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「あのとき、私は」#3 川久保晴さん

早稲田演劇のOBOGに「学生時代、何をしていたか?」をインタビューし、演劇との向き合い方や生き方を探る記事企画。

3回目のゲストは演劇研究会出身の川久保晴さん。エミィ賞グランプリ(お洒落で、演技力があり、そして人を笑顔にできるスター女優を発掘し、応援するべく設立された大会)に出場したり、1人舞台に挑戦するなど活動の幅が広い。初めてお会いしたにもかかわらず気さくで引き込まれるようなお話をしてくださった。


演劇をやろうと思う前に女優になるという夢ができた。中学生の時に阿部サダヲさんをテレビで見て、ドラマと笑いがかけ合わさった時に生まれるものに惹かれた。「高校受験の面接ではっきり、女優になりますって。」面接で女優になりたいと語りながら、高校卒業まではバスケットボールを続けたそうだ。

浪人生活を経て早稲田大学文化構想学部に入学し、女優になるために何をするべきか考えていたところ出会ったのが早稲田大学演劇研究会(通称「劇研」)だった。「お試し稽古に行ったら自分の中でガシャってなって、 これだってなって。これをやろうってなったんですね。」

当時の劇研のことを「すごい厳しい場所でしたね、門番みたいな人がいて(笑)」と語りながらも、「稽古は辛いけど楽しかったです。」試演会の脚本を任されたため、葛藤もあったが貪欲な同期とともにする稽古は有意義だった。同期は10人ちょっと。高校までで出会ってきた人とは違ったという。「大学に入るとなんでそこわからないから始まるじゃないですか。自分の生きてきた価値観がそこから揺らぐんだみたいな経験がすごいあって。出会った人たちも本当に意味わからない人たちいっぱいいるんですけど、それも丸ごと愛せるようになったっていうか。」
器が大きい母のような笑顔で大切な同期のことを語る。
「なんか面白くなってくるんですよね。そこまで違うんだなみたいな。私の代が特にバラバラの性格の人たちだけどちょうどいい温度感で繋がってて、バラバラだけどバラバラじゃないんですよ。」
ハマったと感じたのはなんと2.3年後とかかもしれないと話す。「その時はやり合ってたし、だから作品もよくなってたし」

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(新人時代の川久保さん)

しかし、劇研に所属する4年間は新人期間以外も稽古とは違う面で苦悩が続いたと話す。
川久保さんは、大学3年の時に劇研の幹事長を任される。演劇に対して貪欲な劇研員をまとめるのは大変だったそうだ。

劇研にはサークル内にアンサンブルと呼ばれる劇団のようなものが存在する。アンサンブルができるまでに旗揚げ審議というものがあり、劇研員同士で時間をかけて審議を行う。
話し合いに時間をかける早稲田演劇研究会の特徴が「劇研を支えてきた部分でもあるんだろうな」と語る。しかし、朝まで続くこともあった話し合いをしんどいと感じてしまうこともあったようだ。朝のバイトに遅刻しないように寝ずに、「一旦神田川に叫んでから早朝のバイトに出かけていました(笑)」内容だけ聞くと辛かったのかという想像もできるが、笑顔で話す川久保さんだった。

寝る時間があったのか不安になる大学時代の川久保さんのある1日はこのような感じだった。

朝6時 オリジン弁当でのバイト
1限から3限 授業を受ける
4限から 稽古


失礼なことかもしれないが、1限から授業に行ける演劇関係者はとても珍しいと思う。少なくとも私は初めて出会った。GPAも3.5ほどだった川久保さんから演劇と学業の両立の極意を聞いた。
「どうしても取りたい授業だとしたら半年の間に出演する舞台と、休まなくてはいけない数を考えて、先生や友達に舞台のことも話して協力してもらったり、どうしても色々と難しい場合は自主レポートを提出したりもしました。」授業を担当する先生は舞台に理解がある先生が多く、舞台と演劇を両立できたのは先生方のご協力のおかげだったそうだ。演劇も学業も手を抜かない姿はとてもかっこいい。

川久保さんは、冒頭でも紹介したように一人芝居も行っている。一人芝居を思い浮かべる人も多いだろう。元々お笑いも好きだった川久保さんはR1グランプリにも出たことがある。「2分ネタだったんですけど、なんかすごい私のやりたいこととのズレを感じたというか、私がやりたいのは役者なんだって感じて。」

その後、出演者に対して持ち時間が10分間与えられるエミィ賞グランプリに出場する。全部で3回出場し3回目の2019年グランプリをとる。2回目は本戦まで勝ち上がるものの決勝で敗れる。「決勝で負けてすごい悔しくて、ある審査員の方に『何で芸人じゃなくて役者なの』って言われたんですよ。」3年目は「学生」というネタで勝負する。「​​おばさんが大学を受験に来るっていうお話しなんですけど、作りながら、これだって思ったんですよ。私がやっていきたいのはこういう笑いとドラマのかけ合わったものだ!ってなったんです。」3回目で初めてグランプリを手にする。

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(エミィ賞グランプリにて)

川久保さんの大学時代は人に恵まれていたと話す。ゼミの先生は「今でも一人芝居とか舞台も観に来てくださるんです。母みたいな人なんですよ。」
またバイト先のオリジン弁当店長のおばさんも今でも舞台を観に来てくれる第二の母のような存在だという。
「自分でいうのもあれですけど、人に愛される能力があるなって。年齢が上の人たちとやらせてもらうことが多いのも、そういう部分があるのかもしれません…自分で言うのも何ですけど(笑)」本当に人のよさがインタビュー中にも表れていた。

大学1年生の頃は芸人と女優のハーフになりたかったそうだ。しかし、「今あの時の自分に会えるならその表現の仕方は本当にやめなさいと言いたいです(笑)」
「若い頃は、ああなりたいですって胸を張って言えたらキラキラして見えるというか、そこに根拠とか道筋がなくてもキラキラできてしまうというか、」夢を持ちながらも自身を俯瞰しているという川久保さん。
「例えば5年後に今と同じ場所にいたとき、続ける自信があるかって言われたらないというか、やっぱりここじゃないところにも行きたくて、今いる場所は幸せだけど今の感じを続けたいわけじゃない。」しかし、夢は諦められない。「役者だけを背負って生きてみたいんですよ。」

かっこよく書かないでくださいよ。お前またイキってんなって言われちゃうから。すぐイキっちゃうんだからって。

肩書きはありますか
今は、、、、、、、、、、、、、、、肩書きはないかもしれないですね

ゲスト:川久保晴 フリー
1995/12/8生まれ、愛媛県出身。
早稲田文化構想学部表象メディア論系卒業。早稲田大学演劇研究会出身。
筆者:にいづま久実
2000年生まれ、横浜市出身。
法政大学人間環境学部在学中。
夢はビール博士になること。

第一弾はこれで終わりです。ゲストの方、3人の早稲田演劇時代のお話を聞くことが目的で始めた企画ですが、人間的に尊敬できる部分がたくさんありました。インタビューのあとは3回とも大橋トリオのHONEYを聴きながら「何て幸せなんだろう」と思いながら電車に乗っていました。早稲田演劇サークルに所属していることが誇らしくなり、3人の素敵な先輩方に出会えたことが何よりも忘れられない宝物になりました。読んでくださった方、ありがとうございます。

まだ公開日は未定ですが第二弾の「あのとき、私は」もお楽しみに!!


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