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自分「らしい」ってなんだろう。

世の中にSNSが普及して、
書くことを生業にしていない人の文章も、身近に垣間見れる今日この頃。

「ああ、この人ってこんな風にものごとを感じる人なんだ。」
自分と同じように感じる人、また、全く異なる切り口で感じる人。
共感と驚きが交錯するなか、皆さんの想いが詰まった文章を拝読している。

フォローさせていただき、コンスタントに更新される文章を見ては
「ああ、この人らしいな。」
「やっぱり、そう感じているんだ。」
と、その人「らしさ」にクスッとさせられることも少なくない。


「らしさ」のなかに、その人柄がにじみ出る。

たとえば、公園のイチョウ並木。
落ちた銀杏の実を探し、うつむき歩くのか。
西日に照らされて輝く、やまぶき色の葉をながめるのか。
はらりと落ちる葉を、いくつも見送るのか。

子どもの泣き声を耳にして、
驚くのか、
懐かしむのか、
かなしいのか、
かわいくおもうのか。

ちょっとした言葉の違いで、その人のこれまでの生き方に触れるような。
「その言葉、なんか、いいな。」
遠くにいるけれど、何だか身近に感じられるような。
ふわっと心地よい、親しみがわいてくるような気がする。

自分らしさは、自分では意外とわからない。

友達や家族、周りにいる人となりは
「何となく、こんな人だな。」
「この人なら、こう考えるだろうな。」
と、感覚的な部分では掴んでいる。

でも、自分らしさって??
自分では、はっきりと
「私はこういう人です。」
とは言えないかな、私の場合はそう思う。

きっと、人から言われて、
「なるほど、そういう人なんだ、私。」
と、納得するのかもしれない。

文章は、「らしさ」を伝える小道具。

noteを通じて文章を読ませていただいている方々は、実際にお会いしたことがない方ばかり。
だけれど、身近に見知っている人とはまた違った「らしさ」に触れることができている。

昔、奈良・平安の頃とか、大正・昭和などの戦争時代とか。
実際には会わずとも、手紙で心を通じ合わせる時代があった。

文章に、その人の暮らし、思いをのせて相手に届ける。

私はどんな「らしさ」を相手に届けているのだろう?
今度、誰かに聞いてみよう。

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