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【#Real Voice 2022】 「ありがとう」 4年・宍戸凛


『ありがとう』

普段何気なく使っている言葉ですが、その本当の意味や由来を知っている人は少ないのではないでしょうか。

「有る」ことが「難しい」

漢字で書くと少しイメージしやすくなったかもしれません。

この言葉はどうやら仏教に由来するらしいです。
「盲亀浮木のたとえ」というお話があるので気になる方は調べてみてください。

ここで書くには少し長いので省略しますが、人間に生まれることは難しく、有り難いことであるということが書かれています。

有ることが稀、滅多にない、当たり前ではないことに対して感謝の気持ちを込めて使うのが「ありがとう」という言葉なのです。


振り返れば、私の歩んできた15年間のサッカー人生も、決して1人では歩むことのできない有り難いものでした。


幼い頃、友達に誘われて興味を持ったサッカー。
みんなで1つのボールを追っかけて遊ぶのが大好きでした。
あの時、友達に誘われていなければ今の自分はありません。

熱狂的なマリノスファンの祖母に連れられて見たJリーグ。
選手の一挙手一投足に沸くスタジアム。
ゴールが決まれば歓喜し、勝てば天国、負ければ地獄。
たった90分に選手や観客のいろんな感情が詰まっている。
サッカー選手が憧れになった瞬間でした。


それから毎日ボールを蹴り続け、小2ではじめてスクールに入り、そこで出会った仲間に誘われ小4から地元のクラブチームに入団。
サッカーが遊びから本気になりました。

ここには本気でプロを目指す仲間がいる。いつもはふざけながらサッカーをしていた友達の目つきが違う。圧倒されました。
当初、リフティングが10回もできず1番下手くそだった私は何度も辞めたいと思っていました。
そんな時でも明るく声をかけて一緒に練習してくれたみんなありがとう。


「ゴールキーパーをしてほしい」

コーチに頼まれたとき、点を取ってヒーローになりたかった私はものすごく嫌でした。
何度も歯向かいました。
ある時、たまたま選ばれた地域の選抜。
選手よりも熱いコーチやチームのために一生懸命に戦うライバルたちを見て、少しずつキーパーの魅力に気づき、たくさんのことを学びました。

大きな成果をあげるには、キラキラ輝くだけではいけないこと。誰かが陰で頑張っていること。
ミスをしたら戦犯。1人しか試合に出場することができない。だからこそ努力して信頼を勝ち取らないといけないこと。
辛い時、苦しい時こそ踏ん張って、前を向いて戦わなければならないこと。

サッカー以外にも通ずることがたくさんありました。

県大会出場という目標をたて、必死に練習した日々。みんなとはるひ野BSCの歴史を作れたこと、すごく嬉しかったです。


中学時代。
こんな自分にキャプテンを任せてくれてありがとう。
なかなか結果を残すことが出来ず、不甲斐ないキャプテンでごめん。
それでもついてきてくれたみんながいたから最後までやり抜くことが出来ました。
初めて呼ばれた県選抜。世の中にはこんなにうまいやつがいるのかとワクワクしたのを覚えています。レベルの高い環境に挑戦できたこと、全然通用しなかったけど、感謝しかないです。


高校時代。
内部生だったこともあり、小学生の頃から9年間憧れ続けた桐光学園サッカー部。
自分も絶対に全国で活躍する。
そう意気込んでいましたが、現実は甘くありませんでした。
今だから言いますが、実は1度セレクションに落ちています。
桐光でプレーできないならサッカーを辞めようとまで思っていました。
こんな私を拾ってくれた監督、コーチ本当にありがとうございました。
今サッカーをしているのは監督、コーチのおかげです。

1年生。チームの足を引っ張らないように、みんなに追いつくために無我夢中でボールを蹴り続けました。必死すぎてあっという間。
せっかく出番をもらった練習試合で、開始10分くらいで交代させられたこともありました。
悔しくて悔しくて仕方がなかった。

3年生の夏。全国大会出場が決まった後、みんなと同じ憧れのユニフォームを着て神奈川県大会決勝のピッチに立てた時、正直泣きそうでした。
夢だったインターハイも選手権も仲間達に連れて行ってもらいました。
毎日遅くまで自主練に付き合ってくださった先輩方、同期の仲間達、後輩達、本当にありがとうございました。

朝5時から走った学校合宿に砂浜ラン。
何度も逃げ出したいと思った新チーム期間。
毎週のように行われる他県への遠征。試合に負けてすぐにバスに乗り込み、帰って練習したこともあった。
修学旅行も体育祭も文化祭も参加できなかったし、理不尽なこと、厳しい練習ばかりだったけど、それ以上にみんなと本気でボールを追いかけた日々がなによりも幸せでした。


大学時代。
高校でもろくに活躍してない無名の選手。
最後まで名門早稲田大学サッカー部の門を叩くか迷っていました。
それでも、
もう1度自分の力を試したい。
早稲田という場所で人として成長したい。
大好きなサッカーで最後に大きな結果を残したい。
そう思い決断しました。

予想通り、高校の時以上にレベルが高い。やってきたことが全然通用しない。
しかもア式蹴球部はただサッカーだけをやっていれば良い組織ではない。

サッカーばかりやってきた私には受け入れがたいこともたくさんありましたし、いろんなことに困惑し悩みました。でも、振り返ればその都度考え続けたことが今につながっているのではないかと思います。他大学でサッカーを続けている友達に話を聞いても、こんな環境があるのは早稲田だけだと思います。

私は関東リーグには少ししか登録されておらず、Iリーグ(インディペンデンスリーグ)やFC(社会人リーグ)でプレーすることが多かったですが、そこでもいろんな経験をさせてもらいました。
たくさん迷惑もかけたけどすごく貴重な経験でした。

学生、社会人といろんなバックグラウンドを持つ相手と戦い、様々なことを学び成長できたのはこの環境とスタッフ陣、仲間達のおかげです。

FC上位リーグ。CERVEZA FC 東京に大敗してからもう1度奮起し全員で泥臭く戦った残り試合は本当に胸が熱くなりました。
正直、FCはうまくも強くもないけど、何本シュートを打たれても全員で体を張り、数本のチャンスを決めて1-0で勝ったラスト2試合は最高に気持ちよかったです。
FCだとしても数試合だとしてもキャプテンマークを巻けるような器ではなかったし、何かできたわけではないけど、共に戦ってくれたみんなありがとう。みんなのおかげで最後に最高の試合ができました。


少し長くなってしまいましたが、私の15年間のサッカー人生はこんな文章だけでは語りきれないくらい多くの人に支えられ成り立っています。奇跡のような15年間でした。
関わってくださった方々、本当にありがとうございました。
最高のサッカー人生でした。


最後に、いつも1番近くで応援し支え続けてくれた家族へ

お母さん
毎朝早起きしてご飯を作ってくれてありがとう。
キーパーのユニフォームは毎日誰よりも泥だらけだから洗濯も大変だったよね。
たくさん負担をかけたと思う。結果で返せなくてごめん。
自分の弱さから目を背けそうになったとき、いつも真っ先に指摘してくれたね。言いづらいことを言ってくれるから目を背けずに打ち勝つことが出来ました。
いつもパワーをもらっていました。ありがとう。

お父さん
小学校から桐光学園に通わせてくれて、好きなことをなんでもさせてくれてありがとう。
キーパーのことなんて何も分からないはずなのに、色んな人に話を聞いて教えてくれてありがとう。いつも応援に来てくれてありがとう。どんな応援よりも力になっていました。忙しいはずなのに、自分が悩んでいるときは絶対に時間をとって相談にのってくれたね。本当にありがとう。いつかお父さんみたいなかっこいい大人になります。


今度はサッカー選手としてではなくサラリーマンとして感謝の気持ちを胸に、
自分らしく素直に謙虚に泥臭く挑戦を続けていきます。
これからもよろしくお願いします。

◇宍戸凛◇
学年:4年
学部:商学部
前所属チーム:桐光学園高校


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