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「あのとき、私は」#1 百瀬葉さん

早稲田演劇のOBOGに「学生時代、何をしていたか?」をインタビューし、演劇との向き合い方や生き方を探る記事企画。

記念すべき第一回目のゲストは劇団木霊出身の百瀬葉さん。

百瀬さんは北海道の旭川で生まれ育つ。幼い頃から高校生までクラシックバレエを習っていた。クラシックバレエから演劇の世界に飛び込んだのは大学に入ってから。

演劇を始めた理由を尋ねた。
「いつも、クラシックバレエの方法とは違う形で表現をしてみたくなったからみたいなことを言っていたんですけど、最近もっと簡単な理由かもしれないなって振り返っていて…」
「小中までは同じメンバーだったのが高校になってからガラッと違うメンバーになって、高校からの友人が私が早口で喋る時、滑舌が悪いこともあり、「…今なんて言ったの?」って言われることが増えたんです。」その頃、テレビでドラマ『リーガルハイ』10話の堺雅人さんの長台詞のシーンを目にする。「単純に堺さんがスラスラと話してるのを見て、かっこいいと思ったんです。それで早稲田の演劇サークル入りたいと思いました。」早稲田大学演劇研究会出身の堺雅人さんのシーンをきっかけに一年の浪人生活を経て早稲田大学に入学する。

百瀬さんはなぜ木霊を選んだのか。当初入ろうと思ってた演劇サークルは、お試し稽古に行くと、思っていたイメージとは違い、劇団木霊に駆け込んだと語る。「最終的にフライヤーが綺麗で、逃げ込みみたいな、駆け込み寺みたいな感じで、ここだったら多分大丈夫だろうって入った感じ…そういう同期が私たちの代には多くて、(笑)」
クラシックバレエを習っていたため、当時は「稽古とかもビシッとするものだと思ったから全部真っ黒でピチッとしたスパッツみたいなものを着て、髪も全部あげてましたね。」
周りとは違う姿に同期には「忍者かと思った」と言われた。


“駆け込み寺“の稽古は「伝統みたいなものがキツかったし、演劇に必要なことなんだろうかっていう思考も働かなくて、現代でやることじゃないと思ってる」と語るほど身体的にも精神的にも辛いものだったそうだ。。
「同期は戦友だし、アトリエにいる人も好きだし、木漏れ日が入るアトリエも好きだけれど、謎の抜けられないハラスメントの温床にはなってしまっていたと思う。自分の代で変えようと思ってもなかなか変えられないループがあったように思います。」

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(劇団木霊2018年春企画公演「ザザザッと、トーキョー」|脚本・演出|小倉詩歩)

百瀬さんが新人公演で与えられた役はおばさんだった。「劇中劇で浦島太郎のおばあさんがチェーンソーとか持って極悪なのを過度に演じたシーンがあったんですけど、お客さんがほんの少し笑ってるのを感じたんです。そこで、面白いじゃんってなって、希望っていうか、演じることの面白みみたいのを知りました。」バレエでは起きなかった”笑い”という反応を、演劇という舞台に立って得たと言う。

新人公演以降さまざまな舞台に役者として出られていた百瀬さん。どらま館での出演回数も多いため、どらま館での思い出を聞いてみた。それは「虚大空間」という劇団での公演のことだった。「次の役者さんが来なくて、1人で1分間くらい『どこに行ったの?』ってアドリブを入れたことがあって。すごく怖くて印象に残ってる。」と身振り手振りで当時の様子を説明してくれた。観客の反応を感じることが楽しい百瀬さんにとっても、お客さんを前に1分という間を持たせるのはすごく大変だったと語る。


どらま館での思い出はこんなこともあった。女優の樹木希林さんが、あるドキュメンタリーのトークショーのゲストにいらしたそうだ。「今まで俳優さんって大それたイメージがあったんですけど、私を含め十数名の観客にとても気さくにお話される樹木希林さんの姿を見て、日常の中にある職業のひとつと捉えていいんじゃないのって思うました。変なプライドみたいのがない、気さくさに憧れました。」

ここで百瀬さんの学生時代のある1日をみてみよう。


9時 寝坊して学校に向かう
2限・3限 授業受ける
4限・5限 散歩したり映画観たりして学部の友達と大隈講堂の脇で社会について語り合う
18時 稽古
夜 家帰って水曜日のネコを飲む(1ヶ月に一回くらいは座組みで舟形屋に飲みに行く)


百瀬さんは学生時代も授業の合間によく映画を観たという。学生生活で一番印象に残った映画はグザヴィエ・ドラン監督の映画『たかが世界の終わり』だった。「この映画ではじーっと物を撮られていて、それを観て”絶望”を感じたりしました。圧倒的に世界を切り取るというって感じがして、観客が見たいところを見る演劇とは違うなと感じた映画でした。」

たかが世界の終わり

(映画『たかが世界の終わり』フライヤー)


役者としての顔以外にも宣伝美術のスタッフとしての顔をもつ。始めたのは入団して初の新歓期。稽古の合間を縫って作成した。「photoshop入れてみて、先輩に習って、役者さんを恵比寿ガーデンプレイスで写した写真を切り取って水色でエンブレムの周りにして」本キャンに自身が作成したフライヤーが貼られたのをみて宣伝美術のスタッフをやるようになった。このポスターはグザヴィエ・ドラン監督の映画『mommy』のフライヤーの水色の綺麗さにインスピレーションを得て作成した。

もねさん 恵比寿


数々の百瀬さんの作品の中でのTOP3を聞くと3『違う星』、2『〰オクダ、アタミオ』、1『地獄のユーモア』
『地獄のユーモア』は、「台本を読んで作ったもので、テキストのもコラージュとして入れて、台本を引用してデザインを作ることができた」とこだわりを教えてくれた。

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(劇団木霊2020年2月企画公演『地獄のユーモア』フライヤー)


現在フリーの役者として活躍する百瀬さんは進路選択に迷いがなかったと語る。「当時から先輩にも後輩にもあなたが勤務してる姿思い浮かばないとか言われて。切羽詰まって、舞台に出ることが楽しくて、無我夢中だった気がします。」

劇団木霊退団後、吉祥寺シアターで観たリーディング公演が面白かったことをきっかけに映画美学校アクターズコースに入学する。ちなみに映画美学校への入学は劇団木霊への入団と同じく「ワクワクした自分の感情を頼りにした。」と話す。

学校ではハラスメントから演技まで幅広い分野を学び、演技の捉え方は変化したそうだ。「演技を仕事にするってそんなに特別なことではなくていろんなやり方がある。不安感とか上手い下手が全部ではないって教えられた」


インタビューの中でにいづまが最も感動する話があった。同期に関して「戦友って感じ、いろんな子がいてどんなことしても悪さしても何してんだよって言える感じ?かな。どうでもいいんだけどどうでもよくないみたいな。違う道行ってても「あっち行くのねOK」みたいな。みんな違う方向向いてもどこがで緩やかに繋がっている感じがとてもよかったかな。」
とポジティブに大きな器で物事を捉える百瀬さんだった。

ゲスト:百瀬葉
1996年6月18日生まれ、北海道旭川市出身。
早稲田大学教育学部の社会科学専修。劇団木霊出身。
フリーランス
筆者:にいづま久実
2000年5月18日生まれ、横浜市出身。
法政大学人間環境学部在学中。
趣味はF1を見ること、夢は鈴鹿サーキットで運転すること。


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