見出し画像

「あのとき、私は」#4 内田倭史さん

早稲田演劇のOBOGに「学生時代、何をしていたか?」をインタビューし、演劇との向き合い方や生き方を探る記事企画。

劇団スポーツ、現役代とは被っていないものの一度は聞いたことがある名前だろう。劇団スポーツの主宰、内田さんにインタビューをした。

 内田さんは、中学、高校時代は地元の大分県で剣道部に所属し、部活一筋の生活だったそう。部活の厳しい練習に励んだ学生生活。当時の内田さんからみる東京は晴れやかだった。いつしか東京は憧れとなり、その時からなんとなく大学は東京にという思いが強くなっていった。

 実際、東京は晴れやかだった。

映画に出られると聞き、エキストラのバイトに申し込んでみたりした。二劇に入るまでの内田さんは大学入学後すぐにボーイスカウトのサークルに入り、アウトドアな生活を送る。現在でも歩くのが趣味なのはこのボーイスカウトの影響だと話す。

ある時、「二劇(法政大学の公認演劇サークル)に入らないか」と友人に誘われたことがきっかけで演劇を始める。これがまさに人生の転換点だった。その友人が後に共に劇団スポーツというユニットを組むことになる田島さんだ。田島さんに対する第一印象は「面白いやつ」だった。二浪で哲学科、話してみると感性が合う。

内田さんにとって初舞台となった7月のコントライブはとても楽しかった。仲間と共に1週間の拘束期間の間にたもく(学生会館のようなところ)に集まり稽古をする時間が刺激的だった。その後は、一年生公演に出演し、二劇に入る前から所属しているアウトドアサークルにも顔を出していた。

それと同時に演劇を見てみようという思いから、王子小劇場や下北沢の小劇場に足を運んだ。

そこには自由があった。真っ暗な地下の劇場で自由な世界を大人が繰り広げている。お客さんの笑い声で会場が揺れていた。今までに味わったことのない世界を体験した内田さんはより意欲的な活動場所を探し、2駅先の早稲田大学に足を踏み入れた。


演劇倶楽部出身の劇団に影響を受け、新人訓練を受けられるということにも魅力を感じエンクラに入った。当時尖っていたという内田さんは、学生演劇を見ても面白いとは思えず、舞台を見るたびに自分だったらこうすると思ったことをメモしていたそうだ。サークルを跨いだ同期の横のつながりの輪にも自分から入ろうとはしなかった。 

新人公演以降、学生演劇を見ていても自分が出たいと思う舞台とはなかなか出会えず、こりっちでオーディションを探し受けていた。演劇の公演を観て自分も出演する中で、自分で作ってみたいという気持ちが芽生え始めた。

そこで一緒に作ることになったのが同じ法政大学哲学科の田島さんだ。当時、早稲田演劇界隈で横の繋がりも少なかった内田さんは、二劇の友人に声をかけなんとか公演を打った。まだ、バトン図さえ書いたことがない友人たちとの挑戦だった。

そこから演劇に出る側から作る側の人生が始まる。2年生の時にエンクラに入った内田さん。演劇に熱が入れば入るほど、大学の卒業へのシグナルは赤色に近づいていた。中野方面に住んでいたため法政大学がある飯田橋駅に行くには早稲田駅を通過する必要がある。しかし、早稲田で降りて気づけば学生会館に向かってしまう。

新人担当になった時には、メニューが目指しているものについて言語化して新人に伝えるということを意識していたそうだ。自分が外の団体に出演するようになって気がついた新人訓練のデメリットも理解した上で、「これが全てではない」とわかってもらえるように新人担当をしていたと話す。

意欲的な活動場所を求めて他大学のサークルのエンクラに入って今になって良かったと思えるか聞いてみた。答えはスポーツがここまで続けられているのは早稲田演劇に入ったからという答えだった。

その理由は大きく2つある。

1つ目は施設面。現役代の時は当たり前のように使用している稽古場は学生ではなくなると全て有料になる。劇場も同じだ。学生だからこそ公演を数多く打つことができたと話す。

2つ目は仲間。同期や同じエンクラの先輩後輩などから常に刺激をもらい、負けたくないという一心で作品を作り続けていた。ライバルでもあり助け合う仲間たちは早稲田演劇だからこその作れる仲間なのかもしれない。

劇団スポーツ第4回公演『略式_ハワイ』

少し現在のことについてもお聞きした。演劇を続ける上で楽しむことが重要だと考えているそうだ。演劇を作るという行為が、遊びなんだという思いを忘れた途端、仕事になってしまい、作りづらくなってしまうという。少し前までは、段々キャパの広い劇場に進出しいわゆる売れるレーンに乗せたいと必死になっていた。しかし、それでは面白い作品を作り続けることは難しかった。そこからアマチュアでいいじゃんと思うようになったそうだ。演劇でご飯を食べることを目的にしていたが切り離して考えるとご飯を食べることは他の仕事でもできてしまう。演劇とご飯を食べるという全く異なる性質のものを同時にやるべきではないということに気づいてからアマチュアで演劇を続けていこうという思いが強くなったそうだ。

インタビュー中、包み隠さず自分を大きく見せようとせず真摯に答えてくださる姿がとても印象的だった。好きなことでお金を稼ぐということがどこかかっこいいと思っていた私にとって内田さんの考え方はインタビュー時、素直に頷けるものではなかった。しかし、文字起こしを記事に編集している今なんとなくその意味がわかってきた。演劇を続けるという難しさに向き合い続けるひたむきな内田さん。これからの活躍が楽しみだ。

 

ゲスト:内田倭史 1996年2月15日生まれ。大分県出身。劇団スポーツ主宰。俳優・脚本家・演出家。早稲田大学演劇倶楽部出身。


筆者:にいづま久実
2000年5月18日生まれ、横浜市出身。
法政大学人間環境学部在学中。
最近はロゼワインが好き。というかロゼくださいというのがかっこいいと思っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?