見出し画像

もっと社会に楽しいを発信してほしい 岐阜県立多治見高等学校 佐賀 達矢 先生

藤岡先生にご紹介いただき佐賀先生にインタビューさせていただきました。

学校の理科教師でありながら、研究者の側面もある佐賀先生。
釣りにハチの研究にと信念を持つ友達に大きな影響を受けたそうです。
男性教師、研究者で育休を取る方がまだまだ少ない中で、育休も長くとられ、気付いたことがたくさんあったとのことでした。
世の中の流れも少しづつ探究活動を重んじたり、学歴主義だけじゃない方向に変わってきている。もっと熱量をもって発信していきたい、まわりの方を巻き込んでいきたいと感じました。

昆虫マニアの友達の影響でスズメバチの研究を始める

―今どんな研究をされていますか?

佐賀先生:スズメバチの研究をしています。出身大学は岐阜大学の応用生物科学部です。農学部から新しく切り替わった一期生でした。3年の夏の実習で2週間山に行き、初めてスズメバチと出会いました。捕まえてみて「怖いけどかっこいい!」と漠然と思いました。

当時、仲良かった友達が昆虫マニアで、「岐阜大学にはアシナガバチを研究しておられる土田浩治先生(https://researchmap.jp/read0108876)がいる。アシナガバチの世界では国際的に有名な人だよ。」と教えてくれました。これも何かの縁だと思い、スズメバチの研究を始めました。

でも、僕はもともと魚が好きで、魚の研究をしようと思っていたんです。

―インタビューさせていただいているZOOMの背景も、川の写真ですよね(笑)。

佐賀先生:そうなんです。魚の研究をして公共事業をしたい、国家公務員になって生き物にも配慮した仕事をしたいと思っていたのですが、魚は他の人がやればいい、自分は面白いことをやりたいなって思うようになりました。

今は、岐阜県の高校の教員であり、教育修士を取るため、筑波大学の人間総合科学学術院教育学学位プログラムの学生です。教員であり、学生であるという変な感じです(笑)。藤岡さん(https://note.com/watson_japan/n/n8f56fde271e9)のいた東京大学の進化生態学の研究室で博士号をとっているので、研究室ではポスドクみたいな扱いをしてもらっています。

―めちゃめちゃ面白いですね。今までにお聞きしたことのないポジションです。

佐賀先生:僕も戸惑ってます。ポスドクみたいなんですが、単位を取るために研究室のゼミで発表しなきゃいけないんです。2週間に1回発表があるストイックな研究室です。それはそれで面白いんですけどね(笑)。

―スズメバチの社会性ってどんなものでしょうか。

佐賀先生:「ヒメスズメバチがどうやってアシナガバチの巣を見つけているのか」が学部の時の研究テーマでした。ヒメスズメバチは、日本にいるスズメバチの中では、オオスズメバチに続いて2番目に体の大きな蜂で、アシナガバチしか食べないんです。

アシナガバチの巣を探してきて、成虫は食べずに幼虫と蛹だけを食べます。体液をチューチュー吸う気持ち悪い食べ方をします。襲われたアシナガバチの巣の成虫は、なぜか全く抵抗しないんです。進化的にも凄く面白いんです。ですが、ヒメスズメバチの巣をたくさんは見つけられず、断念しました。

次の研究対象として選んだのがクロスズメバチでした。岐阜県の東濃地方でハチの子として食べられている、小さなハエくらいの大きさの蜂です。シダクロスズメバチと出会って、「シダクロスズメバチの一妻多夫の社会の仕組み」を研究をしました。

―ヘボショク(https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/k_ryouri/search_menu/menu/38_5_gifu.html)との出会いはそこからなんですね。興味あります(笑)。食べることに抵抗はなかったですか?

佐賀先生:普通に食べられます(笑)。みんなが食べることが当たり前の環境に行ったのもあり、意外と大丈夫でした。子どもの頃から魚釣りをしていて、野生のものを自分で捌いて食べる経験があったので、抵抗ありませんでした。

佐賀先生にオンラインでインタビューさせていただきました。

親友と釣りにのめり込んだ少年時代

ー子どもの頃のお話をもっとお聞きしてもいいですか?

佐賀先生:僕は、愛媛県松山市生まれです。祖父母の実家が山の中にありました。当時はネットとかも全然ない時代です。田舎で自然の中で遊んで育つのが当然という感じで育てられていました。

中学生の時、海釣りにのめり込みました。当時の親友と、平日は毎日川に釣りに行って、土日は海に行くっていう日々でした。だんだん釣りのスキルが上がって来ると、「黒鯛を釣りたい!」となって、夏休みには船に乗って近くの離島に通いました。早い段階で釣れた友達に教えてもらったり、本を読んだり、色々試行錯誤して、夏休みの最終日に初めて釣れたことを鮮明に覚えています。

―いいですね!中学生の時にそこまでのめり込んだんですね。

佐賀先生:のめり込んでました。(笑)。釣りはお金がかかるんです。釣り雑誌に、自分が釣った大物の魚の写真を投稿すると、景品として糸や針など当時欲しいと思うものが送られてくるのを知りました。頑張って大物を釣って、投稿して...色んな道具を稼ぎ、さらにのめり込んでいきました。
 
-研究者の皆様の過去の話を聞くと、生き物が好き!というテンションがここから来るんだということが分かり、とても面白いです!

教師→学術博士号→教師→育休→教育修士号

-大学卒業後から今まではどんなキャリアだったのでしょうか。

佐賀先生:大学卒業後修士までそのまま進学しました。岐阜農林高校の教師だった先輩が、退職して就農したいから、代わりの臨時講師を探していて、代替教員として、農業の教員になりました。ですが、教員採用試験では、理科を受けました。運良く受かって、そこから理科教員になりました。

理科教員を2年間やった3年目に、「教員は一度やったので別の研究の道に進んでみたい、だめだったらもう一回戻ってくればいい。」と思いました。当時、青年海外協力隊向けの制度から派生した無給だけど、博士号が取得できる制度ができていました。知ってすぐ、もう絶対行くしかない!と思って校長先生に相談したら、「理科教員として3年は仕事してはどうか」と言われました。今思えば自分でも早すぎると思います(笑)。

そんなこんなで農業教員を1年間、理科教員として3年間勤めたあと、東京大学の博士課程に進みました。

-面白いですね。

研究ができて最高にハッピーだったんですけど、給料が出ないというのが苦しかったです。貯金崩せばいいや、とか奨学金もらえればいいやと考えてたんですが、甘かったです。

月12万円の奨学金をもらって、5万円が保険と年金に消えてたんですよ。生活費7万円で東京で生きていくのは厳しかったです。シェアハウスの運営のお手伝いをする代わりにシェアハウスの3畳の部屋に3万円で住まわせてもらって、外国人のお世話をしていました。

博士を出た後、ハチの子食文化がある岐阜県東濃地方の一番西の端の地区、多治見の高校に赴任して5年間勤めました。4年目に、育休を取りました。復帰しないまま今年の4月から筑波大学に入り、今に至ってます。もうむちゃくちゃですよね(笑)。

ーなぜ筑波大学に行く話になったんですか?学校側としたら、育休明けたらまた教師として戦力になってほしいと思う気がするんですが...

佐賀先生:岐阜県の人事異動での命令です。岐阜県は岐阜大学や筑波大学の修士課程に2年間給料ありで行ける仕組みがあるんです。岐阜大学の教育学研究科では教育学の研究しかできないのですが、筑波大学では自然科学の研究でも教育学修士が取れました。

この制度を知った時点では、筑波大で昆虫の進化生態の研究を受け入れてくれる研究室を知りませんでしたが、学会でよく出会う蜂の研究者の先輩に、「筑波大の教育学修士で蜂の研究をさせてくれる人を知りませんか?」って聞くと、その先輩が呼んでくれました。

講演会のときに見つけたたハチの巣

育休を取ることで気付いたキャリアの中断

―男性教師で産休育休をとる方ってどのくらいいらっしゃいますか?研究者の世界ではどうですか?

佐賀先生:2021年8月末に子どもが生まれました。代わりの先生との兼ね合いで、10月下旬から3月末まで育休を取りました。残念なことに、男性教師は育休を取らないですね。まだ文化がないんです。長く取る人はほぼいません。噂になるぐらいです。

東京大学の理学部准教授で植物の研究をしている土松隆志さん(https://www.s.u-tokyo.ac.jp/ja/people/tsuchimatsu_takashi/)も育休を取っておられ、育児の相談をしましたね。人物的にもすごく面白い方です。

育休を取ってみて思う問題点は、キャリアが途切れることです。育休中に論文をいっぱい書こうと思ってたんですけど、そんな時間ありませんでした。できないことが不甲斐ないと思って、自分を責めました。

同時に、女性の研究者は、子どもを生んだ場合には当たり前に直面して乗り越えられているんだな、とも思いました。女性が子どもを産む時には育休をとるのが当たり前だと思っていたんですけど、やりたかったことがあったとしても、それを中断せざるを得ないことに初めて気付きました。

最近、東北大学の大隅先生(https://twitter.com/sendaitribune)のツイッターで、大学の教員公募で女性を優遇する話が炎上してましたが、そういうことにも自分ごととして興味が出ました。育休取ってよかったです。育児は面白いし、息子はかわいいです。それだけではなく、育休取ったからこそ気付いたことがありました。色んなものが見えてくると思います。

ー休みにくい雰囲気はなかったですか?

佐賀先生:ありましたね。学校の先生は、部活や研究、何かを引き受けるとなると勤務時間内に終わる事がなかなか難しいのが今の現状です。子どもができたら自分は続けられないかもしれないとぼんやり思ってました。年間330日くらい働いていました。妻が体力的に心配だ、育児を手伝えるなら手伝いたいと思い、育休取ろうと決めました。

探究活動を活用した推薦入試枠増加の影響

―昔と今の学校で他に変わってきているところはありますでしょうか。

佐賀先生:小中高と友達に恵まれ、高校での部活のハンドボール部も楽しかったです。面白い経験もいっぱいあります。でも学校って画一的ですよね。線引きをされる部分があって、そこはあまり好きじゃないと思っていました。

大学が理学系だと食いっぱぐれることもあるから、学校の先生の免許取れる人は取っといたほうがいいみたいな流れがありました。実際教師として働いてみると、線は引かなければいけない一方で、アクティブラーニングとかが流行って、探究活動に今流れがきています。自分には追い風です。やりやすい時代が来てたのでここまで続けられたのかなと思います。

-確かに学校はだいぶ変わりつつありますよね。

佐賀先生:文部科学省が国公立大学のAO入試・推薦入試の枠を定員の3割にしようとしているって話ご存知ですか?筑波大学は希望すれば一年生から研究室に所属できるんですが、その学生と話をしていたら、研究していた同級生(自分も含め)は推薦で大学に行きましたって話も聞きました。ある意味、高校で研究を指導できるのは、いい時代が来たのかなと思います。

―印象的な人との出会いはありましたか?

佐賀先生:釣りをやってた友達や、高校の部活の顧問の先生、アシナガバチ研究の先生との出会いです。熱量のある人、変わった人、信念を持ってやってる友人、知人に恵まれたのは
大きかったと思います。何かに秀でた人に魅力を感じます。ご縁ですよね。

対話を通じて楽しいを社会に発信してほしい

―人生のゴールや目指しているものはありますか?

佐賀先生:進化生態の分野、蜂の研究をしつつ、環境教育をしたいと思っています。環境教育は結構押し付けがちになりますが、子どもに限らず、いろんな人と楽しみながら感じられるような活動をしていきたいなと思ってます。環境教育にまだ興味のない人のことも理解し、面白く巻き込んでいけたらと思っています。

ー最後に、若手研究者に一言お願いします。

まさに今回のインタビューのような「対話」が大事です。自分の中に閉じこもるのではなく、人との対話をしてほしいです。「社会との対話」というと難しく感じてしまいますが、そこにフォーカスするのではなく、「自分が楽しいからやってます。こういうの面白くないですか?」ってどんどん社会に発信していってほしいです。

今、学校では社会で役に立つことをしなければいけない、進学もしないといけない圧力がすごくあって、息苦しさで覆われています。私が敏感なだけかもしれませんが(笑)。大学に行くとランク付けや自分のランクを高めることから解き放たれて、楽しいことを追求できることをを知ってほしいです。研究者って楽しいことをしていると思うんです(笑)。その楽しいってことを是非伝えて広げていってもらいたいです。

ー研究者の皆様、めちゃめちゃ楽しそうにインタビューでお話しいただきます。最近の子ども達は、この仕事は給料が高くて、この仕事は儲からないとすぐ言うじゃないですか。お金も大事ですが、それだけが基準ではないと思います。

佐賀先生:自分が授業を持った生徒には、「今の大人はお金の尺度で、お金の社会に縛られてる。本当に何が楽しいのか考えてみませんか?」って話しています。完全に押し付けですけどね(笑)。生活していける基盤をつくれるのであれば、自己実現や面白いことに人生を賭ける方がハッピーだと思っています。


先輩研究者の皆様の悩んだこと、どうやって乗り越えたか、成功の裏側などをどんどん発信していきます。
次回もお楽しみにしていてください。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?