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20歳の自分に受けさせたい文章講義【ブックレビュー】
社会人になり、いくつもの年月を越えた今。
文章と向き合う仕事をしている今。
もう少し若いころに、文章の何たるかを知るべく。
文章の奥底に少しでも近づけるべく。
時間を費やしておけばよかったな…と思うこともある。
今、私が20歳だったら。
この本を読んでみるのもいいんじゃないかな、と。
簡単なようで意外に奥深い、この本を。
本書は、株式会社バトンズ代表、フリーライターの古賀史健氏による
20歳の自分に受けさせたい文章講義
出版社: 星海社
発売日: 2012/1/25(第一刷)
本著は、『嫌われる勇気』でも知られる古賀氏の単著デビュー作にあたる。
本書の中から、書き留めたい言葉のいくつかをあげてみた。
書くこととは、考えることである
話せるけれど、書けない…。
「話すように書けばいいんだよ」と簡単に言う人に対し、筆者はこう言う。
「『話すこと』と『書くこと』は全くの別行為だ」と。
本書では、ライターである著者がこれまでに培ってきた「話し言葉から書き言葉へ」のノウハウを伝えるものである。
また、筆者はこうも言う。
個人的にぼくは、できれば高校を卒業するまでの間に、遅くとも20歳までの間に、しっかりとした”書く技術”を教える環境が必要だと思っている。道徳でも生活指導でもない、自分の思いを「言葉だけ」で伝える技術だ。
なぜ若いうちにそれが必要なのか。
それは「書くこととは、考えること」だからという。
書く技術が見につけば、ものの見方も変わり、考え方も変わってくる。
書くことで考えがまとまり、答えにたどりつくこともある。
考えるために、書くのである。
書くことをやめて”翻訳”する。
「書こう」と思っても書けない…。
そんな時は、頭の中に言葉があふれ、ごちゃごちゃ状態になってはしないだろうか?
筆者の言葉でいえば、言葉以前の「ぐるぐる」が頭の中をめぐっている状態。
そこで、書くことをやめる。
頭の中の「ぐるぐる」を伝わる言葉に翻訳するのである。
専門的な用語を、誰にでもわかる言葉で書く、そのためには”翻訳”が必要なのだ。
文章はリズムで決まる。
私は以前の記事でも「リズム」が大切だと思うことを書いていた。
古賀氏もリズムの大切さについて一つの章を使い、切々と説く。
さらに「文体とは何か」について、文体とは、文章の語尾や主語の使い分けの大きく2つの要素によって決まるという。
その文体の正体は「リズム」だと。
読みにくい文章は、文と文のつなげ方や展開の仕方がおかしいとき、主張が支離滅裂となりリズムが悪くなってしまっているのだ。
私の場合、句読点や韻を踏む、五七調にあるようなテンポの良さで「リズム」を体現していた。
古賀氏は「文章のリズムは論理展開によって決まる」と断言しているところに、新しいとともに深い発見があった。
文章の面白さは「構成」から生まれる
かつて映画監督を夢見た古賀氏。
構成はフレームワークに学べと説く。
①序論…客観のカメラ(遠景)
②本論…主観のカメラ(近景)
③結論…客観のカメラ(遠景)
本書は、文章論でありながら、映像制作のノウハウも要所要所で登場するのが、大きな特徴ともいえるのではないだろうか。
頭の中で映像をイメージしながら、文の構成を考える。
机上の空論ではない、新鮮な感覚で俯瞰できる。
カメラを意識することで、文書のあるべき順番も理解しやすくなり、説得力も増す。
結果、全体にメリハリができ、リズムもよくなるのだ。
すべての文章には”主張”が必要だ
文章を書くとき、「何が言いたいのか」を一言で応えられなければいけない、それが主張だ。
主張がはっきりしていれば、それだけ文章もはっきりくっきり読みやすさが増す。
私たちはなぜ文章を書くのか?
それは、相手に伝えたいことを伝えることであり、相手を動かすことなのだ。
文章を書くこととは、他者を動かさんとする”力の行使”なのである。
自分の文章のなかに”主張”は書いているか、”理由””事実”は書かれているか。
これら3つが連動しているかを常に意識すること。
読者の「椅子」に座る
どんな文章にも、読者がいる。
今私が書いているこの文章、世の中の誰かひとりであっても読者は存在する。日記だって、自分が読者になる。
読者の横に立つのではなく、同じ椅子に座り、同じものを見る。
そこで、本当の意味で読者のことを理解できるようになる。
本当の意味でその椅子に座れる読者はというと、以下の2人だという。
①10年前の自分
②特定の”あの人”
10年前というのは便宜上のもので、まだその情報を知らなかった当時の自分、という意味。その相手に、わかりやすく訴えるように書く。言葉の強度も上がるのだ。
10年前の自分はこの世のどこかに、今もいる。その人に書く、ということになるわけだ。
ここでいう、特定の”あの人”は、よくあるペルソナと同じ意味か。
私たちはついつい欲が出て、多数の人に伝わったらいいな…と思い筆をとる。
けれど、そういう文章ほど、相手に心に刺さらない。
むしろ”みんな”から喜ばれようとすればするほど、誰からも喜ばれない文章になるのだ。
読み手を意識しすぎるのもなんだが、かといって、伝わらない文章をつらつら書き連ねるのもいささか問題だ。と、心に留め置く。
”説得”せずに”納得”させる
いわゆる、北風と太陽みたいなものだろうか。
①説得…押しのアプローチ(読者を押しきる)
②納得…引きのアプローチ(読者に歩み寄ってもらう)
特に、当事者意識のない他人事に対して、人は説得されると拒否反応を示す。
当事者意識を芽生えさせ、自分事として考えられたとき、読者がプレーヤーとなり、”納得”となるのである。
原稿に「ハサミ」を入れる
推敲の基本は、ハサミを使った編集だと筆者は言う。
私も日ごろから、推敲・編集の作業に時間を費やす。
それは自分の文章だったり、他の書き手の文章だったり。
そこでついつい考えてしまいがちなのが「もったいない」精神。
それは最大の禁句だと、筆者のことば。
読者は、あなたの「がんばり」や「悩んだ量」を評価するのではない。あくまでも文章の面白さ、読みやすさ、そして書かれた内容について評価を下すのである。
最後に、この言葉で締めくくり、仕事に戻ろうと思う。
「いい文章」とは「読者の心を動かし、その行動までも動かすような文章」のことである。
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