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【#Real Voice】 「不器用な人間が 『日本一』 を掴み取るために」 3年・江田祐基


2021年1月2日。
2020シーズンの集大成である #atarimaeni CUP に向けてチームは再始動した。

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コロナ禍という難しい状況ではあったものの、
チームは順調に勝ち進み、準決勝にまで駒を進めた。


その準決勝の相手は法政大学。
大学サッカーの聖地である味の素フィールド西が丘で試合は行われた。


結果は 0-2 で敗北。

目指していた『日本一』を掴み取ることは出来なかった。
学生トレーナーとしてチームに帯同していた私は、西が丘のピッチでチームが負けたその瞬間をただ眺めることしか出来なかった。

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試合後、会場の近くにあるフットサルコートで締めのミーティングが行われた。
そこでは当時の4年生が1人ずつ自分の想いを言葉にした。
その言葉を聞いているうちに、今まで我慢していた感情が込み上げてきて抑えることが出来なかった。
そして、ミーティングが終わり4年生から

「お疲れ様。来年も頑張れよ。」

と声を掛けられると、
さらに、その感情を抑えることが出来ず、目には大粒の涙が溢れていた。


「来年こそは日本一になる」

東伏見のグラウンドへ向かう帰りのバスの中、私はそう自分に誓って2020シーズンを終えた。





#atarimaeni CUP で法政に敗れたあの日から数週間後の2021年2月9日。
2021シーズンが始動した。


プレシーズン中、ある選手がハムストリングスの違和感を訴えて病院を受診することになった。
私はその選手に帯同し、ドクターのN先生に診察していただいた。

そこで私はN先生に厳しいご指摘を受けた。

「何でハムストリングスに違和感がある状態でやったの?違和感があった時点でやめていれば、もしかしたら患部の損傷が小さくて済んだかもしれない。プロの世界で選手に対してその判断をし、仮にその選手の復帰の時期が遅れて試合に出られなかったとしたら、その選手はクビになる可能性だってある。実際、ハムストリングスの肉離れをした選手の中には痛みが取れたからといって復帰して、再受傷してというのを繰り返して結果的に引退することになった選手だっている。あなたはその選手の人生を背負う覚悟を持って判断していますか?


その言葉を聞いた時、肉離れという怪我の本当の意味での怖さを痛感した。
と同時に、自分のトレーナーとしての覚悟が足りていないということを思い知らされた。


その日から、選手に対しての自分の判断が本当に適切なのかということをより慎重に考えるようになった。何より、
「あなたはその選手の人生を背負う覚悟を持って判断していますか?」
というその言葉が、自分には重く深く刺さった。


そうこうしているうちに始動してから約1ヶ月が経過した頃、有難いことに3/3(水)〜3/7(日)に熊谷で開催されたデンソーカップに関東C・北信越選抜のトレーナーとして帯同させていただいた。

選抜では自分の今の実力がどれくらい外部で通用するのか、逆に何が通用しなくて自分には何が足りないのかを知る貴重な機会となった。また、選抜を通してア式以外の人たちとの繋がりをつくることも出来、自分にとっては一生ものの財産になった。
デンソーカップが終わり、チームに戻って来てからは選抜で学んだことをチームに還元し、少しでもチームの力になれたらという想いを持って日々の活動に取り組んだ。

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そして、いよいよ関東リーグが開幕した。


開幕してからも、私は平日の練習の前に怪我で手術をした選手のリハビリに帯同させてもらったり、ドクターの先生と直接話すことによって新たな気付きを得ることが出来た。
何度も選手のリハビリに帯同し、病院に足を運ぶことで得られたものは大きいものがあり、そこでの経験は実際の現場でもしっかりと活かすことが出来ている。

この場を借りてになりますが、今まで診察やリハビリ、パーソナルのトレーニングの見学など、様々なことを快く受け入れてくれた選手の皆さん、そして、施設で見学することを許可してくださっただけではなく、未熟な私に対してご指導くださった病院のスタッフの方々には本当に感謝しています。
ありがとうございました。


シーズンが進むにつれて、少しずつトレーナーとして選手から頼られることが多くなっていった。
選手のために少しでも貢献できていると思うと、そのことが自分にとっては十分すぎるほどの大きな原動力になっていた。
大学の授業で学んだことや、自分で勉強してきたことが少しずつ形として現れてきている実感があった。
確かに、社会人のトレーナーの方ほどではないかもしれないが、自分で選手の評価をある程度出来るようになってきているという手応えがあった。


再び月日は流れ、いよいよ後期の関東リーグ最後の試合を迎えた。

その相手は法政大学。
昨シーズンのリーグ最終節、そして #atarimaeni CUP でも敗れている相手である。

勝てばインカレ出場決定。
負ければ2021シーズン終了という絶対に負けられない試合だった。
ある意味崖っぷちの状況ではあったものの、安斎(1年・安斎颯馬)が決勝点を上げ、何とか勝つことが出来た。
そして、全国大会であるインカレに挑戦する切符を手に入れたのである。

私は今年の #atarimaeni CUP で手にすることが出来なかった『日本一』を達成するためにも、何とかインカレで『日本一』を獲りたいと本気で思った。


そして、2021年12月11日。


ついに早稲田にとってのインカレ初戦を迎えた。
相手はびわこ成蹊スポーツ大学。
試合は江東区夢の島陸上競技場で行われた。


試合は終始早稲田のペースで進んだ。
早稲田は前半13分に先制するが、後半10分に一瞬の隙をつかれ失点を許す。
そして、そのまま1-1で後半戦が終了し、延長戦に突入する。


延長前半は両チーム得点を奪えずに1-1で折り返したが、延長後半3分に早稲田が勝ち越しゴールを奪い、再び相手をリードする。
しかし、延長後半13分に同点弾を決められ、PK戦に進んだ。


そしてPK戦。


結果は2-2(PK3-4)で敗れた。


またしても『日本一』を掴み取ることが出来なかった。

負けた瞬間、両足の力が抜けたような感覚に陥った。

正直、負けるとは思っていなかったし、試合の流れからしてもPK戦になる前の段階で勝ったと思っていた。


試合後、悔しさのあまり涙する4年生の姿。


その姿を見て、自分も涙を堪えることが出来なかった。
学生トレーナーとして帯同していた私は、またしてもピッチ内でチームが負ける瞬間を目の当たりにした。
チームの勝利のために自分が間接的にしか関われなかったことに対する歯痒さと、お世話になった4年生のために自分が何も出来なかったことを結果で突き付けられた悔しさとで涙を抑えきれなかった。


#atarimaeni CUPの準決勝での敗戦から、またしてもインカレという全国の舞台で『日本一』を掴み取ることが出来なかった。
と同時に2021シーズンの全ての戦いが終わりを告げた。


今シーズンを振り返って、改めて私は早稲田に来て良かったと思った。これは学年が上がるにつれて、より実感する。

そもそも私は同世代より遅れをとっている。
周りにいる同世代の多くは社会に出て、一人の社会人として自分の人生を歩んでいる。正直、同世代の人たちとのギャップを少なからず感じることもある。

しかし、私は自分の選択に一切の後悔はない。というのも、今こうしてア式蹴球部に所属し、部員の一人として活動させていただいているということ自体が自分にとっては有難いことだからである。


サッカー経験者である私の立場から考えると、大学でサッカーを続けているということだけでもア式の選手たちは私にとって尊敬に値する。
私も現役で早稲田に合格していたら、選手としてア式のランテストを受けようと真剣に考えていた。

ア式には全国からその世代の中でもトップで活躍してきた選手たちが集まってくる。そういった選手たちと共に活動出来ることは私自身とても刺激になっている。

実際、同期の俊也(3年・鈴木俊也)とひさ(3年・西堂久俊)がプロに内定した時、個人的にはとてつもなく嬉しかった。そういった選手が同期にいることは自分のモチベーションに繋がるし、選手という立場ではないけれどトレーナーとしてのプロを目指している自分にとって、この上ない出来事だった。


今はこうしてア式蹴球部の一員として活動出来ているが、この組織に来られなかったとしたら私は一体何をしていただろう。


私はもともと器用に何でもこなすことが出来るような人間ではない。
何か新しいことを始めて、それを習得するにしても普通の人の倍以上の時間がかかる。だから、普通の人よりも何倍も努力をしないと何かを習得することが出来ない。
トレーナーとして選手のテーピングを巻くのも上手くはないし、アイシングのバンテージを巻くのだってぎこちない。また、自分の考えを相手に上手く伝えることが出来ないし、むしろ相手の考えに流されてしまって、自分の中では考えがあるのに周りの意見に合わせてしまう。
つまり、自分から相手に何かを伝えるのが下手である。
今までの人生を振り返ってみても、そもそも生き方自体が不器用だなと思う。長い浪人という時代を経て、ようやく早稲田にたどり着いたと思っても希望ではない学部に合格し、結果的に転部試験に合格して希望の学部には行けたものの、ここまで来るのに一般的な大学生の4年間分の月日を費やした。


そんな何も取り柄のない不器用な自分が人生を賭けて早稲田に来てア式蹴球部に入部し、今もこうして素晴らしい仲間と共に自分の夢を追い続けることが出来ている。
私がこのような環境で活動することが出来ているのも、両親をはじめとする様々な人たちの支えのおかげである。


そして、何よりもトレーナーとして活動できているのは選手のみんながいるからこそのことだと本気で思っている。


特に、人生のどん底にいた自分に希望の光を与えてくれ、ここまで這い上がらせてくれた同期のみんなには感謝してもしきれない。
だからこそ、『日本一』を掴み取って、今まで支えてくださった人たちだけではなく、選手のみんなにも自分が受けた恩を返したい。


#atarimaeni CUPと今年のインカレで負けた借りを、来シーズンのインカレの舞台で必ず返す。
そして、必ず『日本一』を自分の力で手繰り寄せる。
人生のどん底にいた自分でも『日本一』を掴み取ることが出来るということを証明する。


再び味わったあの悔しさをもう2度と経験したくはない。
そのためにも、自分の置かれた場所で自分らしい大輪の花を咲かせることが出来るよう、日々努力していきたい。

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江田祐基(えだゆうき)
学年:3年
学部:スポーツ科学部
出身校:日本大学鶴ヶ丘高校


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