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【#Real Voice 2022】 「あたりまえはあたりまえじゃない」 4年・中津留正大

6月12日vs日本大学戦
久しぶりにメンバーに入ったIリーグ(インディペンデンスリーグ)の試合だった。
前日に1人怪我をして追加でメンバーに入った。
心のどこかで出ないだろうと思って試合に臨んでしまっていた。
正直気持ちは緩んでいたと思う。
試合には後半の途中から出ることになった。
出ないと思っていても、久しぶりの公式戦となるとワクワクしたし、思ったより体は動いた。

3プレー目くらいで、スローインを受けた相手選手にプレッシャーをかけに行った。
膝を相手選手と接触してこけた。

その瞬間、膝が取れたかと思った。
一応曲げ伸ばしはできたけど、立つことはできなかったのでそのまま代わった。

学生トレーナーからは多分打撲だろうと言われた。
自分の感覚的にはそんなわけないと思ったけど、大怪我と思っても仕方ないし、不安だったので信じた。

次の日病院に行き、検査をした。

前十字靭帯断裂だった。

病院の先生からは、手術後、完治まで6〜8か月かかると言われた。

4年の6月にして早々に引退が決まった。

それからは、あたりまえにできていたサッカーができなくなった。

ここで、
あたりまえはあたりまえじゃないと気付かされた。

あたりまえについて少し考えてみる。

あたりまえの反対はありがとう。

ありがとう=感謝すること
これを漢字にすると

「有難い」

つまり、「あることが難しい」

この難しいは、普段多くの人に支えられているということをしっかり自覚すること、つまり感謝することで感じることができるのだと思う。

サッカーできることをあたりまえに感じていたのは、サッカーを長く続けてきた中で、サッカーできることに対する感謝の気持ちが薄れてきていたからかもしれない。

日常にもあたりまえじゃないのにあたりまえと感じてしまうことは多くある。

例えば、

大学に通えていること。
ご飯が食べられること。
時間通りにきた電車に乗れること。
東伏見でサッカーできること。

例を上げるときりがないが、日常にはまだまだあたりまえに感じてしまうあたりまえじゃないことが多くある。

この日常にありふれているあたりまえはあたりまえじゃなくなってからありがたいことだったんだと気づくことができる。

あたりまえじゃないと気づいてしまってからでは遅いかもしれないけど、改めて今までの日常に感謝したい。

これから生きていく中であたりまえなことなんて1つもない。

誰かが支えてくれているおかげで、私たちが感じるあたりまえは成り立っている。

あたりまえをあたりまえと思わず、有難いと感謝できるような感度を持った人間にになりたい。

最後に、
ここまでここまでサポートしてくれた両親に感謝の気持ちを伝えたい。

今まで恵まれた環境に身を置いていたせいで、

今までサッカーを続けさせてもらっていることや
大学に行かせてもらっていること
東京で寮生活をさせてもらっていること
があたりまえになってしまっていた。

両親が支えてくれていたおかげでここまでこれました。

22年間ありがとうございました。
これからもよろしくお願いします。

◇中津留正大◇
学年:4年
学部:教育学部
前所属チーム:大分上野丘高校


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