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あのとき、私は

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#早稲田大学

「あのとき、私は」#6 木村友里さん

「あのとき、私は」#6 木村友里さん

木村さんは、小学生の頃からダンスを習い、合唱クラブに入り、中高時代はミュージカル部に所属するというまさに舞台に立つ人生を歩んできたそうだ。

木村さんと早稲田演劇の出会いは自身で行った入試の予行演習の日に遡る。本番の日に備え、試験当日と同じ時間に早稲田駅に下見をしにきた木村さん。そこで南門通りを通っていると、どらま館に遭遇する。

その少し前から早稲田が演劇で有名な場所という意識があり、答え合わせ

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「あのとき、私は」#5 李利一さん

「あのとき、私は」#5 李利一さん

李利一こと平澤さんの「あのとき」の始まりは高校生の時に偶然訪れたスズナリだった。
道で配っているフライヤーを受け取り、高校生1000円という安さに惹かれ、そのままスズナリに吸い込まれるように入ったそう。そこで演劇というものに出会い、唐組などの小劇場演劇をみ始めたそうだ。

高校時代の平澤さんは、音楽に興味があるものの見学に訪れた軽音楽部とは趣味が合わず、吹奏楽部に入り、クラシックではなく自分の好き

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「あのとき、私は」#4 内田倭史さん

「あのとき、私は」#4 内田倭史さん

劇団スポーツ、現役代とは被っていないものの一度は聞いたことがある名前だろう。劇団スポーツの主宰、内田さんにインタビューをした。

内田さんは、中学、高校時代は地元の大分県で剣道部に所属し、部活一筋の生活だったそう。部活の厳しい練習に励んだ学生生活。当時の内田さんからみる東京は晴れやかだった。いつしか東京は憧れとなり、その時からなんとなく大学は東京にという思いが強くなっていった。

実際、東京は

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「あのとき、私は」 vol.2 始まります。

「あのとき、私は」 vol.2 始まります。

みなさんこんにちは。

本当に遅くなってしまいましたが明日から「あのとき、私は」vol.2公開です。
Vol.1覚えてくださっている方がいたらとても嬉しいです。

コロナ禍で演劇サークルの活動が楽しみではなく、義務になっている自分に寂しさを感じて始めた企画。

Vol.2までで6人の方にインタビューをすることができました。

Vol2は、以下の3人の方にインタビューをさせていただきました。

内田

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「あのとき、私は」#3 川久保晴さん

「あのとき、私は」#3 川久保晴さん

早稲田演劇のOBOGに「学生時代、何をしていたか?」をインタビューし、演劇との向き合い方や生き方を探る記事企画。

3回目のゲストは演劇研究会出身の川久保晴さん。エミィ賞グランプリ(お洒落で、演技力があり、そして人を笑顔にできるスター女優を発掘し、応援するべく設立された大会)に出場したり、1人舞台に挑戦するなど活動の幅が広い。初めてお会いしたにもかかわらず気さくで引き込まれるようなお話をしてくださ

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「あのとき、私は」#2 川口航さん

「あのとき、私は」#2 川口航さん

早稲田演劇のOBOGに「学生時代、何をしていたか?」をインタビューし、演劇との向き合い方や生き方を探る記事企画。

第2回目のゲストは、劇団森出身の川口航さん。

早稲田に入ったきっかけは、「意外と聞かれたことないですね。あれじゃないですか、賢かったからじゃないですか。」
どうやら演劇が理由ではないらしい。劇作・演出までやった川口さんと演劇との出会いは何だったのだろうか。
「興味は高校の文化祭とか

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「あのとき、私は」#1 百瀬葉さん

「あのとき、私は」#1 百瀬葉さん

早稲田演劇のOBOGに「学生時代、何をしていたか?」をインタビューし、演劇との向き合い方や生き方を探る記事企画。

記念すべき第一回目のゲストは劇団木霊出身の百瀬葉さん。

百瀬さんは北海道の旭川で生まれ育つ。幼い頃から高校生までクラシックバレエを習っていた。クラシックバレエから演劇の世界に飛び込んだのは大学に入ってから。

演劇を始めた理由を尋ねた。
「いつも、クラシックバレエの方法とは違う形で

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「あのとき、私は」筆者のにいづまです。

「あのとき、私は」筆者のにいづまです。

こんにちは、どらま館制作部のにいづま久実です。

明日から「あのとき、私は」公開されるにあたり、編集者の私からご挨拶がてらに企画紹介をします。

あのとき私はこの記事企画はPOPEYE(『シティボーイのためのファッション&カルチャー誌』)の「二十歳の時、何をしていたか」という連載を読んで企画書を書きました。

私が所属する劇団木霊では、1年に1度忘年会があります。私は1回しか参加したことがないので

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