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【#Real Voice 2023】 「主役」 4年・平野右京

あの頃の私は“主役”になりたかったのだと思う。



“主役”になり、勝ち抜いて、これまでの人生は歩んできたのだと思う。



どこか脇役の自分がもどかしくて、“主役”である人に憧れたのだと思う。



ア式蹴球部に入ること、Bチームの試合に出場すること、Aチームにいること、関東リーグにスタメンで出場すること、早慶戦に出場すること、憧れる4年生みたいになること。どれをとっても軸には私がいて、私が活躍している姿しか想像していなかった。少なくとも3年前の私は“主役”になるビジョンを想い描いていた。


最終学年である2023シーズンは3年前の私が想い描いていたビジョンよりも圧倒的に強いものがあった。
4年生だからこそ、チームのために何ができるのか、チームが勝つために何をすれば良いのかを考えた。選手である以上に4年生としての責任を感じた。だから、チームが勝つことが1番で、私は2番目であれば良いと。チームのためならベンチから一生懸命に声を出せる、チームが勝つなら、試合に直接関与しなくてもOKと。

チームの中心に私がいるのではなく、チームの主役選手を目立たせる脇役としてのものが私のビジョンより強かった。

今年の関東リーグでのスタメン出場は、開幕戦と体調不良で急遽朝にスタメンを知らされた前期の関東学院戦だけ。それ以外は後半からの投入。一時期はチームの「ジョーカー」や「切り札」とも呼ばれていた。私自身の居場所を見つけ、安堵した。チームのための役割を徹して、チームを勝たせることができているのだと思った。そう思いたかった。

出場時間は多くて45分の時もあれば、少なくて5分の時もあった。別に構わない。チームを最後に救えたら、私の役目を果たすことができればそれで十分であると、そう想いたかった。


今思うに、本来の憧れていた私の姿を諦めてしまっていた。
最前線ではなく、2番手である私。自身の秘めたる感情を殺し、チームに徹する。
同ポジションの後輩が出ていても、なんとも思わなくなる。チームが勝つための策略なのだからというマインドになる。

「頑張れ」と後輩の後押しをして、試合に出ていく後ろ姿をベンチで見守る。

あの頃の私は、嘘でも「頑張れ」とも言えなかった。

学年が上がるにつれて、自分の立ち位置がわかるにつれて、思い描く憧れの姿が見えなくなる。あの頃抱いていた感情が、その痛みがどんどん感じなくなる。

そんな頃に比べて、少しは大人になったと納得できるように自分に言い聞かせた。


しかし、これまでは結果がついてきたから良いと思い込んでいただけ。結果がついてこない今何を思うのか。

想い描く“主役”をあるがままに記したい。



主役であること


主役。
今シーズンは何回主役であったのだろう。

関東リーグでチームを勝たせた時、プレーがノリノリで人一倍良かった時、早慶戦で得点をとった時、主役になった。

その瞬間、スローモーションのような感覚になり、気がつけば周りが歓喜に包まれている。

圧倒的な何かが自分の背中を押してくれた気がして、なんでもできると感じた。

一方で、チームに負けをもたらした国士舘戦、インアウトを経験した試合、戦犯と言われたあの試合も、悪い意味で主役であった。

何も感情が湧かない。ただただ、“責任”という波に自分が飲まれ、存在が見えなくなる。

一人でいたら悲しくて、必死に何かのせいにして自分を偽ろうともした。

良くも悪くも今シーズンは主役になる回数が多かった。何もなく、ただ茫然と勝利の脇役になること、敗戦の脇役になることは選びたくなかった。どちらでも良いから“主役”であることが大切。
選手である以上、私中心の世界でありたいと強く思っている。


あくまで自分が見ている世界は「私」が中心である。誰もがそう。他人軸の人はいない。どんなことがあっても他人によって動かされる世界と自身によって動かす世界は受け入れ方が大きく異なる。だからこそ、自身が“主役”でなくてはならないし、なるべきである。それがたとえ悪い主役だったとしてもなるべきだと。

必ずその「私」が主役になる一歩を踏み出した時に、新しい景色が待っている。


何にしても、“主役“で在り続けることにしか、成長はないと大学サッカーで気付かされた。


“野心”と“協調”


4年生になった今ようやく理解できた。

“主役“である私、”脇役“である私

チームの最前線で活躍して、勝たせること
チームのためにできることを模索すること

両方できれば、完璧。
でも、そう簡単に上手くはいかない。
4年生として見られる。私の言動、行動が4年生の見え方になる。チームのために。みんなのために。勝つためのことをする。最前線でなくてもいい。あの頃憧れていた灯火を消し、チームのための灯火をつける。

「チームのために行動しろ」

「チームのために仕事をしろ」

「チームのために・・・」

忘れている。あの頃の野心。


確かに4年生になれば、チームのための協調性は大切である。しかし、自身の野心がなくなってはいけない。野心がなくなるほど、4年生には大きな責任があるのは事実。

試合に出たいと思う感情も、活躍したいと思う感情も、全ての感情が消えてしまう。


野心を抱くこと、協調すること


聞き覚えがある。


似ること、似ないこと


このバランスを間違えてはいけない。特に野心は最後まで持ち続けるべきだと。


その力こそが「誰かの活力になる」のだと。


“主役“になることを諦めてはいけない。
決して、協調だけを選んではいけない。


野心を抱き続け、皆と協調する。そして、感謝する。


おわり


あの頃から今の「私」はどれくらい成長したのか。
憧れていた姿を少しは理解できた気もする。
そして、より鮮明に、よりリアルに、あるがままに。
また新たな景色を見るために歩み続けようと思う。


残すところ3試合。
残された昇格への道は3勝。




俺ならできる。俺たちはできる。




3勝して、関東1部に昇ろう。


◇平野右京(ひらのうきょう)◇
学年:4年
学部:人間科学部
前所属チーム:滝川高校

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【過去の対談記事(早稲田スポーツ新聞会 企画・編集はコチラ☟】


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