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「あのとき、私は」#5 李利一さん

早稲田演劇のOBOGに「学生時代、何をしていたか?」をインタビューし、演劇との向き合い方や生き方を探る記事企画。

李利一こと平澤さんの「あのとき」の始まりは高校生の時に偶然訪れたスズナリだった。
道で配っているフライヤーを受け取り、高校生1000円という安さに惹かれ、そのままスズナリに吸い込まれるように入ったそう。そこで演劇というものに出会い、唐組などの小劇場演劇をみ始めたそうだ。

高校時代の平澤さんは、音楽に興味があるものの見学に訪れた軽音楽部とは趣味が合わず、吹奏楽部に入り、クラシックではなく自分の好きなマニアックな音楽を追いかけていた。

サブカルチャーが好きだった平澤さんは聖地でもある下北沢に古着やレコード探しのために入り浸っていた。そこで出会ったのが洗濯機で洗ってはいけない年代物のデニムだけではなく、演劇だったのだ。

そこから様々な演劇を見るようになった。まだ再開発も進んでいない下北沢の街を歩く自分にどこか憧れを持っていたのかもしれない。そんな中、衝撃の出会いを果たす。劇団子供鉅人との出会いだった。開演を待つ間の客入れのBGMから自分の趣味にどストライクなものばかりだった。期待通り演劇は面白く、その後早稲田に入って新歓公演をみてもそんなに面白いと思えなかったのは「子供鉅人」のような劇団をみてきたからだと話す。その衝撃は大学に入ってからも忘れられず、スタッフ業務を手伝ったこともあるそうだ。


受験して早稲田大学に入り、演劇サークルを探し出す。演劇サークルを選ぶ基準は人によって異なるだろう。新人公演の作風、雰囲気、新人訓練の有無など。平澤さんは新人訓練を受けられるということが絶対条件だったそうだ。
その中で新歓公演を見て回っていた時に衝撃を受けたのが、演劇倶楽部だった。どらま館で演劇倶楽部のとあるユニットが公演をしていた。入学以前から小劇場演劇を観劇しある程度自分の好きな演劇のスタイルが固まってきている平澤さんだったが、そのユニットの公演は衝撃だったそうだ。その公演を見て演劇倶楽部への入団を決める。

演劇サークルの新人訓練では、サークルの上級生が新人をトレーニングする。先生でも免許を持った教育者でもない、少し経験年数が上の学生が教育するという期間が用意されているのは特殊で、多くの人がすんなり理解できるわけではない制度かもしれない。平澤さんは、この新人訓練という「無意味な伝統」を体感してみたい!と思って入団したそうだ。

「新人訓練」については平澤さんの時代よりも批判的な思考を持つことが推奨されているように感じる私たち現役代。厳しい新人訓練の危険性を感じている私にとって、このような思考は新鮮で、平澤さんがいた時代と今を知っている身として、どんな反応をしていいかわからなかったというのが本音だ。

永遠に終わらないアップ(音楽に合わせ体を動かしテンションを上げるもの)でも周りの同期が体力的精神的な辛さに苦しむ中、平澤さんは異常な光景をどこか面白く思っていたという。変わっているというか大人びているというか冷めているというか、、。

そんな平澤さんでも新人期間中に気持ちが落ち込んでしまうことがあったらしい。そんな時には自分が信じ続けていることを思い出していた。「何かとても辛いことをやるとその後が楽になるんです。目の前の演劇だけではなく、その後の人生について考えていました」と話す。

新人公演を迎え、役者としての第一歩を踏み出した平澤さんだったが新人公演に出演した際の感想は、「役者できねえ」だった。平澤さんから見て上手な役者は舞台に立つと水を得た魚のように生き生きとするが、自分は滑舌もよくなくて、統制されていない体で役者には向いていないと感じたそうだ。


舞台作業をするひらさわさん

稽古をして公演に出演する役者よりも座組でする仕込みやバラシの方が平澤さんにとって魅力的だったそうだ。その後も役者として演劇に関わることはあったが、役者という役職を楽しんでいるというよりは、稽古後に行く飲み会や全員で公演を作り上げるという空気感が好きだったそうだ。そのため、役者のオファーは知り合いからのものしか受けていなかったそう。スタッフワークをこなすことに喜びを感じ始めた平澤さんは、舞台美術や舞台監督のスタッフ業務で演劇に関わるようになった。舞台監督は先輩に何度か習ってからは、どのようにタイスケを組めばほかのセクションが動きやすいかなどを考え自分流に仕事の仕方を変えていった。前回の内田さんの主宰する劇団スポーツの現場ではスタッフ業務をセクションの垣根をこえてまるっと行ったという。

役者もスタッフもこなす演劇学生だった平澤さんは、プライベートの活動場所を高校時代の下北沢から夜の街歩きに移す。お金もかからずタバコを吸いながら歩く夜の街は最高に面白かったそう。高校時代から音楽が好きだったため、20歳を超えてからクラブにも通うようになる。平澤さんの欲求はタバコを吸いたい・クラブに行きたいの二つだったそうだ。
ちなみに、クラブで朝まで踊れたのは新人訓練の時に体験した永遠に終わらないアップのおかげだと話す。

学生時代の平澤さんは、早稲田松竹に行き、まず一本みて、授業に出る。授業が終わったら、行きつけのジャズ喫茶に行って、少しお酒を飲み、残りの映画をみに早稲田松竹に戻っていたそう。早稲田松竹は名画座のため、何かの映画を求めていくというよりは知らない作品に出会うという感覚で見に行っていた。

演劇自体ではなく、演劇を作り上げる過程に喜びを感じていた平澤さん。卒業後は、演劇関係の仕事ではなく、学生時代からアルバイトをしていた出版業界に進んだ。演劇は、大学の4年間で一つの区切りをつけた。

そんな平澤さんが思う演劇の楽しさは「みんなでやる」ことだと話す。特に学生演劇では密になり一つのものを作り上げる。そして作り上げたものを人間に見せる。そこに面白さを感じていた。演劇をしていると楽しさではなく上演至上主義になってしまうことが時々あるかもしれないと私にいづまは思う。しかし、この平澤さんのインタビューを通し、重要なものを再認識できた気がした。

ゲスト:李利一 会社員
1998年生まれ埼玉県出身。早稲田大学文化構想学部卒業。早稲田大学演劇倶楽部出身。

筆者:にいづま久実
2000年5月18日生まれ、横浜市出身。
法政大学人間環境学部在学中。


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