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鏡の法則を使うネコ

【エッセイ】いちどは耳にしたことがあるかもしれない「鏡の法則」お江戸の野良猫が、その真の意味を体験する物語。


お江戸なう。
おいらは野良でィ。

ちょいと煙草を買いに、たばこ屋までやってきた。おいらが巾着から銭を出すのにもたついてると店の主人が感じ悪い。

ニンゲン版 鏡の法則は
以下のパターンになりがちである。

(あっしもコイツみてぇに人様に対して、いけすかねぇ野郎ってか……!? それつぁいけねぇや…気ィ付けなくっちゃあならねぇ……)

違うのだ。
おまえさんは自分自身に対して
“こういう態度をとっていませんか?”
“感じ悪く扱ってますよ”

そのことを他人という鏡を使って映し出しているのである。

自分を感じよく扱う。
例えば、自分の本心を聞く。疲れたら休む。他人に無理して合わすのをやめる。イヤだと思うことは、ちゃんとイヤだと意思表示する。イマイチ気が乗らない誘いは断る。愛想笑いをやめる。自分の苦手なものや嫌いなものを「嫌い」と思う気持ちを尊重する。

たばこ屋の帰り道にぶらぶら散歩していたら、よその縄張りの野郎どもがエサの奪い合いに必死なのを目撃した。

(っは!アイツらなに夢中になって人間に媚びなんざ売っちまってよ。こちとら、宵越しのちゅ~るは持たねえ主義でぃ!だっせぇ!必死でやんのw)

違うのだ。
おいらは自分が「必死w」なのだ。人間に甘えてなるものか!そいつぁ、ダせぇ!他猫(人)を批判することに必死なのかもしれない。もしくは、ダサい自分を許せないのかもしれないし、おいらの魂の声は本心から逃げてる自分に「ダせぇ!」と訴えているのかもしれない。

両国橋を渡って狭い道に入り煙草に火をつける。勢いよく戸が開いたかと思うと長屋に住む気難しそうな犬の親父が、おいらに向かって吠えてきやがった。

(なんでぃ!クソ親父!ポイ捨てなんざしてねえやぃ!それに周りに人っ子しとり(ひとり) いねえじゃねえかぃ!? ・・・
するってぇと何かい!? おいらが野良猫だからって馬鹿にしゃあがったな!味噌汁で顔洗って出直してこいってんだぃ!)

違うのだ。
旦那、そいつぁ、違いますぜ。
おいらは自分の何かを馬鹿にしているのだ。自分の気持ちや行いをバカにしているのかもしれないし、能力のコトかもしれない。自分の存在そのものを馬鹿にしているのかもしれない。

こんな時は茶店で気分転換である。看板娘の、おみけちゃんもいるコトだし……

「野良さん、いらっしゃい」

おみけちゃんの凛とした佇まいに、とーんときた。おいらはどぎまぎしながら団子が運ばれてくるのを待つ。そこに颯爽と、でえく(大工)の、はっつぁんが現れた。この野郎はハチワレのいなせな男である。おいらは、このハチの野郎が気に食わねえ……

(あんだってハチの野郎、男のくせにべらべら、おみけちゃんと喋りやがって……
おめぇは引っ込んでろぃ!それに・・・親父!団子の蜜・・・ケチりやがったなっ!ちっきしょー!どいつもコイツも、おいらをナメやがって!)

違うのだ。おかみさん、
そいつぁ、違うってモンですよ。
おいらは自分の何かが気に食わないのだ。それは自分の性格のコトかもしれないし、容姿、年齢、職業のコトかもしれない。自分が自分のことを、いちばんナメてかかっているのかもしれない。

相手をディスるという行為(心のなかで思うことも含む)は、自分のショックを隠すための反応であることが多い。

「ったくよぉ・・・真の“猫(人)の振り見て我が振り直せ”とは、こうゆうこった。さてと、縄張りの見廻りにでも行くか」

狭い裏通りに入って屋根づたいに長屋を歩く。(おっ、おまゆさんじゃねぇかい)
おいらのことに気が付いてくれるまで、忍びの如く屋根上に居座った。


半刻、一刻と過ぎ・・・ 

──カラスの鳴く声──


「まぁ、野良坊じゃないかい。来てたんだねぇ。さぁさ、おあがんなよ」
「へぇ、いつも・・・すまねぇ」
「何言ってるんだい、遠慮なんかいらないよ」

今日の出来事を、おまゆと横に並んで、お茶しながら話すふたり。

「まぁ、そうなのかぃ?」
「……」
「でも…ねぇ、おまえさん、じぶんの気に入ってるところも、ちょいとはあるんじゃないのかぃ?目ヂカラは鋭いし、アタマはきれるし、江戸のまちに響き渡るような、よく通る声をしてるじゃないか」
「そ、そうかぇ……?」
「もぉ、いやだねぇ、言わせないでおくれよ。おまえさんったら、男前だよ」
「……おまゆさんだって、米、炊くの、うめぇじゃねぇか……」

そう。そうなのだ。
誰かや何かに対して“いいな”と思うとき、それは自分の何かに対して、いいなと感じているのだ。それは自分のセンスのことかもしれないし、特技や才能のことかもしれない。自分のいいなと思うところを認めるのも意外に難しかったりする。こんな、あっしみてぇな野郎はどうせ……と思わずに認めてみる。


おもしろおかしく節をつけながら唄う
男のダミ声が近づいてきた──


「瓦版の売り子が来てるみたいだねぇ。
おまえさん、ちょいと見に行ってきておくれ」
「へぇ」

結局、他人に言いたいことは、全部自分が自分に言ってること。

瓦版より



あとがき

「他人に言いたい(思ってる)ことは全部、自分が自分に言ってる(思ってる)こと」

すべての人間関係、SNS、対象がテレビでも映画でも音楽でも動物でも政治経済でも、とにかくすべてです。


あ~~~~~~!!


・・・・・・・・。

「これ、オレだわw」
「これ、私じゃんw」


これが腑に落ちたときの、自分に対する滑稽さと爽快感といったらありません。


(ФωФ)てやんでぃ

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