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【一分大学講義】心のノートとハインツのジレンマ後編 (パロディ教育心理学:3)

ハインツのジレンマ再掲

1人の女性が病気で死にかけていますが、ある薬によって助かる可能性があります。
それは、同じ町に住む薬剤師が開発したものです。
薬剤師は、その薬を作るのにかかった費用の10倍の2000ドルの値をつけました。
女性の夫ハインツは知り合い全員にお金を借りましたが、費用の半分しか集められませんでした。
ハインツは自分の妻が死にかけていることを話し、安く売ってくれるように、
さもなければ残りを後で払えないかと薬剤師に頼んでみました。
しかし、薬剤師の返事は 「ダメだ、私がその薬を発見したんだし、
その薬で金儲けをするつもりだからね」 でした。
ハインツはやけを起こして薬局に押し入り、妻のためにその薬を盗み出しました。



(前編はこちら。このnoteを読む前に、ぜひ読んでみて下さい!)



さて、それではハインツのジレンマを読んだ感想の分類わけをしていきましょう!

まずは何となくの外観を掴んでもらうために、形式的な言葉でざっくりと見ていきます。こちらが講義で紹介されていたパワポのコピペで、分類は全部で6段階あります。

第1段階=罰と服従への志向
第2段階=道具主義的相対主義への志向
第3段階=対人的同調あるいは「よい子」への志向
第4段階=「法と秩序」の維持への志向
第5段階=社会契約的遵法への志向
第6段階=普遍的な倫理的原理への志向



どうでしょうか?
これらの段階の一つ一つが、ハインツのジレンマを読んだ後の感想を表しています。

段階が上がるにつれて「道徳的な感想」になるのですが、これだけだとよく分かりませんよね。。

では一つ一つ説明していきます!


感想① 罰と服従への志向

これは、一番道徳的ではないとみなされる感想です。簡単に言うと「痛いのは嫌だ!!」と自分のマイナスだけを考えている状態のこと。

「この人は薬を盗むべきじゃないよ!だって警察に捕まっちゃうもん!」

こんな感じで警察に捕まってしまうからという理由で薬を盗んではいけないと主張する子供は、あまり道徳的ではないんだそう。

うん、まぁ確かにそんな気もしますね。ぼくがその子の親だったら「じゃあ、警察に捕まらなかったら何してもいいの?!」と言いたくなっちゃいますもの。

では次いきますね。


感想② 道具主義的相対主義への志向

これは2番目に道徳的ではないと言われている例で、その行為の結果による自分自身の利益にのみ注目した考え方です。

「妻を助けるためなのだから薬盗むのも仕方ないよね。。」

こうして、「盗む」という行為の意味をあまり考えないで、「薬屋の主人の苦しみと妻の苦しみを考えると、妻を優先したほうが良いだろ」と損得を判断する子供はあんまり道徳的ではないですって。

う~ん。

正直ね、これを聞いてぼくは「厳しーな~!!」と感じました。もしかしたら、同じようなことを考えた人もいるのではないでしょうか。いや、確かに「盗む」というのは悪いことだけどね、妻が死にそうなときにそんなこと一々考えるんでしょうか??

まぁいいや、次いきますね。


感想③④は分かりやすいので、ちょろっといきます。

感想③「対人的同調あるいは「よい子」への志向」は、「盗んだら皆に嫌われちゃうよ~」という感想を持つ子が該当し、その子はとにかく人に褒められることを原動力にしている状態です。

感想④「「法と秩序」の維持への志向」は、そのまんま「法律で盗みはダメって決まってるからダメなんだよ!」と主張する子供が当てはまりますね。そんな子いるのかよ!と思いますが。。意外といるのかな?


さて、ここからの⑤は一気に難易度が上がります。

感想⑤ 社会契約志向

「人命のためにやむえないが、人間は守るべき約束事がある。」

このような感想を持つ子が当てはまります。彼らはね、「人権」について理解していて、公平、民主、正義などの概念を照らし合わせながら善悪の判断をするんだそうです。

いや、そんな子供いねぇよ!!!

これは大人でもなかなか難しい捉え方だと個人的には思います。


そして最後はこちら

感想⑥ 普遍的な倫理的原理への志向

「自分の良心が許さないから、薬を盗むべきじゃない」「自分の良心が許さないから薬を盗むと罰せられる今の法律を改正すべきだ」

と、自分の内なる良心とこの問題を照らし合わせた感想を持つ人は「一番道徳的」なのだそうです。

う~ん、、、、これは中々理解しにくいですね。一番道徳的な感想が「良心」って。。

でも憲法にも「裁判官の良心」が強調されているわけですし、現代社会は良心というものを非常に大切にしているんですね。これは明らかに西洋の個人主義的な考え方が見受けられます。


とまあこのようにコールバーグの道徳性発達理論を見てきたわけですが、これが一応「道徳性」の規準となっているわけです。

もちろんこれには数々の批判があり、「道徳ってそんな一面的じゃないだろ!」とか「西洋的価値観の押しつけだ!」と反発する意見もありますが、現代でも「道徳の発達」という難しい議論のきっかけとして有効な考え方になっているそうです。

ぼくも正直「これは価値観の押しつけなんじゃないかな~」という気がしています。

個人的には主語がほとんど「自分」になっているのが気になりました。もっと「自分の子供のつらさを考えると」とか「薬屋さんの後々の絶望や怒りを考えると」など、文脈の中に「他の人の主語が入っている」ことが、優しさに繋がるんじゃないかな~なんて思いました。

とはいえ、心理学における一つのモデルとしては非常に興味深かったです。

ではでは、最後まで読んでいただきありがとうございました!


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