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幼少期の記憶

みなさんはどこまで自分の幼少期をお話しできますか?

実は私は幼少期の細かい記憶がほとんどないのです。どこに行った、どういう子どもで、どんなことをしたというのをあまり覚えていなくて、少し大きくなってから教えられたものがほとんどです。

ただ衝撃的だったこと、ストレスを感じていたことは覚えているみたいですね。


少し家族についてお話しします。私の家族は少し訳アリです。

母と父は籍を入れておらず、父は他にちゃんとした家庭があります。本当の奥さんと子どもが3人。その子どもは私よりもだいぶ年上で全員結婚して子どももいます。そして、向こうの家族は私の存在を知っています。

この話をすると大変なのね…と言われますが、土日等休みの時には父が帰って来てましたし、私は全然気にしていなかったです。

虐待や育児放棄もなく大事に愛されて育った、のだと思ってます。


ただ、なぜか母や父が苦手なのです。嫌いではないです。苦手なのです。

怖いとかそういうのではなく、母は私から見て「弱い」存在だったのです。
大人になって弱弱しく見えるだけで本当はそうではないと分かりましたが、当時の私には守らなくてはいけない存在に見えていました。

そのため家族なのに気を遣わなくてはいけない存在だと小さいながらに考えていました。

父は全く別の理由で苦手でした。
父も「こうあるべき」というのには頭が固いところもありましたが、とりわけとても厳しいわけではなく、私のことを「弱い」存在だと思っている、「認められてない」とずっと思っていました。

「人前で話すのが苦手」で、授業参観でも発言できない「弱い存在」。

今考えるとそれに反発するために「営業職」に就いたのだと思いますが、営業に向いていないと言われていたそうです。自分の車も必要ない、誰かの運転の助手席に乗っていればいいのにと。後日母から聞きました。

ずっと虚勢を張って生きていました。

私は弱くない。何でも一人でできるし、成功してみせると。

だから「甘えるのが下手」なのです。
甘えられる人の方が人生上手くいきます。
甘えられないから全部ひとりで抱えることになる。

大人になってからの生きづらさを抱える原因になります。

そこにAC(アダルトチルドレン)の理由があるのだと思います。

正直、大人になった今でも母と父の前に行くと変な緊張をするのです。

「いい子でいなくてはいけない」「自慢できるような子どもでなくてはいけない」「ダメなところを見せたくない」

母からも、幼いころから結構ひとりでどんどん進んで行ってしまうような子で、あれが欲しい、これが欲しいとは言わない子であったと聞いています。

また反抗期も目に見えてなかったと聞いています。
確かに、私も「心の中では」めんどくさいと思っているけど、母も父も若くないし「反抗期」で傷つけたくないので「反抗」しないようにしていた記憶があります。

今は、少しだけ離れたところに住んでいるのですが、父がいないことを確認して帰ったりしています。


大人になってから気付く、AC(アダルトチルドレン)や共依存は子供の頃の記憶が原因なことがほとんどです。

よくある親から愛情を受けずに育ってきたとされる虐待や育児放棄など、その経験がなくてもアダルトチルドレンにはなります。

病気の親を持ったりするだけで、子どもは「自分がしっかりしなきゃ」と早く大人になろうとするんです。

私が生まれた時、母40歳、父43歳でした。

20年後には定年退職して働けなくなるから、早く私が働かなきゃ。安心させなきゃ。子どもながらにそんなことを考えていました。


実は、父に関して苦手になったもう一つの理由があります。

ぶたの貯金箱ご存じですか?
今はあまり見ないですね。まん丸いぶたの女の子の貯金箱です。

思春期になって自分の身なりを気にするようになってから言われた「ぶたの貯金箱に似てる」という言葉が大人になった今でも消えません。

それ以降も、出かけている時に少し大きめの女性を見かけると「私だ」と言うようになり。

思春期で「見た目」に強く劣等感を感じていました。
とにかく見た目に関しては自分に自信がなかったんですよね。

詳細は覚えてないのですが、平均より10㌔くらい多かったのでしょうか。

もちろん父に悪気はないです。
そして、かわいいと言われる女の子と自分を比べてしまい苦しんでいました。


ここからは保育園と小学生の頃の詳細に覚えている記憶です。

とにかく泣き虫で、目立ちたがり屋で、負けず嫌いだったこと。

園児の時は、本当によく泣いていたので先生に「ひなちゃんは女優さんになれるんじゃない?」って言われて心のどこかでずっと女優に憧れを抱いていました。

また目立ちたがり屋な部分も顕著で、お遊戯会は主役になりたいと言っていたことを覚えています。まぁ、結局イエスキリストの劇の際に、主役は他の子にとられてしまいましたが。

とにかく人の前に立ちたい目立ちたい子どもでした。

この頃から将来の夢は「女優」さんだったのです。

小学生の頃は、ピアノを習っていたので、音楽の授業の際は伴奏者をやることに喜びを感じていました。

他の人とは違う、自分は特別なんだと。
褒められるには「人と違う自分でいなくてはいけない」と思っていました。

しかし、他にも上手な子が2人いて、その2人に負けたくない反面、劣等感を抱いていました。

ひとりは男の子でプロ並みに上手いんですよ。
学芸会の時は、その男の子がメインの伴奏をしてました。この子に対しては半ば諦めの気持ち、男の子だから上手いんだって思うようにして自分を守っていた気がします。

もうひとりの女の子は同じくらい、もしくはその子の方が少し上くらいだったのですが、同じくらいのレベルだからこそ負けたくない思いが強く、どっちがより重要とされる伴奏をやるか、ひとり勝手にプレッシャーをかけていました。

同時にその小学校には合唱団があったので、そこでも伴奏者という特別な席を、その女の子を取り合っていました。

ひとつ良かった点とすれば、この頃から歌とピアノが私の武器になっていましたね。そして、ピアノでの経験で「人より優れている自分」を感じ、人前に立って演じる「女優」の夢に拍車がかかりました。

ただ幼いながらに「人と比べる」「人と比べられる」ことを経験してしまったため、今では人に認められることでしか自分を認めてあげられなくなってしまいました。

また勉強に関しても、別の女の子と点数を競っていた記憶があります。

100点が当たり前、絶対に負けたくない、ライバルがいるから99点でもダメ、そんな状況だったんですね。

算数は不得意でしたが、とにかくその女の子に勝つことが目標でした。

今考えると、小学生の頃から「競争」することで他人と自分の差を確認して優越感に浸ってたんですね。

競争で他人と比べて自分が勝ってないといけない。

この頃から、生きづらい性格は形成されていたのでしょうね。

大人になるまで気付かなかったんですが、
振り返ると幼少期に原因があることがほとんどなんですよね。

因みに、幼少期の記憶がほとんどないのもアダルトチルドレンに多いみたいですよ。


少し長くなってしまいましたが、まとめると「甘えることができない」「競争し、人と比べることでしか自分の価値を見出せない」「見た目への劣等感」「AC(アダルトチルドレン)」「女優」が私の幼少期を指すワードでしょうか。


読んで頂いてありがとうございました。
思い出話になるので少し退屈な話が続くかもしれませんが、少しお付き合い頂けると幸いです。
反骨精神で乗り越えてきた私が「死にたい」と、うつになった原因と男性依存症、AC(アダルトチルドレン)だと気付いた理由が分かります。

次回は中学生、高校生編です。


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