見出し画像

【#Real Voice 2022】 「無駄なことって結局無駄じゃない、遠回りすることが一番の近道。」 4年・江田祐基

無駄なことって結局無駄じゃない、遠回りすることが一番の近道。


ある番組の対談でイチローさんが述べていた言葉である。
この言葉を自分の尊敬するある方から教えていただき、
今では自分にとって大きな支えとなっている。



4月15日。
この日はスポーツ方法実習のサッカーの授業だった。授業ではフルコートゲームが行われ、もちろん自分も選手としてプレーしていた。天気はあいにくの雨だったが、みんな真面目に楽しくプレーしていた。

すると、サイド際で相手チームの選手が後ろ向きでボールを持っていた。
私は相手からボールを奪おうと体を寄せて右脚を伸ばした。

その時だった。

右膝の中で何か「ゴリッ」とした音がなり、私は反射的にその場にうずくまった。
ボールを奪いに行こうと右脚で踏ん張った時に、相手の体重が右膝の外側にのってしまったのである。

私はその瞬間、「もしかしたら、、、」と思った。





そして、4月18日。
私は病院を受診し、先生に診察していただいた。

診察結果は
・右膝前十字靭帯完全断裂
・右膝内側半月板損傷
・右膝外側半月板損傷

先生から診断を告げられた時、あの時のもしかしたらと予想していたことが現実に起きてしまい、動揺を抑えることができなかった。

選手ではなく、トレーナーである自分が怪我をするという前代未聞の事態。

頭が真っ白になり、正直言葉が出てこなかった。





あの日から約1ヶ月が過ぎた5月26日。
私は右膝の手術をし、無事に成功した。

手術は全身麻酔で行われた。
麻酔から目が覚めた瞬間、猛烈な気持ち悪さと吐き気に襲われ、我慢できずに吐いてしまった。
右膝の痛みは、背中に痛み止めの管を入れていたこともあり、痛みというよりも痺れの方が強かった。その後、だんだんと症状は落ち着いていった。

しかし、ここからが本番だった。

夜になるにつれて右膝の痛みが増していき、それに加えて術後から履いている靴下の圧迫感で寝ることができなかった。頑張って目を閉じて寝ようと試みるが、痛みと圧迫感で何度も目を覚ます。時計を見たら10分も経っていなかった時は絶望的だった。これほどまでに夜が長いと感じた日はなかった。





その日から月日は流れ、何とか退院することができた。

「これで明日から部活に行ける」

そう思っていたが、現実はそんなに甘くはなかった。

退院した翌日、チームの活動に復帰した。
しかし、練習が終わって家に帰ると発熱し、後日病院で血液検査をすることになった。
術後から毎日微熱が続いていたということもあり、念のため傷口が感染していないかを検査することになった。

結果は正常値の範囲内、再手術することは免れた。

ただ、その日以降、大学に来てから初めて本格的に体調を崩し、部活を休むことになった。
部活を休むことに抵抗があった私に対し、正悟さん(笹木正悟さん・早稲田大学 ア式蹴球部 H17卒)から掛けていただいた言葉が今でも印象に残っている。

「自分の身体を大切にできない人が、他の人を大切にできるわけがない」

その通りだと思った。
自分自身、トレーナーとして日々選手に対してコンディションや体調をしっかりと整えるように促してきた。にもかかわらず、そのことを実践できていなかったのは自分だった。今まで選手を第一に考えて活動してきたが、この時ばかりは自分のことを少しだけ労ってあげても良いのかなと思うことができた。

それからの日々はというものの、部活を休んでから最初の3週間は、朝起きて体温を測ると37℃前半、夕方以降に再び測ると38℃近くまで体温が上がるというのを繰り返していた。頭痛が続くというよりかは、全身のだるさが1日中続いている感じだった。

何をするにしてもやる気が起きず、動こうという気にならない。
食欲もなく、食べる量も格段に減った。
膝の痛みで必ず夜中に目を覚ました。

そんな日々が術後から5週間以上続いたが、術後6週目に入ってようやく膝の痛みで夜中に目を覚ますということがなくなっていった。
そして、気付いたら体重が怪我をしてからの約2ヶ月で7kg減っていた。もちろん筋力も衰え、今まで軽いなと思っていたものがとても重たく感じた。

ただ、この頃になると、膝の可動域が出るようになり、歩行もしっかりとできるようになっていった。





そして、約1ヶ月の療養期間を経て、再びトレーナーとしてグラウンドに戻ることができた。

グラウンドに戻ると、選手のみんなが必死になって練習している。当たり前のことかもしれないが、自分にとってはこの当たり前の光景がこんなにも尊いことだったのかと実感した。と同時に、きつくてもリハビリを続けてきて良かったなと心から思った。





確かに、人によって努力の成果が出るタイミングは違う。
しかし、小さなことでも少しずつ積み重ねていくことで必ずその日はやって来る。

例えば、1つのコップに水を注いでいくと、いつかは必ずコップから水が溢れ出る瞬間が訪れる。

コップの中に入っている水の量が努力の量だとしよう。

人によってそれぞれ水を注ぐ量や速さは異なる。

1回で注ぐ量が多い人もいれば少ない人もいる。

注ぐのが速い人もいれば遅い人もいる。

努力も同じで、人によってペースはそれぞれだ。
ただ、小さなことでも毎日継続していれば、どこかのタイミングで必ず成果として現れる時が訪れる。

しかし、多くの人はコップの水が溢れ出るその瞬間のギリギリのところまで来ているのに、成果が出ないからといって継続することをやめてしまう。それではコップの水は減っていく一方である。

そうではなくて、コップの水が溢れ出るその瞬間まで諦めずに努力を継続してほしい。

私は浪人して早稲田に入り、ア式蹴球部に入部した。
スポーツ科学部に転部し、実際に入るまでに至っては大学の在学期間と同じ4年間を費やした。
他の人から見ればだいぶ遅れているし、実際同世代の人たちとの差は嫌でも感じる。
それでも、早稲田に来てア式蹴球部でトレーナーとして活動するという自分の中での明確な目標を持ち続け、最後まで諦めずに努力し続けた結果、早稲田に合格することができ、今の自分があると思っている。

私の場合は他の人よりも少しずつ水を注いできたかもしれない。
しかし、溢れ出る瞬間を信じて最後までやり抜くことができたと自信を持って言える。

これまでのその日々は決して無駄ではなかったし、失敗や挫折なしに目標に辿り着いたとしてもそこに深みは出ない。今までの失敗や挫折があったからこそ、今の自分があると素直に思うことができている。

無駄なことって結局無駄じゃないし、失敗や挫折を繰り返して遠回りすることが、自分の目標に到達する一番の近道であるというふうに私は思う。

早稲田に来て、ア式蹴球部に入部したことで数多くの出会いに恵まれた。
ア式蹴球部に来たことで様々な経験をし、色んな景色を見ることができた。

振り返れば全てのことが無駄ではなかった。

ありがたいことに1年生から関東リーグのベンチを経験することができ、2年生では準決勝で敗れはしたものの、#atarimaeni CUPでベンチに入り、全国の舞台を経験することができた。

3年生ではインカレで改めて勝つことの難しさを痛感した。

4年生では、関東リーグ2部降格という非常に重い結果を突き付けられた。怪我をしたことによって、何不自由なく生活できることのありがたさを改めて感じることができたし、今後トレーナーとして進んでいくにあたって、より選手の気持ちに寄り添うための1つの手段を手に入れることができた。

振り返れば無駄なことは1つもなかった。
その全てが自分にとってはとても尊い経験だった。

その反面、私は4年間を通して、最終的にチームに対して何か良い影響をもたらすことができなかった。

特に今シーズンは、リーグ終盤の大事な時期に主力選手が離脱していて試合に出場できないという場面が多かった。結果として、選手たちを今できる限りの最高のコンディションで試合に送り出すという今シーズンの目標を成し得ることはできなかった。
ましてや、関東リーグ2部に落とした代のトレーナーという非常に重い責任をこれから先も背負い続けなければならない。

最終学年にして、ア式蹴球部での4年間の集大成としての結果が関東リーグ2部降格。

今までの自分のやってきたことが全て真っ向から否定されてしまう結果となってしまった。

それでも、この4年間はトレーナーとして選手に寄り添い、選手1人ひとりに対して誠実であり続けるという姿勢は貫き通すことができたと、胸を張って言える。

この辛い経験も後から振り返ってみた時に、決して無駄なことではなかったと思える日が来るのかもしれない。


来年以降、より厳しい過酷な環境に身を置くことになるが、この姿勢は自分の中で変わらず持ち続け、自分の置かれた場所で努力し続けていきたい。





最後になりますが、
この場を借りて、今まで関わってくださった全ての方々に感謝の気持ちを伝えたいと思います。
周りのスタッフの方々、家族や友人の支えのおかげでア式蹴球部での貴重な4年間を過ごすことができました。

特に選手の皆さん、4年間本当にありがとうございました。

選手の皆さんがいたからこそ、自分がトレーナーとして活動することができ、他ではできないような様々な経験をすることができました。

選手の皆さんの頑張りが、自分を突き動かす紛れもない原動力でした。
選手の皆さんとの出会いは、自分にとって一生ものの財産です。

そして、同期のみんな、4年間本当にありがとう。
みんなが自分の同期で良かったと心の底から思っています。
最後まで頼りないトレーナーだったけど、みんなとだからこそきつくても頑張ることができました。

来年から活躍の場はそれぞれ違うけど、それぞれのステージでお互い頑張ろう。
自分も夢に向かって挑み続けます。


◇江田祐基◇
学年:4年
学部:スポーツ科学部
出身校:日本大学鶴ヶ丘高校


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?