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専業主婦、「超低コスト夜遊び」に出かける。という話。

子供の夏休みが始まって、休みがない!――と先日書いたばかりで恐縮なのだが、実はいきなり「休日」があった。
母が息子を連れて、二人で一泊二日の旅行に出かけたのである。
この旅行、近年は子供の長期休暇での恒例イベントとなりつつある。

で。私はこの「息子が不在の日」を利用した「夜遊び」をここ一年ほどで編み出した。
日頃の子供優先のタイムスケジュールではなかなか実行しにくい、専業主婦の夜間外出。酒を飲まず、ママ友も0人、古い友人も一人ぐらいしかいない私だが、それでも夜にわざわざ外出しなければ出来ない事柄も存在するのだ。例えばそう、「夜景を見る」とか。

私の家の周囲はひたすら田んぼと、所々に集落がある程度のド田舎なので、夜に外出したところで、見渡す限り真っ暗闇だ。星空観察には適しているが、「夜景」を見るためにはそれなりの場所に出かける必要がある。
といって、「夜景」でググって出てくるような場所に行くには、なかなか時間もかかるし厄介なのだ。勿論本気を出せばスカイツリーまで日帰りで行って帰ってくることも不可能ではないのだが、流石に夫を置き去りにしてそこまでやるのは、費用も時間もかかるし後ろめたさも感じる。そこで頭を捻って考えたのが、車で30分ほどの距離にある「県庁の展望台」という選択肢であった。

日没の時間帯を狙って県庁に出かけ、無料解放されている展望デッキにしばらく滞在し、夜景を眺めて帰って来る。

何ともまぁ道徳の教科書もびっくりなレベルの、健全かつ低予算な「夜遊び」である。
20代の頃の私に言ったら、虫けらを見るような目つきで「そんなのロックじゃない」とか言われかねない。

いや、しかし今の私にとってこれは、精一杯の「羽を伸ばす」行為なのだ。
昨夜の内にカレーは作った。炊飯器にご飯も炊いた。夫の夕食はこれで最低ラインはクリアしている。出かけてくるから帰宅が遅くなるかもしれない、と事前に夫にも言ってある。準備は万端。

いざ、夜の街(PM19:00、県庁)へ!!

スーパーでの買い物以外、ほぼ引きこもり生活を続けている私としては、すっかり夜になったこの時間帯に家の外に出るというのはそれだけでウッキウキだ。誰に会う訳でもないので服はジーンズ+Tシャツのいつもの買い物スタイルだが、スタイリッシュな県庁ビル付近で職員らしきサラリーマン姿の人々とすれ違っていると、気分だけは丸の内OLになれる。まぁ東京にいた頃も、別に丸の内とか関係なかったんですけどね。っていうかこんな時間に外なんか歩けてなかったし、今と逆の意味で。

近くのパン屋さんがギリギリまだ開いていたので、帰りの車で食べようと月見バーガー(2割引)を購入し、エコバッグをぶら下げたまま展望エレベーターへ。展望デッキのある最上階は22時まで営業しているらしい。ありがとうございますご苦労様です、と心の中で誰にともなく手を合わせながら到着。

やー、うん。いいね!!

全面ガラス張りの窓いっぱいに広がる夜景……と呼ぶには若干光量が足りないが、それでも十分夜景である。しっとりめの照明も雰囲気出てるし、何と言っても静かなのが素晴らしい。人は意外とそこそこいて、勉強可能なスペースに高校生から20代社会人ぐらいまでの若人たちが真面目に座っていたりする。が、窓に張り付いているようなおのぼりさんは私だけのようだ。

人口30万に届かない地方都市ではあるが、人工の灯りに飢えている私にはそれでも愛おしいような気持ちで夜景を堪能する。展望デッキをゆっくり回り、勉強スペース以外にもテーブルとスツールが結構あるのに気づいてふと思いついた。ここって飲食可能だったりするのだろうか。

巡回している警備員さんは一人しかいないようで、しかも近づこうとするとひょいと姿を見失ってしまったりする。そんな砂漠の蜃気楼のようなオジサンを展望デッキ半周分ほど追いかけ回してやっと捕獲、「ここって持ち込んだもの食べても大丈夫ですか?」と聞くとOKが出たので、喜び勇んでテーブル席に戻る。
先ほど購入したハンバーガーと、リュックサックからペットボトルを引っ張り出せば、超豪華・夜景を見ながらのディナータイムである。(合計金額510円)

いやー、素晴らしい。なんという豪華な夜遊び。

漫画でしか見たことがない「夜景を見ながらの豪華ディナー」を、アラフォーになって、しかもこんな所で実行できるとは思わなかった。対面にお金持ちのイケメン男性はいないし、フレンチのコースもワインもないが、そんなことは些末な問題である。なんといっても財布に優しい。
いや、別にそこまで極貧なわけじゃないんだけど、ほら何と言うかアレなんですよ、どうせ貧乏舌過ぎて、世界で一番旨いのは卵かけご飯だと思ってるし、ワインとかどうせ飲めないから一緒だし。その手の豪華要素は、有難味を感じられる人だけが存分に追求すれば良いと思うのですよ。

うんうん、月見バーガーもなかなか美味いし、ペットボトルのスタバのキャラメルマキアートも美味い。夜遊びのためにチートデイ設定しておいてよかった。こういう時はカロリーを気にせず食べるのが幸福感を増すのである。

という感じでゴキゲンにもぐもぐ食べていたら、遠くから女性の叫び声が聞こえてきた。展望デッキの広い空間に反響してしまって、何語かも判然としない音声である。が、何か怒って怒鳴りつけているような、そんな連続した声だ。

――むぅ。どこの不届き者だ、私の超豪華ディナータイムを邪魔する奴は。

勉強していた人たちの内の何人かも顔を上げて、声のする方向を見ている。そしてさっき私が追いかけ回した警備員のオジサンが、足早にそちらに向かって行った。
職務に忠実なオジサンである。まぁ、警備員さんが対処するなら大丈夫か。

夜景を見ながら食事を続行。
しかし、やたらと甲高い女性の怒鳴り声は、時々止んだか?と思うとまた再開するのを繰り返している。
外国人かとも思ったが、よく聞いていると普通に日本語のようだった。

ふーむ。何をそんなに怒っているのだろう。
喧嘩……にしては相手の音声が全く聞こえないから、電話で怒鳴っているとかだろうか?
警備員さんが行ったのに止めさせることが出来ないというのは、どういう状況なのだろう。気になる。

私は人間の声が苦手で、しかも「女性のヒステリックな怒鳴り声」にめちゃくちゃ弱い。救いの要素は、聞こえてくる声が音程的に高すぎて、私の一番苦手な周波数帯からは外れている所だが、それでもじわっとした恐怖を感じる。ぶわぶわと湧き上がる不安を無視できない。
声からすれば私より若い女性――のような気がするが、すっかりヒートアップして止む気配のない怒鳴り声に、「止めさせたい」という意識が沸いてきた。

ハンバーガー完食。ごちそうさまでした。

綺麗な夜景を眺めながらキャラメルマキアートをくぴくぴ飲んで、ゴミをまとめてリュックサックに詰め込む。
もう少しのんびりしていても良い時間だが、流石にあの怒鳴り声を聞きながらリラックスして夜景に集中することは出来なさそうだ。

――ならば。ちょっと野次馬しに行ってやろう。

完全に怖いもの見たさである。
だが、例えばその女性が、警備員さんに注意されて逆ギレしていたりするような場合、同じ観光客の立場である私に何か言われたり、そうでなくても視界に入ったりすることで、いくらかトーンダウンする可能性もあるかもしれない。
相手が少なくとも女性で、しかも近くに警備員さんがいるなら、大きな危険はないだろう。何より、この私のゴージャスな夜景ディナーを邪魔された不快に対して、「原因が何か」も分からないままで帰りたくない。

怒鳴り声が聞こえてくるのは、ちょうど展望デッキの反対側の方である。勉強する人々の間を抜けて、声の元まで歩いて行く。

トイレの前のあたりに警備員さんが立っているのが見えた。
そしてそこで判明した。怒鳴り声の発生源は、女子トイレの中だった。

なるほど。それで警備員さんが直接注意することが出来ず、怒鳴り声が止まないのか。

状況は分かった。しかし何故女子トイレの中で怒鳴りまくっているのだろう。
相手の声は全く聞こえないから、やはり電話をしているのか――あるいは、完全に黙りこくってしまうような年齢の子供を怒鳴りつけている、とか?

どうあれ、トイレのような無人の空間でヒートアップしているなら、完全に赤の他人である私がトイレに入る、というだけでも、「他の客の存在」を思い出して冷静になってくれる可能性もある、気がする。
警備員のオジサンに打つ手がないなら、ちょっと私がトイレに行ってみてあげよう――とそんな風に考えて、オジサンに軽く会釈をしてトイレに入ろうとしたところ。

「あのー、すみません。今はちょっとこちら、使われない方が良いかと思います。反対側のあちらにもトイレがありますので……」

申し訳なさそうに声を潜めたオジサンに制止された。
うーん、まぁ、そうか。常識的に考えて。
私がわざわざトイレに入ってトラブルが起こったりしたら、このオジサンの責任になりかねないもんな。

問題の喚き声を今すぐ止めたいというのは、いわば私のワガママでもある。「間の悪い第三者が、ヒートアップしている女性にぶん殴られる」のような事態が起こらないようにしたい、というオジサンの立場も分かるし、単純に私の身を心配してくれてもいるのだろう。

「あ、分かりましたー、ありがとうございまーす!」

と気持ち大きめの声で良い子のお返事をして、大人しくオジサンに言われた方のトイレに向かった。
どんな人か、どんな状況か見たかったのに……と思うとちょっと残念だが、職務に忠実なオジサンの心配を無下にするのも気の毒だ。

それに、警備員さんにごく当たり前に心配してもらえる――というのは、ちょっと嬉しいような気分にもなった。
警備員さんの仕事からすれば、間違いなく当然の事だ。それは分かっているのだが、こう、何と言うか。
私のことを、「他人に怒鳴られたり、危害を加えられたりしてはいけない人間である」と彼らが認識してくれている、というただそれだけのことが、じんわりと温かい。

勿論、当然の話なのだ。
見知らぬ無関係の女性が、自分の目の前で問題のトイレに入ろうとしたら、私だって多分、同じようなことを言う。
その人が「大丈夫ですよ!私、合気道3段なので!」とか言って突撃して行くなら止められないけど。

そんなことを考えながら安全な方のトイレに一応入り、用を済ませて出てくると、なんと目の前にさっきの警備員さんがいた。ちょっとびっくりした。私が問題のトイレを立ち去った後、すぐに追いかけてきたとしか思えないタイミングである。

「さっきはすみませんでした」

といって頭を下げられたので、若干慌てて「いえいえとんでもないです!ありがとうございます!」とよく分からないまま返事をしてしまう。
私を移動させたことについての謝罪なのは分かったが、そんなことより、あっちの女子トイレで怒鳴ってた人はどうなったのだろう。

警備員のオジサンとぺこぺこ頭を下げ合ったあと、さっきの豪華ディナーを食べていた場所まで戻る途中、帰りのエレベーターを待つ若い男女のカップルを見かけた。ここまでの私の滞在中、一度も姿を見かけなかった二人である。

――怒鳴ってたのが彼女で、彼女があの後すぐにトイレから出てきたから、オジサン的に「要警戒」の状況が終わったのか?
いや、そうとも限らないか。……まぁいいか。

元のテーブルと椅子に戻ったが、怒鳴り声は私がトイレに行っている間に完全に解決されたらしく、その後は一度も聞こえなかった。
私の野次馬が未遂に終わったのは若干残念だが、問題がなくなったなら何よりだ。静かさを取り戻した空間で夜景を改めて眺める。

トイレの一件の後だからか、それまで無機質で壮大な光の集合体に見えていた夜景が、人間の生きる温かみを帯びた風景に見えるようになった、気がした。

人間が嫌いだ嫌いだと日頃思っているけれど。
なんだかんだ、私も人間が結構好きなのかもしれないなぁ、と思う。

そしてやっぱり夜景はイイ。
またチャンスがあったら、夜景を見ながらの超豪華ディナーを食べに来よう――と、そんな風に心に決めて、私は大満足で県庁の展望デッキを後にしたのであった。

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