけをもたらしてくれた雨に感謝。
ささやかな幸せを、ありがとう。
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