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【#Real Voice】 「幸せです」 1年・梅林頌英

こんにちは。ア式では、やたらと下にみられる文学部の梅林頌英です。
同じ高校の大先輩で心から慕っている、福井寿俊先輩に続き、ブログを書こうと思います。

ア式に来て、早半年。
大学生になり夏休みの半ばを迎えた今、ひたむきに勉強と部活に明け暮れていた高校の頃よりも多くの時間をサッカーに費やしている気がする。高校時代に仲の良かった同期の多くはサッカーから離れている。その中にはもちろん自分よりも試合に出ていた人、センスがあった人、能力が確実に高かった人がいて、彼らは自分の夢に向かって勉学に励んだり、留学をしたり、1番行きたい大学にこだわってもう1年勉強したり。大学生の4年間は一生今後の人生で返ってくることはないし、本当にかけがえのない貴重な時間。その4年間をどう過ごすのかは全て自分次第で、留学をして自分の視野、価値観、考え方を広げたり、バイトをしてお金をためて世界を1周してみたり、将来のために様々な能力を磨いたりできる。そこに正解なんてものはないし、自分が選択するものを自分が描く正解に近づけるために過ごさなくてはならない時間がこの4年間なんだろう。

それではなぜ自分は「大学生にもなり、サッカーをここまでしているのか」と最近思う。

この問いの答えは本当のところ全く見えない。

正直、サッカーをやめようかなと思う瞬間は何度もあった。

中学から高校に行ったとき、高校から大学に進学が決まった時、ア式に来て仮入部生だった時。それでも続けようとしたのは、自分の生活からサッカーがなくなるのが正直怖かったから。今考えてみると、小さな目標はその都度もってはいたが、達成したいこと、成し遂げたい夢みたいなものを持たずにここまできてしまっている。


少し話は高校生の頃に戻る。


高1高2はトップチームに絡むことすらできず、BチームやCチームあたりで2年間過ごしていた。高2の時に冬の選手権でチームは東京都予選で優勝し、ベスト16という成績を残したが、部員でありながら自分のチームがその成績を上げたことに実感を全く持てず、嬉しさを感じることもなかったし、同期が活躍している姿を見て、悔しさを持つこともなかった。それぐらいチームにコミットできず、一般の観客と同じような感覚だった。

高3になり、「自分の代こそは」と思い、トップチームで試合に出ることはできたが、新型コロナウイルスの影響で1年間を通じて試合が少なかった。幸いなことに、冬の選手権は無観客ながらもいろいろな人の協力の元に開催されたが、結果は東京都予選の準決勝で敗北。途中出場したものの、自分のミスから失点し完全にチームの戦犯になった。おそらくこの出来事が今までで1番悔しかった。ア式にいる人から見れば、起きたことの規模は小さいかもしれないが間違いなく悔しかった。

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サッカーでは何も残せなかった高校3年間。正直ほんとにもうやめてもいいなと思った。でも大学は指定校推薦で行くことが決まり、早々と引退して、周りの同期が黙々と受験に向けて時間を大切にしながら勉強する中、ものすごい虚無感が残った。何も目標がないことが怖くなった。その時の自分には受験勉強をしている人がかっこよく見えた。彼らには明確な目標があったから。

そこで何かに向けてひたむきに努力することの尊さを実感した。目標を持てることの幸せを感じた。

だから自分はサッカーを大学でも続けているのだと思う。目標は小さいのかもしれないが。

別に将来プロになるとか、今後ここでサッカーをしていたことが自慢になるわけでもない。『大学でもサッカーをやるって偉いね、すごいな。』って言われたことがあるけど、何も偉くないし、すごくもない。なんならバイトもしないで親のすねをかじった生活をしている限界大学生なんじゃないかなって思う。
だからこそ自分はサッカーが好きなのだと感じる。幸せだと感じる。楽しいと思える。これ以上のものはなかなか見つからないなと思う。

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最近、自分に対して、「自分の可能性をもう少し信じてみてもいいんじゃないか」と、思うようになった。ア式には全国的に名の知れている人や、とんでもない経歴を持つ人がいる。そんな中で関東リーグに出場するなんて想像もできないし、出場できたから何と言われてしまえばそれまでだけど、そこまでのプロセスを踏むことに意味を見出しているし、そんな中で目標をもってサッカーをできることは本当に幸せなことなのだから。


監督やコーチ、4年生がよく言う「愚直さ」からはかけ離れているけど、1日1日、その瞬間をもうちょっとだけ頑張ろう

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梅林頌英(うめばやししょうえい)
学年:1年
学部:文学部
前所属チーム:國學院大學久我山高校

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