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許しクエスト Ⅳ 導かれしnoterたち

【エッセイ】許せない相手や出来事(状況)を許すためには…


「許し」とは
自分の罪悪感を許すことです。

罪悪感を抱えていると

他者から責められたり
自分が被害者になるような
出来事を引き寄せてしまいます。

エネルギー的に見てみると
自分への罪悪感というのは

自分自身を責めて攻撃したり
悪者扱いしている状態です。

そのエネルギーが
他者や出来事を通して

他者から責められる出来事や
自分が不快に感じる出来事や
傷付く出来事となって
具現化されているのです。

なので
自分は何に罪悪感を感じるのか
自覚することが重要です。

罪悪感あるある

・お金を使うこと (特に自分に)
・食べること (太ること)
・間違えること、失敗すること
・解らないということ
・散らかること
・ラクすること
・忘れること
・損すること、失うこと
・はしゃぐこと、楽しむこと
・何もしないで ただそこにいること
・ぼーっとすること
・遅いこと、遅れをとること
・人 (社会) の役に立てないこと
・病気、不調になること
・NOを言うこと、断ること
・休むこと、やめること
・誤解すること、されること
・他者が不幸な (状態に見える) こと
・自分 (だけ) が幸せになること
・自由になること
・特別でないこと
・完璧でないこと etc

挙げ出したらキリがなく
自覚があってもなくても
無数に罪悪感は存在しています。

罪悪感探しは自分の粗探しではなく
ダンジョンの いたるところにある
宝箱を探す感覚です。

見つけたらラッキー☆
シメシメなのです(*´艸`*)

自分の罪悪感が分からないときは
他者の言動に対する
モヤモヤ・イライラから

自分の罪悪感を
見つけ出すことができます。

罪悪感とは自分が自分に対して
「禁止していること」
「責めている内容」です

自分に禁止しているからこそ
他者がそれを自由に のびのびと
言ったり やったりしている姿を見ると

モヤモヤ・イライラする
許せない” という仕組みです


例①
人の夢や挑戦を笑う者は
その笑っている本人が自分自身の
夢や挑戦をバカにしてるということです


例②

村人が曜日を間違えて
ゴミ出しをしていたとします

その姿を見て心の中で思う

「あ~~! いけないんだあ!!」

自分にとって
「間違えること」や
「秩序を乱すこと」など
あってはならないことなのです。

そんなある日
自分がたまたま曜日を勘違いして
ゴミを出してしまったことに
後々気がつきました。

「あ~~!(自分) いけないんだあ!!」

私たちは
他者を責めているとき
自分のことも同じ内容で責めています

自分を責めているとき
他者のことも同じ内容で責めています

更にもし

自分も間違えてゴミ出ししている姿を
その村人に目撃されて

「おぬしも同じことを
 やっているではないか・・・!!」

もしもこのように↑村人から
文句を言われたものなら

おそらく自分は凄まじい
「恥の感覚」に襲われると思います。

村人から文句を言われなかったとしても

(おぬしも同じことを
やっているではないか・・・!!)

自分から自分への
ツッコミ (責め・ディスり) が入ります。

罪悪感と恥の感覚は
結び付いている場合が多いです。

罪悪感とは前回述べたとおり
過去に負った癒えていない心の傷です。

罪悪感は罪でも悪でもなく

「マズイ~! 怒られちゃう!」
「やだ~! 嫌われちゃう!」
です。

罪悪感の正体は
“罪” でも “悪” でもなく
「恐れ」です。

罪悪感のメリット

罪悪感を持つことで
自分の劣等感を見ないで済むという
メリットがあります。

人間
外からくる痛みよりも
内からくる痛み (罪悪感・劣等感)
のほうがとてつもなく強烈です。

そこで私たちは罪悪感を使います。
(相手や出来事・状況を責める)

自分には劣等感 (罪悪感) がある。
でもそれを見て
自分を嫌いになりたくない。

相手 (出来事・状況) を嫌うことで
自分を嫌いにならずに済む。

外からくる痛み「罰」
(ネガティブな出来事) を受けるから

内からくる痛み 「自分の罪」
(自分の罪悪感・劣等感) を許してよね

↑“罰” とは文字通り、なんでこんな
罰みたいなことが起こるの?

なんで自分が
こんな目にあわなきゃならないの?

それは
人間関係のトラブルだったり
お金の問題、健康の問題だったり
とにかくネガティブな出来事全般です。

トラブルでなくとも自分の日常生活の
“これが普通” な状態が実は
“自分への罰だった” という
ことも意外にあるあるです。

例えば

好きなケーキを制限なしに
自由に選んで (食べて) よいのに
自分は パンくずでいい、

自分にはそれで充分
自分にはそれがお似合い 的な

自分の価値を極端に低く
見積もる現象です。

自分の “普通” が実は普通ではなかった
なんてことがあるかもしれません。

罪悪感を使った行動 (思考) パターン

① 自分の罪悪感・劣等感を見たくない

② よし、これを相手のせいにしよう

③ そうする為には責めたくなる人物や
 出来事を創造 (引き寄せ) しよう

④ あいつのせいだ~!コレのせいだ~!

⑤ よし、これで自分の罪悪感・劣等感を
 見ないで済んだ


自分が何に対して
どのように傷ついたか?

ではなくて

相手がいかに悪いか間違ってるかを
説き伏せたり責め続ける

相手の罪悪感を攻撃する
というループにはまります。

ある意味これで自分の望み
(自分の罪悪感・劣等感を見たくない) を
叶えている、ということです。

相手や状況を責めることによって
自分が変わらずに済む。

責めるのは
自分が変わりたくないからです。

変わりたくないのは
自分に罪悪感があるからです。

これが罪悪感の
薬草 (麻薬) 的メリットです

相手や出来事のせいにして
エゴの自分は一時スッキリします。

ちなみに相手の罪悪感を攻撃することは「悪いこと」ではありません。

相手の罪悪感を攻撃することによって
自分の砕けそうな心を守っています。

それほど
自分のこころの傷 (罪悪感・劣等感) は
深いということです。

自分のこころの傷を認めたら
再起不能になるのではないか?

ゲームオーバーにならないように
相手や出来事のせいにしたってよい。

だがしかし

魂の自分は何処かスッキリしません。

何故なら自分の魂 (こころ) は
癒されたがっているからです。

相手を見る (責める) のではなくて
わたしを見てほしい。

わたしの心の傷を
ちゃんと見てほしい
ちゃんと分かってほしい
優しく寄り添ってほしい
癒してほしいと望んでいます。

本当の許しを得たいのなら
自分にムリのないタイミングで
相手の罪悪感を攻撃するコマンドを
自ら削除せねばなりません。

▶️ たたかう
▶️ いやす

人生ゲームもRPGと同じです。
再起不能から何度でも復活できます。

レベルアップ☆☆☆☆
ついに許しの扉が開いた

▶️ セーブする
▶️ Ⅴ に進む
▶️ Ⅲ に戻る
▶️ 歌う




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