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羽虫による同性愛・潰れた熱帯魚・聡明な枝豆たち

足の指の先が冷たくなる。もう20度を超えることはないのだろう。ガラスの窓に、光に誘われた羽虫がぶつかる音がする。二十四時間営業のコンビニのガラスにぶつかり続ける虫のことを思う。入店する客に紛れて、煌々と光っているコンビニの城楼へと忍び込めた虫は、永遠にその箱の中を彷徨う。世界から隔絶されたそのホワイトキューブ的空間——時間や連続性、そして何より記憶からの断絶——で、徘徊することしか許されない虫たち。老人が素っ頓狂な声を出しながら深夜二時のコンビニで暇を潰している。コンビニのガラスにぶつかり続ける老人たち。垂れ下がった皮膚からは腐乱臭がただよい、厚く堆積した垢は足の付け根あたりでその地層を露呈させ、蠢くたびに垢の剥離片をコンクリートの上に撒き散らす。胡乱な瞳は明後日の方向を向き、奇妙な喃語のような呻き声をあげている。歯肉はただれ、糜爛した口腔内の肉が酸い匂いを放つ。意識の奥に沈潜した懐古の情のみが、彼らを突き動かしている。

先まで異常なほどに音程の狂った「淋しい熱帯魚」を歌っていた老人(雇われ店員)が、陳列されていたフィナンシェをこちらに投げつけながら叫ぶ。

「おい、おまえ。おまえ。なあ、あれ、こうなんだよ、こうだって言ってんだろ、あれ、どうにかしろよ」

要領を得ない指示語ばかりの老人の紛糾は、おそらくコンビニの外で徘徊する老人たちに向けられた焦燥や怒りによるものなのだろう。私はこう返す。

「それがそうなら、これはこうなんですよ」

そう言いながら、そこらに散乱したフィナンシェ、ときどきフルーツサンド、フィナンシェ、フィナンシェ、あるいは豆大福を拾う。結局のところ、彼の目が捉えているのは世界における様相の一断片であり、それはそうである以上、事実と言わざるを得ないのだ。それが恐怖であれ、悲願であれ。いずれにせよ、ここはサンクチュアリであるゆえに、彼の行動を詰ることはできない。何匹か闖入した羽虫がコンビニの空気を緩慢に混ぜていく。拾ったフィナンシェたちをレジの台の上に置きながら、その中の一つをつまみあげ、おもむろに開封し、口へ放り込む。先ほどからガラスにぶつかり続けている老人のうちの一人が、コンクリートの上で崩れた。他の老人たちはお構いなしに彼らの頭や腹や肩をぶつけ続けている。フィナンシェを咀嚼し、飲み込む。水がいるな、と思い立ち、淋しい熱帯魚をまた歌い始めた老人の横を通り過ぎる。

「おい、おまえ、おい。聞こえてんだろう、返事しろクソガキ。それがそうでこれがこうか知らんがな、俺はとにかく、こうなんだよ」

「そうですか」

「そうですかじゃねえ」

老人がアイスを掴み、また床へ叩きつけた。冷凍食品も彼に捕捉されてしまった。枝豆がそこらじゅうに散乱する。豆、豆、豆。冷凍されて氷の粒が表面にまとわりついた枝豆は、いかにも残念そうな顔をして、私に訴えかける。

「私たちは常に、固定されていますが、それでも私たちの方がよほど自由と思いませんか? それは物体においては、ああ、人間においては、私たちを解釈するという単一方向での祈りしかないわけですから」

「祈り?」

「祈りです。祈り以外の言葉ならば、例えば愛するとか、期待するとか、願うとか——憎むこともそうかもしれません」

別の枝豆からも声が上がる。

「私たちは、ここに運ばれてきました。それも、単一方向での祈り、いわば暴力によって。祈りは祈られる側にとっては暴力であるということを良い加減、認識しなければならないはずなのですけど……。そう、あそこに飛んでいる大きめの羽虫は、そのうち叩かれるでしょう? 祈りによって。あなたにとっては、『こいつが害を成さなければいいが、今の時点で害だから』という観測かもしれませんね」

「うるせえ。うるせえっつってんだよ。はあ、なんだか知らんがね、難しいことは知らねえんだよ」

老人が、淋しい熱帯魚のリズムに乗って枝豆たちを潰していく。正確には、枝豆は依然として凍ったままなので、砕くという行為にはなるのだけれど、執拗に老人はスリッパで枝豆たちをすり潰している。その隙に、私はペットボトルが陳列されているコーナーへと足を運ぶ。エビアンを一つ取り、その液体を喉に流し込む。枝豆たちは、断絶魔もあげなかった。それが正しいことであるかのように、従順に潰されていった。今もその「潰し」は続いているけれど、彼らはみなみな、静寂の中で、潰えていくのだ。窓の外の老人は少しずつ増えていて、ガラスの強度を考えれば猶予はそう長くないだろう。異様なことに、そこに集まるのは老人ばかりで、幼児や壮年期の大人たち、思春期の高校生たちはどこにも見当たらないのだった。今、彼らはどこにいるのだろう。手を繋ぎながら、海辺で朝日が来るのを待っているのだろうか。この街の内湾の大きさを考えれば、市民たち(老人を除く)がみな手を繋げば、内湾を取り囲むこともできるだろう。その異様な光景を思い浮かべる。朝日が登れば、マイムマイムの音楽が鳴り響き、彼らは喜びに打ち震えながらその歌詞を歌う——U’sh’avetem mayim be-sasson Mi-ma’ayaneh ha-yeshua、あなたがたは喜びをもって、救いの井戸から水をくむ——。枝豆潰しの老人は、その所業を終えたようで、満足げにスキップをし始めた。スキップをしながら、手につく商品という商品を床に落としていく。私はその光景を眺めながら、また商品を棚に戻していく。怒りも悲しみも諦念もなく、ただ無味乾燥な循環運動として、まるでダムの水が放流されていくように、星空が毎年同じ図形を描くように、それらを拾う。拾いながら、老人に声を掛ける。

「あの。聞こえます? あなたは何をしたいんですか?」

「何をしたいか? 誰が?」

「あなたが」

「あなたってえのは誰だ」

「今私の質問に答えている老人」

「それは俺か?」

「だと思いますけど」

「ならそういうことにしても良いが、なんだ、何をしたいか? おまえはイナゴにも、夢遊病者にも、時計にも、ミサイルにも、そう訊くのか? ふん、滑稽だな」

「イナゴにも、ミサイルにも、そう訊くとして、何がしたいんですか」

「何がしたいか? これがしたいだけだ」

そう答えると、老人は自らの右手で自らの左手を掴んだ(少なくとも私にはそう見えた)。それきりだった。自分で自分の手を掴み、これだよ、と誇らしげに宣言した。

「これだ、これだ。見ろ、俺の右手は俺の左手と同じぐらいの力で拮抗し合っている。右に引っ張る力と、左に引っ張る力が同じなんだ、これができれば、俺は俺をやめることができらあ」

醜いヒキガエルのような笑い声を漏らし、老人はその両手を自然な状態に(力が拮抗しあわない状態に)戻し、コンビニの外を一瞥した。老人の眼球がコンビニの外へと向かい、こちらへ戻ってくるとき、その眼球が互いに反対の方向へと回転した。眼球の裏側の筋肉がちぎれた断面が見える。

「自分の内側と、外側が同じなら、ここに流れる時間も、外の時間も、こうなるだろ、おい、おまえ。なあ」

最後の方はもはや有声音として構成されず、ただ息の漏れる間抜けな音のようだったが、そう言いながら、老人は彼の血管を破裂させ始めた。手の色が青紫色に染まりはじめ、眼球がひしゃげ、鼻腔から赤黒い静脈血が流れる。脳漿が首筋を伝い、小刻みに震えている脳が眼窩の奥に見える。それも次第にそれ自体の形を失いはじめ、老人は一つの(あるいは複数の)吐瀉物のようになった。不思議と血液の鉄くさい匂いや、消化物の饐えた匂いはせず、8月のプールサイドを思わせる匂い——塩素、栗の花、ホテルのシーツ、開け放した窓から吹き込む風や光を受けたカーテン、粘液、アイスクリーム、ベッドの横にあるミネラルウォーター、コンビニのレジ袋——がそこらに充満した。ガラスが割れ、腐乱臭を放つ老人たちがガラスの破片を身体中に突き刺しながら、先程の老人、今は清潔な吐瀉物、の肉らしきそれらに集う。羽虫たちは狂ったように飛び交いながら、老人たちにぶつかっていく。蝟集した老人たちは、かつての老人だった肉塊を引きちぎり、咀嚼し、顔と言わず手と言わず、体じゅうにそれらをマーガリンのように塗りたくり、満足げな顔をしている。レジの台に置いたはずのフィナンシェたちはいつの間にか枝豆に変わっていて、その枝豆たちはけたけたと笑っている。

「それがそれだから、そうなんですよ、お分かりになりましたでしょうか」

枝豆の一つが言う。私は曖昧な返事をして、そこらの老人を眺める。異様な匂いはプールサイドの匂いと中和しあい、今は無臭に感じられる。枝豆は続けた。

「それがそれであるうちは、それでしかありえない、ということです。存在は存在の重さを引き受けねばならない。私たちが笑ったり感動したり悲しんだり喜んだり——時には自らで自らを快楽へ導くことも——できるのは、モノであるという確かさを受諾しているからなのです。それを拝受せずして、高尚な精神論を語るのは、おかしな話ですね。星でさえ、その質量を受け入れて、あまつさえ惑星自身を痛めつけているというのに」

もう一つの枝豆が、枝豆の言葉を引き継いだ(正確には同じセリフを二つの枝豆が喋っている)。

「ほら、あなたの手や身体や皮膚や言葉をご覧なさい、男だか女だか老人だか赤子だかわからないでしょう。その状態は、幸せですか? 幸せなのだとすれば、あなたはあなたに恋すればいい。恋は、他者の存在に与えられた特権なのだから。愛は、私という存在に与えられた自然だけれど、恋することは、みなみな、悲しみのそばにあるのです」

老人たちが口の周りに赤やら白やらの混じった肉片をつけながら、言葉を継ぐ。枝豆の言葉と、老人たちの言葉が重なって、一つの讃美歌のように聞こえる。

「あなたの手に触れたいと思うことや、その鼻梁に触れたいと思うこと、あなたの言葉を受け止めたいと思うこと、あなたの悲しみを、私も悲しみたいと願うこと、その手の湿り気を、目の色を、髪の孕む匂いを、そのままに抱きしめたいと思うこと、それが、あなたに課せられた悲しみなのです」

貪られたはずの肉塊が、どこか大腸のあたりをひくつかせながら言葉を発する。枝豆や老人は黙り、散乱した商品たちが夜の冷気を纏っている。

「もしも、あなたが他者に対する慈愛や憐憫やどうしようもない胸の痛みを、感じられないのだとしたら、あるいは、形式的な人間関係の中で、それを恋だとか付き合いだと呼ばねばならないのだとしたら、あなたはあなたの存在の重さを引き受けていないのです。悲しみを引き受けたいとも思わないのに、あなたのそばにいる存在に、取り繕った笑顔や適当な言葉を与えているのだとしたら。睫毛に触れたいとも、その双眸に込められた覚悟を知りたいとも、孤独な背中に触れたいとも思わないのならば、それは欺瞞です」

たちまちにそこらにあった存在——枝豆、老人、肉塊、羽虫、数多の商品たち——がそれぞれに破裂する。南極の氷が今も崩れているように、星がいまもどこかで超新星爆発を起こすように、歌舞伎町の下水道が流れ続けるように、存在が存在の重さを引き受けて、それ自体の中心へ向かっていく。私は取り残されたまま、ただ白く光る箱の中で呆然と立ち尽くしていた。視線を落とすと、一匹の羽虫だけが、のたうち回っていた。




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