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【#Real Voice 2022】 「~小坊主の22年間の物語~」 4年・水野雄太
今日は2022年11月21日。
たくさんの方々に支えられながら22回目の誕生日を無事に迎えることができました。
毎日、他愛もないことでたくさん笑い合っているヒサ(4年・西堂久俊)、やましっち(4年・山下雄大)にはいつも助けられてます。お祝い待ってるね、ありがとう!!
そして、22年間育ててくれた両親には本当に感謝しています。
いつもありがとう。
さて本題に入っていこう。
今回、最後の部員ブログでは「22年間」を振り返っていこうと思う。
2000年11月21日に熊本県上益城郡益城町のスポーツ一家に生誕した。
親の影響もあって、小さい頃から運動することが好きだった小坊主は母さんのビーチバレーの練習について行ったり、お姉ちゃんのバレーの練習について行ったりと常にスポーツが近くにあった。
親父が野球をしていたこともあり、物心ついた時にはグローブとバットを持っていて、時には草野球チームの練習に遊びに行くこともあった。
ソフトバンクホークスの選手がやっていた野球教室にも参加し、どんどん野球が好きになり小坊主はのめり込んでいっていた。
だがしかし、ある時だった。
小坊主はサッカーというスポーツに出会ってしまう。
たしか10歳くらいの時だった。
休み時間に校庭で友達と一緒にサッカーボールをただ蹴っているだけだった。
小坊主はドリブルで相手をかわして、ゴールを決める。
なんの試合でもない、ただの遊び。
だけど、この瞬間にサッカーの面白さ、楽しさに衝撃を受けた。
「野球じゃなくて、サッカーをしたい。」
これがきっかけだった。
単純でかわいかった小坊主はすぐにサッカーを始めたいと両親に伝え、地元のサッカークラブに入ることになった。
あんなに野球にのめり込んでいた小坊主は野球に1ミリの未練もなくサッカーの道に進むことになった。
そんなこんなで10歳から本格的にサッカーを始めることになった。
周りのみんなは自分より何年も前からサッカーをしている人たちばかりで、何をしても勝てなかった。リフティングもできないし、足技もないし、ろくにボールを蹴ることもできない。
ただ、足は1番速い自信があった。
だからなんだよ、、。って感じだけど。
とりあえず、ボールを前に蹴って足の速さを生かせば勝てんじゃねって思った小坊主はボールを前に蹴って走ることを繰り返し練習した。
それが大成功で次第に相手が抜けるようになった。めちゃくちゃ気持ちよかった。
この時から俺の武器はスピードになった。
小学6年生の頃にはスピードを生かしたドリブルから、相手を抜き去りクロスでアシストしたり、キーパーをかわして無人のゴールに決めたりとサッカーを初めて2年目にしては我ながら割とセンスがあるんじゃないかと思っていた。
小学生の頃は県トレセンやナショナルトレセン、九州大会など様々なことを経験させてもらい、上手い選手からたくさん刺激をもらえてサッカーを始めてよかったなあと実感することが多かった。
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中学生になり、何チームからか誘いがあった中で県内でも強かったソレッソ熊本というチームに入った。
県内で1・2位を争うだけあって、実力のある選手ばかりが揃っていた。
その中でも試合に出させてもらうことができ、1つ上の代で試合に出場することも経験した。
中学生になってからはサッカーの楽しさに加え、走る・戦うといった基礎的なところを教え込んでいただいて、一回りも二回りも成長することができた。
人生初の全国大会も経験することができて、1回戦負けではあったものの充実していた中学時代だった。
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高校はご縁もあり公立の雄と言われている熊本県立大津高校に入学することができた。
入学してからは、想像を絶するような地獄の日々。
何度辞めたいと思ったことか。
練習についていくのだけでも必死でめちゃくちゃきついのに、上下関係がすごすぎて正直訳が分からないルールも何個も存在していた。
寮に帰っても先輩は目を光らせていて、気を抜けないし。
洗濯機の数が限られているから、回して干して寝るのは大体2時~3時。
んで、朝練があるから起きるのは5時過ぎ。
こんな生活を1年目は毎日のようにやっていた。
なにかミスをしてしまったときは全て寮生の責任で、理不尽な罰走も何度も経験した。
だけど幸いなことに試合には途中出場が多かったが出させてもらえていたから、出れない人の分まで死ぬ気でやる覚悟は身についていた。
1年目のこの経験があったからこそ2年目、3年目では見返してやろうという気持ちもあり、サッカーのやる気が出て頑張ることができた。
2年目からはレギュラーで試合に出場し続けた。調子が悪くても起用し続けてくれた平岡先生、山城先生にはとても感謝している。
また嬉しいことに高円宮杯プレミアリーグWESTでの活躍が認められて、選抜チームの一員としてイタリア遠征を経験することができた。当時インテルで活躍されていた長友選手ともお会いすることができ、とても有意義な時間を過ごした。
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3年目は県内3冠、九州大会優勝、インターハイベスト8、高校サッカー選手権ベスト16。
成績はこんな感じ。
3年目にしてやっと夢だった高校サッカー選手権に出場し、目標にしていた日本高校選抜にも選出していただいた。
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高校3年間で心身ともに大きく成長でき、サッカーの技術だけではなく礼儀や人間性の部分も磨くことができた。
平岡先生との出会いは自分の中では間違いなく大きな転機だし、3年間指導を受けることができたおかげで、明確にプロサッカー選手を目指そうと決意することができた。
この3年間は生きてきた中で最もつらく苦しかったけど、とても有意義で充実していて幸せな時間だったなと振り返って感じている。
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満員のニッパツ三ツ沢球技場は最高でした。
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そして大学を全く知らなかった小坊主でも聞いたことあるくらいの名門私立大学。
早稲田大学に入学することになり、ア式蹴球部の門を叩いた。
「関東リーグにたくさん出場して、得点を決めて活躍して絶対にプロになるんだ。」
そう誓ってア式蹴球部に入部した。
だがしかし、大きな壁にぶち当たった。
今まで抜けてきたドリブルで相手が抜けない。
シュートも割と自信があったのに全然決めることができない。
自信があったスピードが通用しないことが分かり、完全に自信を無くした。
それでもプロになるために大学進学を決めたからには、立ち止まっているわけにはいかない。
何があろうと、どんなに大きい壁が来ようと必ず乗り越えるんだという強い覚悟を持って取り組んだ。
・2019年5月2日 第4節 vs専修大学
関東大学サッカーリーグにデビューした日。
・2020年8月1日 第5節 vs明治大学
関東大学サッカーリーグ初スタメン。
・2020年8月10日 第6節 vs中央大学
関東大学サッカーリーグ初ゴール。
4年間で関東大学サッカーリーグに40試合1,263分出場のうち12試合スタメン5ゴールという個人成績で大学サッカーに別れを告げた。
結局、なにもインパクトを残すことができなかった。
【全88試合中40試合、7,920分中1,263分】
出場した試合数が半分にも満たないし、出場した時間は1年分にも届いていない。
ア式蹴球部に入部した頃に描いていた理想とは程遠い結果になってしまった。
これが俺の実力だ。
自分の弱さにとても情けなく思った。
現実を突き付けられた。
だけど、ここまでサッカーを頑張ってくることができたのは家族の存在はもちろん、26人の愉快な同期の存在があったからだと思う。
調子が上がらずに悩んでいるときも、考え込みすぎて不安に押し潰されそうになった時でもいつも近くにいてくれたのは同期だった。
本当にこの26人に出会えてよかった。ありがとう。
これから先どうなるかわからないし、何をしているのか自分でも想像がつかないけど1度きりしかないこの人生を思いっきり楽しんでいこうと思う。
みんな心配しないでね、大丈夫だから。
俺は頑張るよ。
最後まで読んでくれた方、文章力のない長々とまとまっていない文章を読んでいただきありがとうございました。
これからも早稲田大学ア式蹴球部の応援に加えて、水野雄太のことも応援してくださると喜びます。
今日から22歳なので、気持ち新たに頑張っていきます!!!
あと、お祝いのメッセージたくさん待ってます!
それでは、ありがとうございました!!!
水野雄太
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◇水野雄太◇
学年:4年
学部:スポーツ科学部
前所属チーム:熊本県立大津高校
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