「江口寿史展 ノット・コンプリーテッド」(世田谷文学館)その2. 漫画・イラスト両立時代のイラストレーションを眺めてみた
はじめに
1月21日に投稿した江口寿史展の記事、その1では、「線スケッチ」に役立つ江口氏の漫画作品の鑑賞という私の立場からの一方的な記事を書きました。
ところが会場を出ようとしたときに作者の挨拶文を読み、江口氏が世田谷文学館で展示しているのは、「漫画を描きながら並行して描いていた時代のイラストのみ限定している」こと、そこに強い思いを込めていることが語られていることを知り、あらためて作家本人の意図を汲むために展示作品を見直すことにしたのです。今回その結果をその2で記事にします。
なお、次章では漫画作品ではなく、イラストレーション作品を中心に書くことにします。1980年代から90年代末の作品です。私がフォローしているインスタグラムから、最近の江口氏のイラストレーション作品を以下に示しますので比較していただければ違いがより明確になると思います。
上二つは、都会の日常の中の女性の姿を描いたものです。
もちろんカワイイ少女単独の、定番のイラストレーションも数多く発表されています。
それでは、20年以上前のイラストレーションを眺めてみましょう。
漫画家・イラストレーション作家時代のイラストレーションを分類して眺めてみた
まず前もってお断りします。
私はこれまでイラストレーターとしての江口寿史氏しか知りませんでした。氏の漫画家とイラストレーションを両立して描いていた時代を知る昔からのファンならば本展覧会の江口氏の意図をおそらく読み取ることができるでしょう。
しかし私は漫画をまったく知らないだけでなく、江口氏の著作やインタビュー記事も読んでいないので、作者がこれまでどのような思いや考えを持っているのか、私はまったく白紙の状態です。
ですから作者が意図した展示レイアウトの意味を汲み取ることはできないと判断しました。
そこで私が会場で撮影したイラスト作品を展示レイアウトに関係なく、作品本意で鑑賞して私が再分類した内容ごとに感想を書くことにします。
(漫画を読んだことがないので、漫画の作品もイラストとして紛れ込んでいる可能性があります。その点ご容赦ください。)
(1)初期イラストレーションと様々な試行錯誤
江口氏の現在のイラストレーションからは、とても想像できない絵のスタイルばかりで、その片鱗すらありません。また当時の漫画(結構ギャグ漫画も多い)の絵とも違います。
図1に示すように、それぞれの作品のスタイルの振れ幅が大きいのは、スポンサーの意向に合わせたためというよりは、自分のスタイルを確立しようと試行錯誤している最中のように思えます。
もともと漫画家でデビューした江口氏が、なぜイラストレーションに手を出すことになったのでしょう?。
「絵」を描くという観点では両者同じですが、漫画家はストーリーを考え(分業もありますが)、キャラクター群を生みだし、それらを背景や舞台を設定してその中で会話をさせ、絵として動かして、読者に感動を届けるという、物語作家、脚本家、絵描き、美術・舞台監督など一人で何役もこなすマルチ芸術家なのに対し、イラストレーターは、スポンサーの依頼の仕事であり、スポンサーが顧客が最大満足するような作品をイラストレーターに望む中で作成しなければならないという制約があり、それが最大の違いです。
ですから、漫画家とイラストレーターをプロフェッショナルな仕事として同時に両立させている作家はほとんどいないのではないでしょうか。
以上の理由により、漫画家が途中でイラストレーターを目指すのはかなり冒険なはずです。ましてや江口氏の場合はすでに人気漫画家になっているわけですから、わざわざイラストレーターを目指す必要性はないはずです。
実際、江口氏は漫画を描いていない現在も、漫画を描きたい意欲はあるようなので、よほど強い思いがあるにちがいありません。
以下、作品の変化を見ていきましょう。
(2)漫画表現が色濃い少女像
図2に示した作品は、顔の描き方から判断すると漫画の主人公の口絵用の作品が入っているかもしれません。
仮にそうだとしても、後年のカワイイ少女のイラストレーションの初期過程が示されている気がしてなりません。顔は漫画的でもポーズや手の表情、こちらを見つめる目の表情、人物のコマ(枠)の中の配置など、漫画というよりはファッションモデル的でイラストレーションの構図を意識しているように思えます。
(3)漫画表現からイラストレーションへ
図3では、図2の状況をさらに発展させて、女性の全身像のいろいろなポーズ、背負われた女性の男女像の、二人の気持ちのやり取りを感じさせる描写など、まだ試行錯誤の状態ですが、最近の江口スタイルの片鱗が見え始めています。
(4)カワイイ少女のさまざまな試み
さて、節(1)で記述したようにイラストレーションには依頼者(スポンサー)がいます。ですから、様々なテーマや人物が主題となり得ます。実際、図1では、多様なテーマや人物を異なるスタイルで描いています。
ところが節(2)以降、江口氏は若い女性、特に10代の女性に絞ろうとしているように見えます。 テーマを絞ることは、そのままスポンサーのニーズの間口を狭めることになりますから、商業的には不利になると思うのですが、はたして当時江口氏は勝算があったのでしょうか?
成功した後から振りかえれば、(2)から(4)に至る一連の流れは当たり前のように見えますが、最終的に独自のスタイルがどうなるか分からなず、またスタイルを確立したとしてもスポンサーに受け入れられるか不確実なことを考えると、江口氏は不安を抱えながら様々な試みをしていたと実際は思うのです。
たとえば、(2)から(3)までは若い女性への絞り込みの過程、そしてこの図4では、次のような過程があるように思えます。
さらに、次に示す女性のモデルポーズと服装の配色の研究(図5)、輪郭線を少なくした描写スタイル(図6)も試みています。
図6では、ファッションもさりながら、手、特に指の表情が口元の描写と相まって若い女性の魅力を引き出しています。
(5)人物配置の試み
これまでは、人物その物の描写について述べてきましたが、構図についても江口氏はいろいろ工夫していることが窺えます。図7で読み取った構図の工夫を次に示します。
最初はイラストレーションの枠の中の人物の配置、構図についての工夫です。図7で示したずらしの人物配置はイラストレーション向けであり、おそらく漫画のコマの中ではこのような配置はしていないのではないかと思います。
さらに、女性をお腹から上の上半身ではなく、腿まで入れた女性像を江口氏は図7に示した以外に多く試みています(図4の左下もその一つ)
この構図は江口氏独自のものかどうかは分かりませんが、官能性を引き出すための工夫と思われます。
(6)男女間の様子や日常の暮らしの女性ならではのしぐさの観察と描写
少しイラストレーションの描写の方向性が決まり、安定感が増したところで、普通の男性には気づきにくい女性のしぐさの描写を試みています。
例えば、図8の左上の2枚では、交際中の若い男女の一瞬の様子を切り取っています。すでに図3でも線描の例を示しました。
しかし驚くのは、より細やかな女性のしぐさを描いていることです。言葉では表現しずらいのですが、例えば、化粧をしたり、髪の毛を結わったりなど女性ならではのしぐさや、立ったり、座ったり、食べたりなどの立ち居振る舞いの中でのちょっとした女性らしいしぐさです。
私のように、現場を観察してスケッチする人間でも、このような場面を意識して見て描いたことはありません。魅力ある女性像を描くためには、このように日々の暮らしのしぐさの機微まで描き切らなければならないようです。
(7)描写の安定と初期作品
ある程度の描写のスタイルが固まってきた段階での作品を図9および図10に示します。
人物のポーズや構図ではなく、これまでの例では言及しなかった配色の工夫を見ることができます。
(8)白描イラストレーションの美しさ
最後に「線スケッチ」の立場から気になった作品を下に示します(図11)。
それは着物姿の女性をペンによる白描で描いたものです。日本女性の黒髪がとても映えます。黒髪を美しいと感じるのは私が古い人間だからでしょうか?
江口氏は、日本の白描絵巻の黒髪の美しさを意識してあえて彩色しなかったと思われます。
最後に
江口氏の漫画、イラストレーション両立時代のイラストレーション作品を中心に、その描法の変化を見てきました。
なぜ性格の違う絵に手を出したかのかと作者に問えば、おそらく複雑な理由はなく、ただ「好きだから」「描いて見たかったから」というのが本当の所だと思います。
冒頭で示した最近の作品を見ると、さらにその作風は進化し続けていると言えるでしょう。
そして漫画だけでなく、イラストレーションでも一流のイラストレーターであることを示したのですが、それはとりもなおさず江口氏が確立した作風をスポンサーが望んだことを示しており、漫画・イラストレーション両立時代の様々な工夫が実を結んだということになります。
もしかすると本展覧会で江口氏は、当時の不安や希望、期待が入り混じった複雑な気持ちを伝えたかったのかもしれません。
(おしまい)
記事その1は下記をご覧ください