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【#Real Voice 2022】 「大事なものを失ってしまった自分へ」 2年・梅林頌英

「試合に出られるのも、出られないのもすべてその人の個性。」


高校時代に監督が言っていた言葉。


当時この言葉を聞いた自分は、ものすごく腹立たしかったことを覚えている。



サッカーは試合に出場できるのは11人。
在籍していた高校の部員は約200人。
毎日みんな練習して、週末試合をして、日々成長して、うまくなろうと努力して。
選手権の舞台で活躍することを夢見て。

ざっと計算して、部員の約20人に1人しか試合に出ることができない。

自分は高校3年間で1番下のカテゴリーからCチームもBチームも経験した。
使えるグランドは、試合もできないような全面グランドを野球部と半分ずつで2分の1。トップチームがその半分を使うため、4分の1。これを残りの5つのカテゴリーで分けて使用する。本当に少ない。今考えるとよくそんな中でサッカーができていたなと思う。対面パスしかできないような日もあった。少しでも自分のカテゴリーがグランドを広く使えるようにと、コーチ同士がマーカーを置くときに、自分のカテゴリーのエリアと被ってるなどと、言い合ったりしていたことも記憶に懐かしい。時間に関しても、7時には校舎からでないといけないので、着替えたら走って校舎から出たりと。

こんな環境であったのに関わらず、トップチームで出たい、活躍したいという気持ちを忘れることはなかったし、ずっとトップチームに行くことを考えて、そのために必要なことはなんなのか、どこのポジションなら自分は戦えるのか、誰なら食えそうかを、日頃から思考していた。自分より上手い人のプレーを見て、あのプレーなら自分でもできそうだなとか思いながら。ひたすらがむしゃらに突っ走っていた。


こんな感じで高校時代を過ごして。




去年は大学1年目のシーズン。
その1年目は全くと言っていいほど、試合に絡むことができなかった。ア式蹴球部は3つのカテゴリーで公式戦を戦っているが、その1番下のカテゴリーですらも。
苦しかったし、悔しかった。


さすがにあいつよりうまいでしょ。とか。
コーチ何考えてんだよ。とか。
このポジションやったことないわ。とか。


そう思いながらも、めちゃめちゃ言い訳しながらも、文句を言いながらもプレーしていた。
高校でやっていたサッカーと大学でやっているサッカーは全くと言っていいほど違うし、求められることも180度違う。そこを我慢しながら、早稲田のサッカーに、大学サッカーに適応しようとなんとかもがき続けた。

また、ア式には組織理念という言葉が存在した。

哲学  WASEDA the 1st. 
~サッカー選手としても、人としても一番であれ~

昨年は「日本をリードする存在」から始まり、「熱量」「感受性」「礼儀」。
今年は「活力を届ける」「挑み続ける」「凡事徹底」。

こんな言葉が並べられていた。

日本をリードする?

なんだそれ。素直にそう思った。



最初聞いたときは、なんかかっこいいなと思ったりもした。
だけど、サッカーをただひたすらやってきたし、そんな環境で育たなかった自分からすると、そんなのいるのかよとか思っていたし、「熱量」という言葉が本当に嫌いだった。
なんだ熱量って。2年目を迎えた今シーズンももちろん思っていた。
やることをしっかりやっておけばよくないか。
パスをしっかり通せば、球際行けば、点を決めればよくないか。
そして、試合中に発せられる「謙虚に」。
自分にとどめを刺す「愚直に」。

身体がそんな言葉を完全に拒絶していた。
またかよ。またその言葉かよ。愚直に戦えばいいのかよ。サッカーという技術が必要な競技からの逃げじゃないのかよ。

そんなことを思っていた。

(今ではその環境に慣れ、その大切さにも気づき始めているけど、いまだにそんな言葉があまり好きではないです。)

そんなこんなで、周りにはたぶんそうは思われていないと思うけど、いろいろ考えながらサッカーをしていた。ピッチ内では、高校よりもコーチとの距離が近いことや、同い年の人が学生コーチという形で自分たち、選手を評価している分、今、自分に何が足りていないのか、どこの立ち位置にいるのかがわかりやすい。彼らの力を借りながら、なんとか自分で覆そうとプレーしていた。
結局満足のいくシーズンではなかったけど、自分の中では成長を実感できた1年であった。




でも今年は。
20歳になり、大学2年生になり、大学にも慣れ、そろそろ3年生になろうとしていて。

2年目のシーズンはいろいろあった。
学年でミスが多発してシーズンが始まったこと、社会人リーグの大事な試合で大チャンスを外したこと、Iリーグ(インディペンデンスリーグ)と新人戦でボコボコにされたこと、戦略を立ててめちゃめちゃ綺麗な点をせいりゅう(2年・原聖瑠)が取ったこと、合宿でほぼ全敗したこと、これは個人の話。
関東リーグで思うようにチームが勝てなかったこと、4年生と監督が衝突したこと、プロ内定者が続々と出たこと、関東2部に降格したこと、チームとして、組織としてなかなかうまくいかなかったこと。
挙げたらきりがないけど、たくさんあった。


そんな中で自分は、今シーズン。


自分自身に「欲」というものが全くと言っていいほどなくなってしまっていた。


サッカーをしていても、生活していて、生きている中で、ああなりたい、こうなりたいというものがなくなってしまった。
なんでもいいや、どうでもいいや、将来なんてどうにでもなるでしょ。

サッカーだったら、
週末ある試合のために練習は一応こなそう。
試合に出たらとりあえず頑張ろう。
ベンチにいても、軽くアップだけして別に出ても出なくてもどっちでもいいなぁ。
練習も人が限られているやつだったら休もう。
走りもビリでいいから、とりあえず決められた時間には入ろう。
ヘラヘラしながらサッカーして。
こういった態度。

学年ミーティングでも発言せずにボーっとして終わったり。
学年のみんなにプロを目指していないからチームを支えたいと言ったり。
IリーグからFC(社会人リーグ)にカテゴリーが落ちた時に悔しい感情が全く出てこなかったり。
ベンチにいても不平不満が出てこなかったり。
もっと上のカテゴリーでプレーしたいと思わなくなったり。
もっと上手くなりたいと思えなくなったり。
もっとうまくなれると自分に思えなくなったり。
何が自分に足りないのかを考えるのがめんどくさくなったり。
あいつには勝ちたいという気持ちが出てこなかったり。
こういった感情。

サッカーで頑張れていないときは、私生活でもほかのことを頑張れない。
これは、高校時代に友人と話しまくった。
サッカーの調子が良いときは、勉学でも調子が良いし、サッカーの調子が悪いときは、なんだか何をしてもうまくいかないし。
ピッチ内での自分は常に、ピッチ外の自分と関係しているのだと。

またア式では常に焦点が当てられるのは、組織。その組織のために何ができているか。そこに個人の感情なんて反映されない。学年ミーティングで本音ではないことを同期に言ってみたり、周りの人間がそれでいいならいいかと嘘でも自分を納得させたりしたこともあった。
そんな環境に2年いて、その雰囲気に慣れ、自分の感情を忘れることが増えた。
気づかないうちに感情表現が少なくなっていった。
感情を持たない、感情を持つことができない人間になっていた。
自分がこうなりたいというもの、人物像を見失ってしまった。
そしてそれが、サッカーのピッチ内にも及んでしまった。


大学に慣れて、早稲田という校風に慣れて、ア式という組織に慣れて、学年に慣れて、Bチームにいることに慣れて、何事もこなすことに慣れて、惰性で生きることに慣れて。


そして最近、高校時代の監督が言っていた言葉をよく思い出す。
すべて個性だと。それを受け入れろと。

トップチームで試合に出られないのも、
Bチームにいることも、
ああなりたいこうなりたいという「欲」が出てこないことも、
すべて個性なんだと。
今シーズン、20歳になった自分、少し大人になった自分はこの言葉を納得してしまった。
逃げの方向に行ってしまった。
弱い人間になってしまった。
高校時代は腹が立った、納得のできなかった言葉を肯定してしまった。


ア式はあくまでも競技サッカーをする組織。






その中で自分は、サッカー選手として、終わったんだ、そう思った。
サッカーで生き残れなかったから。
サッカーで生き残ろうとしなかったから。
サッカーで負けを認めたから。
サッカー選手として大事な気持ちを失ったから。


この事実を認めてしまった自分が本当に情けなくなった。


Bチームに長い時間いると、たとえ目標がトップチームの試合に出ることであっても、そこがぶれてしまう時が必ずある。
Bチームに慣れ、居心地がよくなり、ぬるま湯にずっといたいと思ってしまう時がある。
俺にはもう無理だわって思ってしまう時がある。
Aチームの人らと比べたら、何もかも違うでしょって思ってしまう時がある。
サッカーから逃げたいと思ってしまう時がある。
毎日練習して、ほんとにだるいと思ってしまう時がある。


それでも、それでも俺らがいる組織は、競技サッカーをするところ。
将来、日本をリードできる存在になることを目指している組織。
みんな寒い中、きついきついランテストを乗り越え、仮入部期間で自分と向き合い、ここだったら成長できるかなとか思って、そして組織とも向き合い、それをも乗り越え。
いろんな夢を見ながら入部した組織である。


このままだと過去の自分をがっかりさせてしまう。
過去の自分の選択を後悔してしまう。
この4年が中途半端にものになってしまう。

練習終わりに4年生が一言みんなに向けて言う。
ほとんどが、
「また明日から、また来週から1つずつ積み上げていきましょう。」って。
自分は聞き流すことが多い。それでもこの言葉をよく聞く。
またその言葉かっていつも思う。

でも、結局自分たちには1日1日なにかを積み上げることしかできない。

1日の練習にどれだけこだわれたか。

その積み上げがどれだけできたか。

これがすべてなんだなと。


『今日、心の中でどんなことを考えているかによって、将来が大きく左右される。だから、常にいつも希望と自信と愛と成長につながる考えで心を満たしていてほしい。』

これは最近読んだ本に何気なく書いてあった言葉。

希望・自信・愛・成長。

めちゃめちゃくさい言葉だけど、今シーズンはこれが全く持ててなかった。

そして、1日1日がやっぱり大切なんだなって。





自分に期待して、自分のことを1番信じて、周りの人を巻き込んで、強い気持ちをもって、
自らに「欲」を持って。







今シーズンはもう帰ってこない。

今年全く出てこなかった自分自身に対する「欲」。
これがなんなのか、いつ湧き出てくるのかいまだにわからない。
また諦めて、どうでもよくなって、自分と向き合うことから逃げるときが来るかもしれない。


それでも、過去の自分の決断を後悔しないように。
卒業するときに胸を張っていられるように。
どん底から這い上がったうぶ君(4年・生方聖己)のように。
ここに宣言することでこれをもっともっと湧き出させる。


2023シーズン。
人として、サッカー選手として、ここから絶対に這い上がる。



◇梅林頌英◇
学年:2年
学部:文学部
前所属チーム:國學院大學久我山高校


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