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ワタナ
2024年3月31日 20:18
11しばらくして私は幼稚園に入園したそこは私立の幼小中高一貫校母方の親戚が通っていた学校でもあり母方の家の意向が働いたのだと思う兄も引っ越し後すぐ同じ幼稚園に転園していたが小学校は近くの公立に進学した一貫校は中学から女子校ということもあって小学校も男子が圧倒的に少ない同性の友達が少ないのは可哀想という理由だったらしい
2024年3月26日 20:02
10幼過ぎて人が死ぬということの意味は分からなかったただ突然母が居なくなったことと新しい生活が始まったことは分かったあの時の私は寂しいとか、悲しいとか、感じていたのだろうかもう覚えていないただ、夜が怖くて寝るまで父に手を繋いでいて貰ったことは覚えている
2024年3月12日 13:13
9細かい話は良く知らないだけど金銭的な援助を含めた諸々の援助の名の下に母を亡くした我が家は母方の祖父母の家の近くに引っ越した別の所に住んでいた父方の祖父母も同じタイミングで引っ越し、父と同居父方の祖父母と父が住む家母方の祖父母が住む家スープの冷めない距離その二つの家を兄と私は行ったり来たりして過ごすことになった父はそれまでの仕事を辞め自営業を営む母方の家の
2024年3月8日 09:23
8母は一人っ子だった母が亡くなった今母方の家の血を引き、名を継げる者は兄と私だけ父にはきょうだいが居たらしいが若くして亡くなったらしいつまり父も一人っ子状態名家でも継ぐべき立派な家業があるわけでもないそれでも母方の祖父母は、私に目を付けたらしい本音を言えば兄が良かったのだろうけど兄は父方の家を継ぐ長男な訳で…とにかくゆくゆくは私を母方の家の養子にし婿を取
2024年3月4日 10:03
7母のお葬式の記憶は少しだけ残っている私は兄と葬儀場でたくさん遊んだ色んな大人が集まっていてなんだかお祭りみたいで楽しかった沢山の人が優しく、時に泣きながら声をかけてくれるただ「おかあさんの分まで頑張って」という言葉は子どもながらに不思議で重たくて苦しかった