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いつか死ぬなら・青森の病院で・いま

悲しくなると指輪を買う。語弊があるかもしれない。ある種の訣別の気持ちを持って、この状態とは縁を切るといった心持ちで、銀色に光るそれを買う。祈りに近いかもしれない。

先日、青森へ旅行に行った。青森県立美術館から弘前れんが倉庫美術館、十和田市現代美術館とアート巡りをしてきた。15日に出発し、16日に青森県立美術館と三内丸山遺跡を見て、ホテルチェックインを済ませる。夜10時ごろから軽い腹側部痛があり、17日午前2時ごろから耐えられない痛みに変わってくる。内臓がねじれ、内側から鉄の棒で刺されているような感じがする。フロントに行き、救急搬送の旨を伝え、病院に行き、痛み止めを打ち、CTから超音波、血液検査を済ませる。

入院が必要な状態ではないものの、腎臓、膀胱などの内臓から出血が(要注意とされる出血の3倍ぐらいらしい)あり、かつ免疫が落ちて細菌感染を起こしているとのことだった。抗生剤と痛み止めを出しますが、旅行から戻ったらちゃんと検査してくださいね…と言われ、明け方5時ごろにホテルへ戻った。

色々と、思うところがある。
血液検査の結果では異常値がいくつか散見され、細菌感染の他にも、急性白血病や、骨髄の異常などの可能性があった。

結局、緊急搬送から戻り、午前11時ごろに目が覚めた。今回の青森旅行は(数少ない)心優しき友人が同伴だったので、病院に行く際に声をかけていくこともできたはずだった。むしろ、そうすることが一種の気配りではあったのかもしれない。薄暗い部屋で保険証と財布と携帯だけを持ち、病院に行くとき私はただ自らの身体の内側で蠢いている痛みに対して、これは紛れもない自分の所有物だと感じた。ある意味、リストカットや自傷行為もこうした延長線上にあるのだろう。全てが曖昧で不透明で不確実な世界のなかで、少なくとも痛みを感じ、私はこの痛みに立ち向かっているのだという生の実感がある。あのとき、友人を起こさずに行ったのは、責任感を背負ってほしくはないという思念ゆえだったのではないか。無論、そんな高尚なことを考えるほどの余裕は無かったが、後から勘案してみればそういうことだったのかもしれないと合点がゆく気もする。責任感とはつまるところ、痛みに対する所有の所在である。友人に痛みを伝えれば一緒に病院に付き添ってくれたような気はするが、そのとき責任は(責任とは単に精神的プレッシャーや苦しみや心配だけではなく、時間の共有も含むと思う)分散される。責任感ゆえの心配や、責任感ゆえの愛は、高圧的になりがちだ。そこには常に「しなければならない」「べきだ」という言葉がつきまとう。ケアの倫理の話にも絡んでくるかもしれない。しなければならない、という規範哲学(=実践哲学)的枠組みのなかでは、曖昧な感情や間主観性は不要の長物になってしまう。内臓から出血しているから、気遣わなければならないのだとすれば、こんなに不確かな世界の中で原罪を背負いながら生きる我々はみなみな不遇な受刑者であり、贖罪の名のもとにストイシズムが適用されるだろう。

さておき、人はいつか死ぬ。遅かれ早かれ、人は死ぬのだし、死ねば言葉はもうない。あんなに忌み嫌ったはずの言葉も、世界も、悲しみも、もうない。

どうしたの?と急に聞かれると
ううん、なんでもない
さようならの後に消える笑顔
私らしくない

信じたいと願えば願うほど
なんだかせつない
「愛してるよ」よりも「大好き」の方が
君らしいんじゃない?

宇多田ヒカルの曲が脳内をリフレインする。友人が朝目覚めたとき、テーブルの上にあった薬を認めただろう。結局、ああ、まあ出血するほど自分を追い込まなければいいだけじゃん、と思う。それさえなければ、もう少し上手くいったかもしれない。同様に、青森に来なければ、とも思う。けれど、青森という物理的に遠い場所で、悶えるような痛みを感じなければ、私は私という存在の脆さを認識しなかっただろう。静まり返った病院の中で——ときおりストレッチャーで運ばれるせわしい音が聞こえる以外は——、目についた体重計に乗る。平均体重ほどの数値が示され、一応は生きていることが数値的に示される。生きていようが、生きた実感のない人が渋谷の雑踏のなかで立ち尽くすことも、腐乱臭のする川面に揺れる自己投影に希死念慮を覚えることも、どこか遠く思える。旅先で、自分の脆弱性に向き合わなければ、病院にいくこともなく放置していたかもしれない。

いま、再検査のため、病院の待合室でスマホの画面をタップしながらこの文章を書いている。夏の強い光に晒され、生と死とが交錯する構造物のなかで、血液検査の結果を待っている。どうしたの?と訊かれながら、自らの不調を機械的に叙述する。なんでもないよ、とは答えられない。悲しみが閉じ込められたティファニーの銀の指輪が窓からの光の反射を受けて光る。言いたいことを伝える前に、いなくなる人がいる。伝える言葉が傲慢なプライドの前で形式を持ち、敬語が付され、特に差し障りのない平板な言葉になる。安直な言葉、真摯な言葉、どれであっても、結局は解釈者にその真意は委ねられるが、委ねるという信頼それ自体が、私にはない。高速道路で、並走する車や追い越す車がジャンクションで別れ、合流するように、人と人は、ある種の責任を束の間共有しながら、ふたたび別の道へ立ち返ってゆく。テールランプが示す、彼や、彼女の所在が見えなくなれば、そこには再び静寂が訪れる。いま、この瞬間をもっと信じていい。明日など、無いに等しい。夜行バスが横転し、割れたガラスやバスの構造物が脳を突き刺せば、すべての可能性は霧散する。インスタのストーリーへの返信に綴られた心配の言葉に対して、感謝を伝えることもなく、漸近線や数直線は止まる。万能なものなど、ない。ただ、「そうである」と信じて、必死に道具を操り、どうにか具現化しているに過ぎない。

電話口で、母親から「もっと他人を頼りなさい」と言われた。委ねたほうが、委ねられたほうも幸せだろうか。規則正しい病院内の廊下で、避難経路のサインが律儀に光っている。人間関係や、私の気持ちの中に、緊急脱出口はない。伝えることで相手が気を悪くしないだろうか、この言葉はどんな解釈のされ方をするだろうか、と逡巡し、果てには鬱屈とした気持ちになるまで、そしてそれらが内臓を傷付けるまで、悩みの巡回は止まない。要は、好きならば好きと伝え、嫌いならば嫌いと伝えるだけのことなのだろう。Aであると伝える際に、捨象してしまうAバー(Aの否定集合)のことを、埋葬するためにも今は、私の脆弱性を知らねばならないと思う。いま、採取された血液が遠心分離機にかけられている。いっそのこと、脳も遠心分離機にかけてくれたらよいのに、と思う。こころと言葉は繋がらない。浅ましい自己卑下や、つまらない自己愛のために、伝えるべきものを伝えられないなんて、20年間も生きてきて何をしているのだろう。

人と人はつまるところ、分かり合えないのだし、人は本質的に孤独でさえある。孤独だけれど、そのことを踏まえて、それでも一緒にいて、それでも言葉を紡いでいけるのならば、その関係性をこそ愛と呼ぶのだろうし、好きな状態だと言えるのだと思う。そばにいて、泣いたり笑ったりするのを純度100%に近い形で受け止めたい。そう思うのなら、肉体的な関係や性別など表面的な記号のやり取りに過ぎない。なにも、プラトンを支持するわけではないし、一夫多妻制を擁護するわけでもない。木が沢山の葉をつけ、風が通り過ぎるたびに涼しくざわめくように、こころもざわめいて良いはずだ。映画の解釈や事物の解釈がそのときによって異なる切断面を呈するように、感情は多面的である。正四面体が十二面体になりながらも、変わらない部分があるのなら、それでいい。

夏は、せいぜい30日ほどしかないらしい。梅雨も明け、突き抜けるような青が空を満たすなかで、あるいは夕焼けが街を青に染めていくなかで、私はなんの言葉を発せるのだろうか。意味があろうが、なかろうが、好きならば好きだと言える日はくるのだろうか。

十和田市現代美術館の作品の中で、高速道路を見た。人気のないレストランを見た。ノスタルジーに駆られ、遠い夏のことを思い出す。

幼稚園〜小学校のころ、発音指導や矯正のために片道3時間ほどかけて病院に通っていた。家につけば夜12時を回ることもしばしばだったし、誰もいない高速道路を走り抜ける車の窓から、進行方向に対して逆に流れていくランプの残像を眺めていた。友達がいないと言いつつ、孤独と努力は背中合わせだと思っていた。自分はこれでいいなんて、手放しに肯定することなどできない。これからも空虚な目を必死に睨みに変えて、努力を正当化し続けるような気がする。それで人が去っていくのならば、最早仕方がない。それでも、自分の周りに残ってくれる人がいるのならば、真摯に向き合いたい。先日、寄稿の依頼があった仕事で、「それでも、と言い続けることがアートではないか」という旨のことを書いたが、人間関係においても、そして何より自分自身に対しても「それでも」と言い続けていたい。それでも言葉を紡ぎ、それでも好きな人やものを受け止めたいと思う。ただ伝わるものならば、後悔はない。

好きな人や物が多過ぎて 見放されてしまいそうだ

明日 くたばるかも知れない
だから今すぐ振り絞る
只 伝わるものならば 僕に後悔はない

何時も身体を冷やし続けて 無言の季節に立ち竦む
浴びせる罵倒に耳を澄まし 数字ばかりの世に埋まる

上手いこと橋を渡れども
行く先の似た様な途を 未だ走り続けている
其れだけの
僕を許してよ

逢いたい人に逢うこともない
だから手の中の全てを
選べない 日の出よりも先に 僕が空に投げよう
(椎名林檎、月に負け犬)

ロランバルトは、「すなわち、神話とは言葉である」という。我々の状況のなかで、もたらされる言語や諸々の切断面が編み上げて行く神話(=言語的地平)は、覚悟の形をしている。いま、この言葉を伝えようという覚悟が積み重ねられ、巨大な塑像を構成する。その塑像は何気ないつぶやきや、予期せぬ運動によって口を滑ってしまった言葉や、後悔や、希望や、切望や、絶望や、怒りや喜びが一緒くたになって、粗大ゴミのように見える。いいねに一喜一憂したり、既読の有無を確認したりしながら、時間は過ぎていくが、その時間さえ、愛おしくなるほどの優しい波濤が打ち寄せる海で、何かを好きで居続けること。自分を信じることほど、難しいことはないと思う。自分を好きにさえなれない状態で、誰かを好きになるなんて、傲慢ではないか。幸い、余命宣告はなかったが、いつでも私は私ではなくなりうるのだと気付いた。伝える前に、いなくなる可能性に、今際の果てで嘆いても取り返しはつかない。世界の数多の可能性に対して、もう少し敏感でいたい。可能性が別の様態へ羽化していくとき——そのとき受ける日光、匂い、印象——。早起きをして、海へ車を走らせ、風を感じながら胸いっぱいに空気を吸い込む瞬間を、まだ好きでいられるうちに、視線や、睫毛や、その口から発せられる言葉を好きでいられるうちに。

私が死ぬ前 皆に私の好きなとこ
聞き出して 自分のこと好きになって 逝きたい
メーソン・クーリーのあの言葉を遺言に選んで
太陽の塔の上で
HAPPYを叫びたい

どうせ死ぬなら ダメもとの告白もする
どうせ死ぬなら 死んでしまうなら
裸で町中を走るわ
(あいみょん、どうせ死ぬなら)

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