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【#Real Voice 2023】 「淡路島田舎少年の夢破れて」 4年・平川功

本日めでたくもハロウィンの日にブログを担当させていただく、4年の平川功です。
どうぞお菓子を食べながら軽い気持ちで読んでいただけたら幸いです。
よろしくお願いします。

繰り返しになりますが、私は岡山県作陽高校を卒業した後、2浪して早稲田大学に入学しました。
2浪目は日本大学法学部で仮面浪人をし、スポーツ科学部に入学。
そして、2年次に転部試験を経て文化構想学部に転部をしました。

詳細な自己紹介は、以下のブログ、そして4yearsで取材していただいた記事をご参照いただければ幸いです。


挑戦の連続である人生において、何が1番大事なのか。

私は、ズバリ「やり切る力」だと思う。

努力した結果が出る瞬間がこの世で1番美しいと思う。

自分の経験の中で大きく2つある。それは浪人と就活。

2つとも情景が映像として脳内にすぐ浮かび上がるぐらい濃密だ。

2浪の合格発表の時、自分はその日(スポ科)の合格発表を見なかった。それは唯一の頼みであるスポ科は試験中にヘマをしてしまったため落ちたと思っていたからだ。つまり、早稲田にはもう行けないと思っていた。
だから翌日の入学書類の郵便で合格を知った。

春の兆しが見え始めた昼下がり、母親と妹と渋谷での買い物を控え、トイレで大便をしていた。すると、インターホンがなり、郵便物があると知らせを受けて自分はダッシュでお尻を拭いてトイレを出た。この時はまだ合格書類など思ってもみなかった。
「早稲田からちゃうん」と母親が言ったが、それはないだろうと確信していた、がしかし、ほんの少しの期待もあり、引き攣った顔で「うそー?それはないと思うで」と小声で言った。

郵便物を受け取ると、心拍数があがり次第に視界が一気に凝縮し、グッと引き込まれた感覚に陥った。
合格だとわかった瞬間、「よっしゃあああああああ!!」天井に向かって下から腕を突き上げるダサいガッツポーズをし、少し涙を浮かべた。
母親は冷静に「受かってしまった」と言った。

この情景はおそらく死ぬまで忘れないし、過去にもこれからも受験を思い出すたびにこの映像が脳内に擦り切れるほど流れるだろう。

正直落ちたと思っており、もう俺は受験に失敗したがそれを糧にして泥臭く日大で生きていくと誓っていた。それは仮面浪人をやり切るぐらい頑張ったからそう思えてたのかもしれない。朝の授業の前に水道橋のマクドに行き、朝活をするサラリーマンの横に並び参考書を開いていた。授業が終わると、図書館で勉強しお昼の時間をわざとずらして一人で昼飯を食べた。図書館の閉館まで勉強をし、帰ってからもマクドの閉店まで勉強をしていた。全ては、仮面浪人というハンディを取り返すため。その追い込みがやり切ることに繋がったのかもしれない。

もう一つは、就活。
私はテレビ局一本の就活をしていた。1年生の頃のブログにも書いていたが、テレビが好きで、テレビのバラエティで心が明るく救われたことが何度もある。だからこそ今後は作り手となって、人を幸せにする笑いを届けたいと。
ただ、なかなかうまくいかず、思った以上に倍率が高いのと、内定する基準が掴めなかった。夏インターンに参加した他局の子が内定していくのを横目に、完全に自信を失っていた。特に私は3年の早々から準備を始めていたので、部活の同期内での視線もキツく、そろそろ決まらないと、という焦りで頭がはち切れそうだった。
ただ、そんな中でも今ある状況は自分が選択した道だと改めて受け入れ、ポジティブに考えた。
電話で内々定をもらったあの日、全てが過程になった。母親に電話すると泣いていた。やはり、親が泣いているのを感じると子供も泣いてしまうものだ。自分が泣いていることがバレないように鼻水をそそる時は電話をそっと離した。

これらの成功には必ず運要素も存在すると思う。しかし、どれだけその運要素を無くして実力の要素を増やしていくかが鍵であると思う。

実力の部分を「やり切ること」だと自分の中で解釈したのは就活を経てからだ。
部活で時間がない中でも人一倍考えて、制限がある状況をプラスに置き換える。そして、これぐらいやったからいいやではなく、それ以上、その10倍悲観的に考えて準備をする。そうすることで、万が一想定してなかったことが起こったとしても、それだけ準備してやり切った自分がいるからこそ、この今の自分を信じてみようとなる。
たとえそれがうまくいかない結果になったとしても、必ず結果につながると信じてまたやり切ることが大切だ。

じゃあ一方で、ア式のマネージャーはやり切れたのか。

正直、今もマネージャーに誇りを持てない自分がいる。

みんなが熱くプレーしている中、ボトルに水を入れているときに負い目を感じる自分がいる。
ア式で人生よかったのか、マネージャーでよかったのかと日々問いかける自分がいる。

初めて会った人に、ポジションを聞かれた時に少し誤魔化そうとしてしまう。

ただ、高校までマネージャーという存在に遭遇せず、少し選手よりも下に見ていた自分が、ア式でマネージャーをやろうと思ったのは間違いなく外池さん(前監督)と入部当時の3年生の男子マネージャーのおかげだ。
彼らがマネージャーの概念をうまく覆してくれて、解釈の余地を自分たちに与えてくれた。そして、外池さんは自分に型にハマらない自分なりのマネージャー像の道を切り開いてくれた。
だからこそ、今では当たり前となった動画発信やYouTube活動、昨年で言えばJ SPORTSドキュメンタリーの制作に携わることができた。

ただ、今年は最後だからこそ、ピッチ内でも唯一無二の存在になろうとした。
自分はBチームの試合帯同になることが多かったので、選手たちのモチベーターになろうとした。
ベンチの雰囲気を明るくしつつも、戦いに備える気持ちにさせる。
自分が選手だったらどういう奴がいてくれたらモチベーションが上がるのかと考えた。
Iリーグでは「やっぱお前ベンチに居てくれたら助かるわ」と大橋(4年・大橋優貴 / 早稲田実業学校高等部)が言ってくれた。
4年目にしてようやく自分なりのマネージャーが掴めた気がした。

ただ、そんな中、それでも、ボールを追いかけ走り切った選手は嫉妬してしまうほどやはりカッコよく、悔しく思う。様々なことを学んだこの社会に出る前の教育機関で後悔はさほどないが、マネージャーになったことで思う後悔は、選手として家族や友人、仲間にその姿を見てもらえないことだ。

Iリーグの最終節、4年生の親や友人が見にきていた光景を目にして、思わず劣等感を抱いた。
プロになれなくても下手でも自分が頑張ってプレーしてるところを見て欲しかったし、親にも申し訳ない気持ちでいっぱいだ。

また同じように嫉妬を抱く存在がいる。

それは、お笑い芸人。

人生をもう一度やり直すなら何になりたい?と聞かれると「芸人」と答える。
ただ、それは、ゲームのように平川功ver.2とできたらの話である。

茨の道を歩む芸人さんはものすごく魅力的な人間だ。
その決断は私にはできなかった。

中学の文化祭では漫才やコント、高校でもいろんな先輩の前で一発ギャグや漫才、コントをした。高校1年生の時は先輩にお風呂場に呼ばれ、当時3年生だったあの伊藤涼太郎さんの前で長渕剛の歌モノマネを披露してクッソ滑ったことを覚えている。

それぐらいお笑いが好きだったし、人を笑わせるためにはどうすればいいのかを考えるのがとても大好きだったし、苦じゃなかった。
人を笑わせたい。笑顔にして幸せになってほしい。
これが自分の生きる源だ。

だが、芸人のマネをすることで芸人にはなれないなと思っていった。
これは、サッカーをすればするほどサッカー選手を諦める構造と同じだ。

「人を笑わせる」を仕事にして、その場全員を笑顔にさせて、何事もなかったかのように去る。
そんな彼らにものすごく嫉妬をする一方、自分にはそんな挑戦ができないなとやはり尊敬する。

そんな、表舞台には立てなかった自分の次なる挑戦。

それは、彼ら芸人と共に肩を組み、日本中を幸せにしたい。

芸人はネットではなく、テレビに出て売れることを夢見て日々頑張っている。
そんな彼らと共に私は、時代を作っていきたい。たくさんの笑顔を日本中に届けたい。
そしていつかまた「テレビは面白い」と塗り替えたい。

私の幼馴染である吉本5年目の亀井。

いつか彼と番組を作ることが夢だ。


最後に
中学1年の頃は大の釣り好きで、プロアングラー(プロの釣り師)になりたいと言っていた。そして中学卒業後は釣りの専門学校に行きたいと。

しかし、中2になるとある程度サッカーできることを知り、強豪校に進みたいと言い出し、選手権で活躍することを夢見て、実力よりも遥か上の高校に進学をした。

そこでは挫折を味わい毎日の寮生活、練習が嫌になった。トップチームで活躍することが目標だったのがいつしか、このキツイ状況を乗り越えることが目標にすり替わり、気付けば3年生。
自分はこの3年間何を生み出したのだろう。親に何も恩返しができなかったと後悔した。
そして、原点に戻り必死に勉強をし、霞んだスポーツ少年が自力で人生のステージを上げた。ただし、そこには壁が立ちはだかり、結果2浪をすることになったが。
浪人中から抱いていた夢、テレビマンになること。
二浪中、成人式にも行かずに20歳の誕生日も誰1人とも喋らずに黙々と勉強したあの日、俺の人生は敗北したと本気で思った。人生をやり直したい、過去に戻りたいと何度も思った。
だからこそ未来を変えるために今を頑張ってきた。

このシナリオは早稲田に受かって、そして、テレビ局に受かって、初めて完成の方向へ向かうと。
やっと人生のスタートラインに立った気がします。
「テレビ業界はオワコンだ」とかなんとか言われることも多いです。同期にも言われますし、ゼミの後輩にも言われました。
しかしながら、それは半分間違いです。

これからのテレビを変えるのは僕たち未来のテレビマンです。
少年の頃、テレビの前で熱狂していたあの時代を、日本中に生み出すために人々の生活の形は変われど、模索し、挑戦し、また取り戻します。

これからも泥臭く、貪欲に夢を追いかけて、必ずやり切って、「あいつってかっけえよな」と自分がいないところで悪口ならぬ良口を叩かれるような精一杯の男になります。

今まで関わってくださった皆様、本当にありがとうございました。
今後とも何卒よろしくお願いいたします。

◇平川功(ひらかわこう)◇
学年:4年
学部:文化構想学部
前所属チーム:岡山県作陽高校

【同期とのマネージャー対談(早稲田スポーツ新聞会 企画・編集はコチラ☟】


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