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【最終回】「彼氏じゃなかった彼」に懺悔したい、という話。(4)

前回までの話はこちら。

① https://note.com/watari_niihara/n/nef0a10ad9ba0

② https://note.com/watari_niihara/n/n64473f4da2e7

③ https://note.com/watari_niihara/n/n184ae9f6983e



メモ一つ残さず消えた私を、タカさんは問い詰めたりしなかった。

もちろん罪悪感はあったが、タカさんから連絡が来ないことに、私はホッとしていた。毒親育ちの自覚もなかったその頃の私には、『何故、あの日タカさんの言葉を聞いて「逃げなきゃ」しか考えられなくなったのか』を、他人はおろか自分自身にさえ、ロクに説明することが出来なかったからだ。

頭に浮かぶままの言葉で「怖かった」と言えば、タカさんに「自分の振る舞いが乱暴だった」という種類の解釈をさせてしまうだろう。「タカさんの言った、あの一言が怖かった」と言えば、「タカさんの好意が重くて怖い」という解釈になるだろうし、私がタカさんを好きでないのだと、迷惑だったと、そういう宣言にしかならない。そうでないことだけは分かっていたし、そういう解釈をされることだけは、どうしても嫌だった。
タカさんが何も言ってこないのに甘えて、私は何の釈明も謝罪もしないまま、沈黙に逃げた。

タカさんが私に好意を持ってくれていたとして、「理由は不明だが、手酷く振られた」という解釈になり、タカさんを傷つけた可能性がある、ということに思い至ったのは、それから何週間も経った後だった。
夜中にデート相手に逃げられる、というのは、アラサー独身男性のプライドを粉砕しかねない事案だったのではないか。私の逃げ方は客観的に見て、タカさんのセックスに問題があったとか、タカさんに何か生理的嫌悪感を感じるような重大な瑕疵があるとか、そう取られてもおかしくない行動だったのではないか――その可能性を考え付いた瞬間、全身から血の気が引いた。

せめて親戚が危篤だったとか、友人に呼び出されたとか、見え透いた嘘でもいいからとにかく「私側の事情」だということだけでも説明すべきだった。そして、次のデートの誘いがもしあったなら、断れば良かった。もっと言うなら、そもそもあんな時間に逃げたりせずに、普通にきちんと朝になってから解散して、そのままやんわりと距離を取りさえすれば、良かったのだ。
そこまで考えてようやく私は、あの日、自分の内面的な怖れに突き動かされて逃げた、という行動自体が、どんなに無礼だったかを理解した。

だが、全ては過ぎたことだった。何週間も経過している以上、タカさんが傷ついていなかったとしても、あるいは傷ついてしまっていたら余計に、私のことは既に「思い出したくない過去」に分類されているかもしれない。
どんな謝り方をして、そしてタカさんが許してくれて、私の失態をなかったことにしてくれたとしても、結局私はタカさんの側にいることはできない。あの日私がタカさんを拒絶したことは事実で、この先も拒絶する以外の選択肢がない以上、私が何を言っても、自己満足にしかならないのではないか。

結局そんな考えに行きついて、私はタカさんに謝る機会を自分の手で捨ててしまった。どうかどうか、タカさんが私のせいで自信を失ったりしていませんように――と身勝手に願いながら。


そして2年余りが経った頃、だろうか。
仕事仲間からの連絡をきっかけに、私とタカさんは「知り合い」としての交流を再開した。私は恐る恐る、礼儀正しく、あの夜の前――プライベートでタカさんと会う前までの距離感を表現するように努め、タカさんも同様に接してくれた。内心はどうあれ、恐らく大人として、なかったことにしてくれようとしているタカさんの優しさに、私はまた甘えた。
そして、その「知り合い」としての関係は、今に至るまでずっと続いている。

タカさんがあの日の事をどう解釈したのか、知る術はない。
タカさんはその後、あの日私に話してくれた独立という夢を実現し、結婚し、二人の子供を持つお父さんになった。タカさんが今している苦労がどんな種類なのか、私には見当もつかないが、一度顔を合わせた時、タカさんが終始――前よりもずっとずっと慣れた感じの――「よそいき」の声で私に話していたことに後から気付いて、少し胸が痛んだ。
それは当然の帰結だった。タカさんの、あの一オクターブ下がった「素」の声を聴く機会がもう二度と訪れないことに、私が寂しさを感じる権利は、なかった。

交流再開から更に十年以上が過ぎた、つい先日のこと。タカさんからの郵便を受け取る機会があった。
中身は単なる書類で、あくまでも事務的なものだ。事前に連絡も受けており、大した緊張もなく開封した私は、書類を取り出して開いた途端、その場から動けなくなった。

あの部屋の、匂いがした。

あ、と思った時には既に遅かった。次の瞬間にはぼたぼたと涙がこぼれ落ちてきて、私は慌てて、返送しなくてはいけない書類が濡れないように体から離した。
夫も息子もいないタイミングで良かった。嗅覚は記憶と直結していると何かで読んだ気がするが、なるほどこういうことか――と変に冷静に考えながら、私はしばらくそのまま、ぼたぼた落ち続ける涙が部屋着のトレーナーを濡らしていくのを見ていた。

泣く資格は、ないはずだった。

タカさんの住所はとっくの昔に変わっているのに、何故同じ匂いがするのだろう。当時とは住んでいる部屋も違うし、煙草も辞めたと聞いた気がするし、家族がいるなら使う洗剤だって変わっていてもおかしくないのに、何故。

――仕事から帰ってきて、そんでここにワタリちゃんがいてさー。めちゃめちゃゲームとかしてたら、すげー良いなー、って。

あの日のタカさんの声が聞こえてくる気がして、余計に涙が止まらなくなった私は、開き直ってフェイスタオルを取りに行き、家に誰もいないのを良いことに、思いっきり声を上げて泣いた。
あの日泣けなかった分の涙が、今頃になって出てきているのだろう、と思った。

タカさんのことを、十数年も未練が残るほど熱烈に好きだったのか、といえば、きっと少し違う。
あの日の私は確かに恋をしていたけれど、タカさんの外面と、ほんの少しの内面を見せてもらってのぼせていただけで、それほど深くタカさんという人自身を知っているとは言えなかった。

ただ私は、あんな風に愛されたかったのだろう、と思う。
あんな風に――本当は母に、愛されたかったのだ。

あの日の私は、自分が愛されずに育ったことに気付いていなかった。あの日の私が感じた、『そんなものが存在してはいけない』『”それ”に触れていたら、自分が自分でなくなる』という恐怖は、その時点では確かに真実だった。
タカさんが差し出してくれた”それ”――「ただそこにいるだけの私」を「すげー良い」と許容してくれるような”無償の愛”が、この世界に存在するのだと認めてしまえば、母に言い聞かされてきた「愛」が”それ”とは違うことを、本当は母に愛されてなどいなかったのだと、認めなければいけなくなる。
あの日の私の自我は、まだそこまで育っていなかった。かといって、あの日タカさんに縋って自我を育て直せるほど、私はタカさんを絶対的に信頼できてはいなかったし、恋愛の範囲をはるかに超えた依存をするのも怖かった。だから、強烈に「欲しい」と思いながらも、拒絶して逃げ出すしか、なかった。
きっと、そういうことだったのだろう。

そして。それをこうして認めて、泣くことが出来る今の私は。
母から”無償の愛”を与えられることを、ようやく、心の底から、諦めることが出来たのだと思う。

自分はこんなに泣けたのか、と思うほど思いっきり泣いて泣いて、やがて泣き止んだ私は、ぼーっとする頭で封筒を眺めた。デトックスが済んだかのように、気持ちはとてもスッキリしていた。これほど泣いた自分自身に妙に面映ゆさを感じながら、見覚えのあるタカさんの字で書かれた送付元の住所を、なぞるように読んだ。
タカさんの、今住んでいる部屋はどんなところなのだろうか。
下世話と知りつつも興味が沸いて、Googleの検索窓にその住所を入れてみた。

わーお。

建物の位置や外観を見れたら良いな、と思ったのだが、トップに出てきた不動産情報は、ばっちり分譲マンションの参考価格を表示していた。地方の田舎在住の私の概念では、そこそこの家が土地ごと2軒買える金額だ。もちろん同じ部屋ではないが、同じ建物の同じ階なので、間取りや価格もほぼ同じだろう。
都内の3LDKの、利便性の良いマンション。東京で夫婦と子供二人なら、この金額のマンションという選択は普通だったりするのだろうか。いや「首都圏」でなく「都内」、しかもこの地域という時点で、かなりのセレブなような気がする。

――ほれみろ、超優良物件だったじゃん。

母の価値観を鵜呑みにして、「たとえ付き合って上手くいっても、フリーランスの男性は収入が不安定だから、結婚できない」としか考えられなかったあの日の私を思って、笑った。この数字はタカさんの努力の結果であって、一般論ではないかもしれないけれど、母の、そして当時の私の価値観が間違っていたと明確な数字で見ることは、小気味良く痛快で、清々しかった。

濡れないように避難させていた書類を手に取り、あの部屋と同じ匂いをもう一度嗅いで、「3LDKの綺麗なマンションでバタバタ騒ぐ子供たちと、それを窘める奥さんと、パソコンに向かって仕事をしているタカさん」を想像する。

羨ましい、と思う。正直に言えば、嫉妬さえしてしまう。
でもその嫉妬は、奥さんへのものではなかった。
タカさんを、”無償の愛”を知る人を親に持つ、子供たちへの嫉妬だ。

――あんな風に、愛されたかった。
『愛される』とは『ただそこにいること』だと、自然に知っているような、幸福な子供に生まれたかった。

すっかり大人になってしまった私には、それはもう叶わないけれど。
たとえあの一瞬だけだったとしても、『ただそこにいるだけの私』を求めてくれた人がいたことを、きっと私は一生忘れないし、忘れないでいよう、と思った。

タカさんの子供たちは、きっと”それ”を知って育つだろう。
私の息子も、”それ”を知ってくれているだろうか。それともこれからだろうか。
どうか、知ってくれますように。どうかどうか、私にそれが出来ますように。

そう強く強く願いながら、私は湿ったタオルを持って、顔を洗うために立ち上がった。完全に泣き腫らしてしまった目を、何とかして誤魔化さなくてはいけない。
のんきで明るくて忘れっぽい、私の息子の帰宅まで、あと15分しかなかった。

<終>



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