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4月3日(金)線維筋痛症とCFS/MEによる二年間の寝たきり生活を経て庭に出られた時の話

今日というこのなんでもない日におめでたいニュースである。

一昨日、自宅の中庭に出るためのバリアフリー工事が整い、今日、二年ぶりに戸外に出るに至ったのだ。

私はずっとこの時を待ち望んでいた。二年前を境に、「線維筋痛症」と「CFS/ME(慢性疲労症候群/筋痛性脳脊髄炎)」が悪化して自分の足で歩けなくなり、実家で寝たきり生活を送ってきた。家族に看病され、車椅子を押され(手が痛いから車輪を漕ぐこともできない)、陽の当たらない北向きの部屋でじっと静かに暮らすだけの、人生の晩年みたいな日々。

ただ一歩で良いから外に出たい、陽の光を全身に浴びて風にこの身を預けたいと、まるで室内飼いのネコチャンのように切なげに窓の向こうを眺め続けて七百十日。ついに願いが果たされたのである。ああ長かった、本当に長かった。

バリアフリー工事を依頼したのが一月の半ば。業者さんが忙しいとのことで、三月上旬に竣工し、完成までに三週間ほど掛かった。出来上がったのは、廊下の掃き出し窓から庭に出るための階段が三段と、階段三段分の高低差の木製スロープ、そして公道まで続く細長いコンクリート舗装の道である。知り合いの宮大工さんに造ってもらったので、仕上がりは本当に綺麗だった。

階段をえっちらおっちら三段降りて、その先に待機させておいた車椅子に腰掛けるため、ペンギンの赤ちゃんのように体を左右に振りながらヨタヨタ歩いた。大地に足が着いた瞬間、私は人間に戻ったことを感じた。そうだ、これだ、この感じ。実は厳密には昨日、既にスロープの上を六歩だけ歩いて、中腹に腰掛けてはいたのだが、あの時はフワフワした感覚で、「内と外の境ってどこにあるんだろう」「厳密な定義ってなんだろう」と考えていた。しかし今日、地に足が着いた時に思ったのだ。人間は大地を踏んで生きてきたのだと。私は外に出たのだと。

住居というものは基本的に地面から浮いたところにある。私の家だと、約五十センチ。まるで昔、社会の授業で習った高床式倉庫のように、多かれ少なかれ宙に浮かんで出来ている。私がこの二年間、ずっと求めていた「外」という感覚は、「窓の外側」とか「一面の空」とか「風のそよぎ」だと思っていたけど、「大地を踏むこと」もその一つに入るのだと知った。

車椅子に乗り込んでコンクリートの道を進んでいくと、今まで見たことのなかった画角で今まで見たことのなかったものが見えて、本当になんでもない雑草や野花ですらも可愛く美しく瑞々しく、指をさしては「あ!あれ見て!」「これはなに!?」「すごい!」「きれいー!」と、まるで違う星からやって来た人のようになってしまった。

滑り止めの施されたコンクリートは小さくガタガタと揺れて、今まで屋内で使っていたレンタルの車椅子はやっぱり座り心地が悪く、足を置く台の角度のせいですぐ足首が痛くなってしまったけど、そんなことは苦にならないくらい本当に気持ちが良かった。実ったまま落ちずに乾燥しているゆずや、ほとんど終わってしまった赤や白の椿、まるで薔薇のように愛らしい薄いピンク色の乙女椿や、名前も知らない小さな白いフワフワのお花が鈴なりに咲いている。四月頭の夕方は肌寒くて、遠くに見える団地の向こう側は夕焼けで薄紫色に染まっていた。

なんて世界は美しいんだろう。地球は奇跡の星だった。


外に出られたからといって何かが劇的に変わるわけではない。病気が急にどうにかなるわけでは、全くない。ただ少し、ほんの少し私の機嫌と顔色が良くなり、明日への希望が湧き、活動量が増えるだけだ。

しかしそういった精神的な健やかさを整える環境こそが私の渇望していたものであった。全く同じ病状を抱えていたとしても、身体的な行動を物理的に制限されているのといないのとでは、精神的な平穏さがまるで違ってくる。事実、今日は外に出てから驚くほど晴れやかな心持ちだ。そして二年ぶりに体中に纏った埃っぽい感覚に、懐かしさと驚きを覚えている。これが外、ということなのか。外はこんなにも土を空気中に運ぶのか。昔お出かけした後によくこんな感じがしてたなぁ。これって埃だったのか。何かをやめるからこそ学ぶこともあるのだなぁ。


ところでここからは前日譚のようなものである。

出来上がったスロープはウッドデッキのような造りで板同士の隙間があり、コンクリートとの段差にゴム板のようなものが渡してある。ハハが無人の車椅子を試しに押して進んでみたところ、走行時の振動も着地時のガッタンという衝撃も強そうだし、そもそも彼女の細腕で太りきった私を乗せた車椅子を支えながら坂道を走行できるようにはとても思えず、見ているだけで危なっかしかった。

おまけに依頼から一昨日の完成に至るまでに私の体力は緩やかに下降しており、もはや階段三段を降りるだけでも一苦労なため、その日体調が悪かったことも手伝ってか、最初にこの仕上がりを見た時は「こんなんじゃ外に出れない」と言ってショックと混乱とでワンワン泣いた。犬じゃないんだからと思うくらいにワンワン泣いたのだが、出来上がってしまったものは仕方ないので急遽、桟橋型のウッドデッキに改造できないか相談することにした。

翌日(昨日)になってみれば、体調も回復していたからか、少しくらいためしてみるかという気になり、ゆるやかな傾斜のスロープにクッションを敷いて三分ほど座ってみたりもした。二年前のように、硬いところに座ったせいで激痛が走るということはなかった。しかしスロープを歩くこと、そこに座ることは平地の上で同様のことをするよりも負担が大きく、おまけに意味もないので、できればウッドデッキに改造してもらえたらいいのにな、と願う。

そして今日、「階段三段くらいなら降りられるかも」という気になり、冒頭に記した通り、車椅子での小散歩を執り行うことになったわけである。


良い日だった。

きっと明日も良い日。


ちなみにタイミング的に社会の外出関連のニュースとトピックが重なってしまったけど、私の言う外出とは世間一般に思われるような外出ではなく、公道に出たり面会したりもできないし、すべて自宅の中庭のみで完結しているためいろいろとご安心下さい。

HAPPY LUCKY LOVE SMILE PEACE DREAM !! (アンミカさんが寝る前に唱えている言葉)💞